第二話 青い薔薇
いまいち要領を得ないピエールさんとの会話を通じて、私は現在の状況をそこそこ把握することに成功していた。
ここはブルーローズ公ギルモア公爵の城館なんだとか。そして私は今は亡き第一夫人ツバキの忘れ形見と。ツバキ夫人は私が産まれた後、産後の肥立ちが悪化しなくなってしまったとか。その上、残された赤子の私も意識不明のまま植物状態へ。生まれは高貴でも実に悲惨な状況である。全然嬉しくない。
本当はとっくに私は死んでいるはずなのだが、そこは伝統ある公爵家の財力と権力。私を延命させるために莫大な私財を投じてしまったらしい。良く分からなかったが、王国魔法研究所所長さんの力を借りて、魔光石と触媒を利用しての魔力注入? とやらを10年間も続けてしまったらしい。さんざん散財したり、怪しげな儀式をおこなったりしたとかなんとか。詳しく聞きたくないのでそこらへんは軽くスルーしてしまった。
誠実そうな顔とは裏腹に、ぺらぺらとおしゃべりな執事のピエールはしきりにハンカチで汗を拭っている。最初は何も心配いりませんとか話を誤魔化そうとしたのだが、私が延々と質問を繰り返した結果、呻き声をあげながら素直に返答してくれるようになった。渋い顔に似合わず意外と根性がない。
「なるほど。じゃあ、私のためにお金一杯使っちゃったんですね。貴方も大変だったんじゃない? お給料とか」
「……いえ、そのようなことは」
「あ、他の皆も私を恨んでるんじゃない? 本当はさっさと始末したかったとか!」
私がニコニコと語り掛けると、ピエールはビクッと一瞬震えたあとすぐにぶんぶんと首を横に振った。
「め、滅相もない! とにかく、どうかギルモア様には内密にお願いいたします! このようなことをミツバ様に話したと知られたら、どんな罰を受けることか」
「もちろん内緒にしておくけど。それで、私の他の家族は何も言わなかったんですか? だってそんなに無駄遣いしてたら怒りますよね」
「……そ、それは。わ、私の口からはなんとも」
「そっかそっか。うん、それはそうですよね。死体同然の、しかも腹違いの娘にお金を注ぎ込んで良い顔する訳ないよ。私も嫌だと思うし」
うんうんと頷くと、ピエールの顔が更に青くなっていく。現在、父ギルモアの正室を務めているのは、第二夫人だったミリアーネとかいう人らしい。私の継母にあたる人だ。私の本当の母親が、いつまでたっても子供をつくれなかったため、周囲の圧力に負けて父は嫌々娶ったとか。夫婦仲は当初からぎくしゃくしていたようだが、私の出産、母の死亡、延命のために私財投入の経緯で更に悪化したと。今ではこの城館のすぐ近くにわざわざ別館を作って別居するほどの仲だそうだ。会うのが楽しみで仕方ない。どんな罵詈雑言を投げかけてくれるのだろう。楽しみでドキドキしてきた。
私が思わずニコリと笑っていると、ピエールの顔が青みが深くなってきた。貧血なのかもしれない。
「で、ですが。ギルモア様は、ずっとお待ちになられていたのです。ツバキ様がなくなられてからというもの、周りの者はこの館らから距離を取り始め、ギルモア様も人を避けるように。……あの時から、全てが変わってしまったのです」
「そっか。貴方も大変だったんだね。執事さんは苦労人だね」
「い、いえ、滅相もありません。私のことはどうでもよいのです。ただ、ギルモア様があまりにおいたわしく。周囲からは色々とよからぬ噂を立てられたりと、さぞかし心労を重ねられたことと存じます」
私は運ばれてきたスープに柔らかいパンをつけて食べる。あんまり美味しくない。
「んーそういえば」
「な、なにか?」
おかしなことに気がついた。私が誰なのかは大体分かったのだが、“私”は一体誰なのだろう。だって、私は産まれてすぐに植物状態になったのだから、言葉を喋れるのはおかしい。それに、なんか違う世界の知識が大量にある。ここにはテレビはないけど、私はテレビを知っている。あっちには魔法はないけど、こっちにはあるらしい。一体どういうことなんだろう。
「えっとね。私は、誰でしたっけ?」
「……ミツバ様にございます」
「うん、それは知ってるんだけど。でもよく分からなくて。聞いておこうかなって」
「…………」
「あ、狂ってないから大丈夫ですよ。全然大丈夫だから、安心してくださいね?」
ピエールは、腫れ物を触るような視線を私に向けている。残念ながら、多分私は狂ってないと思う。それとも、こういうことを考える事が狂っている証左なんだろうか。良く分からないので、私は「もう一度寝ます」と呟いて、布団の中にもぐりこむことにしたのだった。
次に目が覚めたとき、また父ギルモアの顔があった。一度顔を洗ってくると戻ったのは、本当は夢ではないかと不安で仕方なかったらしい。何度も抱擁され、頭を撫でられた後は、大量のお人形やおもちゃをプレゼントしてもらった。あまりに多すぎて、部屋内は足の踏み場がないほどだ。少しずつ買い溜めていったら、倉庫を埋め尽くすほどになってしまったとか。この部屋にあるのはまだまだ一部。散財の原因の一つに違いない。このクローブ家の家計簿は相当にやばそうだ。こんな人が当主をやっているらしいので、このブルーローズ州の領民は大変だろうなぁとピエールにそれとなく聞いたら、内政は行政官がおり、軍事は派遣された国軍が担当しているから何も問題ないそうだ。中央集権化がかなり進んでおり、貴族には些か世知辛い世の中のようだった。それでも働かずに贅沢な暮らしができちゃうのだから、貴族万歳である。きっとそのうち罰が当たるに違いない。
「どうだねミツバ、何か気に入ったものはあるか? この中になければ、なんでもすぐに買いにいかせよう」
「いえ。なんだかたくさんありすぎるので、ちょっとずつ遊んで行きますね。当分飽きません」
「……そうか。お前のために買っておいた服も、それはもう沢山あるのだよ。お前の母の故郷から取り寄せたものから、都で流行のドレスまで。なんでもあるし、なんでも用意させる」
「ありがとうございます、えっと、お父様」
「ははは、なに構うものか。今まで何もしてやれなかった分、いくらでも我が儘を言いなさい。どんな願いだろうと何でもかなえてやる。必ずだ。なんでも言いなさい」
これではただの親馬鹿である。執事ピエールさんによると昔は武闘派の魔術師で、ブイブイ言わせていたとか。王国陸軍の将官として領土拡張、植民地獲得に東西南北を駆け巡っていたらしい。その頃の逞しい写実画が部屋に立てかけてある。若い頃の父ギルモアと、母ツバキが並んでいる。正装を着込んだギルモアはそれはもうエリートっぽい感じ、母のほうはなんだか着物みたいなものを着込んでいる。父いわく、異国の魔術師――陰陽師だったそうだ。ギルモアとは魔術交流がきっかけで知り合ったのだと、惚気話まで聞かされてしまった。
「御覧、これがお前の母さんだぞ。髪の色は私と同じだが、目や顔立ちは母さんにそっくりだ。将来は、間違いなく美人になるな」
「これが、私のお母さんですか」
母の黒の長髪。私は銀色。父も銀髪。髪色は父から遺伝したようだ。他の要素は間違いなく母譲りだろう。何せ、人形みたいなまん丸の瞳はさっき鏡で見た私とそっくりだ。この母を夜中に見たら、多分驚くと思う。市松人形っぽいし。私は銀髪なので、市松人形にはなれないのである。使用人たちが私を見て挙動不審だったのは、それが原因かもしれない。
と、アルバムには他の写真も挟まれている。不機嫌そうな顔をしたギルモアの右側に表情の硬いツバキ、左には見慣れぬ金髪をした気位の高そうな女性が並ぶ。その手前に小さな子供が二人、緊張した様子で直立していた。
「こっちは?」
「……一応、今の私の妻にあたるミリアーネだ。そして、こいつらが長男のグリエルと二男のミゲルだ。ああ、もう少し早くお前が生まれていれば、あんな女を迎える必要はなかったのだがな」
嫌悪を露わにして、絵を睨みつけている。この絵をわざわざ残しているのは、多分ツバキがうつっているからだろう。
「兄上たち?」
「ああ、まぁ、一応はそうなる。……グリエルは軍属としてこの近くの駐屯地に、ミゲルは上院議員として都にいる。会う機会は殆どないだろうから、気にしなくて良い」
「こちらの母上は?」
「ふん、何をしているかなど知らんし知りたくもない。いや、むしろ知る必要もない。どうせ別宅に若い男でも連れ込んでいるだろう。金と権力以外興味のない女なのだ!」
そう吐き捨てると、苛々した様子で絵を端へと追いやる。夫婦仲は非常に宜しくないのは理解できた。
「さて、ミツバよ。悪いが、これを持ってみてくれないか?」
「青い水晶、ですか。えーと、これは薔薇の杖ですか?」
「うむ、中々綺麗なものだろう。少し早いかもしれないが、いわゆる保険というやつをかける。さぁ、遠慮なく握りなさい」
どこからか杖を取り出したギルモアが、私へと差し出してくる。先端には青い水晶がくっついており、その中には薔薇の花が埋められている。杖の握りの部分には、何だかとてもきめ細やかな装飾がほどこされており、年季を感じさせる色合いだ。なんとなく、このまま手にとっていいものかどうか悩む。この杖から妙な気配を感じる。オーラというかなんというか、普通じゃない感じ。
「どうかしたのか?」
「えっと。この杖、なんか普通じゃないというか、その」
「流石は我らの娘、早速杖の性質に気付いたか」
「?」
悪そうな顔でニヤリと笑うギルモア。その目には狂喜が浮かんでいる。
「……確かにこれは普通の杖ではない。だが、決して害になるようなことはない。だから、安心して手に取るが良い」
「はい。分かりました」
遠慮した方がよさそうな気がプンプンしたが、私が持たないことには話を終わらせてくれる気はないようだ。仕方なく、その青水晶の杖を握り締める。うん、やっぱり違和感しかない。これは、私のものではないという感じ。杖も嫌そうな感じだし。というかこちらに敵意をむけ始めた気配がある。長く持っていると危険かもしれない。とりあえず投げ捨てようかと考え始めたところ。
――と。ギルモアが何かブツブツと小言で呟き始め、私に向かって手を翳した。青く眩い光がギルモアから私の中へと入り込む。痛みは感じない。同時に、先ほどまでの違和感が消失していた。今は、これは私のものであるという感じ。杖も反発していない。
「今のは、なんです?」
「ちょっとしたおまじないだ。今、この杖に、お前という存在を深く刻み込んだ。魂の刻印とでもいおうか。とにかく、これで、あらゆる災禍からお前の身を守ってくれるだろう。これは、お前のものだ」
「そうなのですか」
「うむ。部屋からでるときは、常にその杖を持つようにしなさい。まだ歩くのにも慣れていないだろうから、それを補助に使うと良い。少し荒療治だった分、徐々に慣らしていかねばならぬ」
どうやら親馬鹿パワーが炸裂したようだ。高級品の杖をわざわざプレゼントしてくれたのだろう。最初の違和感が気になるところだが、ここはちゃんとお礼を言うべきだ。私はまだまだ半病人だし、この父がどれだけ散財マンだとしても、今の所唯一の味方である。
「ふふ、しかし、まさか一回で上手くいくとはな。流石は我が娘、眩いばかりの才能よ。……誰が売女どもにこの家をくれてやるものかよ。ブルーローズの名は、私とツバキの娘こそが受け継ぐべきなのだ。誰が何を言おうとも、グリエルなどにくれてやるものかッ!!」
目に暗い光を携えて、ブツブツ呟いている。複雑な家庭環境なのはさっき知ったので、それ関連のことなのだろう。私としては平和にそれなりに優雅な毎日を送れればそれがベストである。詩とか書いて、お茶を楽しんだりとか優雅っぽい。なにせ10年間植物状態だったのだから、いきなり貴族特有のごたごたにぶちこまれるのはごめんである。死にたくはない。
「お父様?」
「……いや、なに、なんでもない。さて、少し外を歩いてみないか。中庭には、お前の母が好きだった花を沢山植えてあるのだ。これからは、お前の好きな花もどんどん植えていこう。体力が戻ったら、最高の教育を受けさせて、最高の生活を送らせてやる。いずれ大人になったら、最高の婿も見つけてやる。今までの分を取り返すのだから、誰よりも幸せな人生を送らねばならん。この父が必ず叶えてやる」
駄目な父親が一人。そんな財産が残っていると良いのだけど、はたしてどうなることやら。ピエールや今の奥さん――ミリアーネが聞いたら憤死するんじゃないだろうか。私はそんなことを考えながら、適当に杖を振り回していた。ギルモアは上機嫌で私の頭を撫でると、一緒に中庭に向かって歩き始めた。