第十六話 おわらないババぬき
「失敗した、だと?」
イエローローズ家当主、ヒルードが不機嫌そうに眉を顰めて訊きかえす。苦悶の表情で跪いているのは、代々召抱えている密偵集団『毒蛇』の頭領である。主の命に従い、情報収集やら流言飛語、暗殺から人さらいまでどんな汚れ仕事でも行なってきた。無論、それに見合った報酬と栄誉も与えてきた。もちつもたれつで、お互いに栄えてきた間柄だ。先日、当主の座を継いだばかりのヒルードも、当然関係を引き継いでいる。
「……はっ。対象の始末に失敗しました。同時に呪いの解除にも失敗。リーマス様の御友人は、心不全により死亡したと連絡が入っております」
息子リーマスの頼みにより、ヒルードは『毒蛇』に呪い人形への対処を指示。呪い人形を脅迫あるいは拷問し、魔術を解除させた後で始末しろと。解除がどうしても無理なら、そのまま殺してしまえとも伝えていた。妹のミリアーネから『折を見て厄介者を始末して頂きたい』と依頼もあったので、これを機に処理してしまう算段だったのだ。それがご破算となった。考えてもいなかった事態に、ヒルードは苛突きを抑えられない。
「何故だ。お前達の働きぶりは亡き父から聞いている。それが嘘ではないということもこの目で見てきたつもりだ」
「…………」
「失敗した理由をきかせよ」
「……今回は、僅かとはいえ足がつかぬようにと暗殺者を雇い入れました。かなりの手練れだったのですが。我らには想像もつかぬ、異常事態が起こったとしか考えられません」
「どういうことだ。まさか、失敗原因の調査すら出来ていないのか?」
ヒルードが頭領を睨みつけるが、その表情は先ほどから変わらない。口惜しさというよりは、どうしようもないという苦悩がにじみ出ている。裏稼業の人間がこのような表情を浮かべるのは実に珍しいことだ。
「部下を見届け役としてつけたのですが、精神に異常をきたしております。回復するまでは、ご報告はできません。また、回復の見込みもありません」
「…………。それで、雇い入れた者はどうなったのだ。死んだのか?」
「……暗殺者の身体は液状化して肉塊となっておりました」
「肉塊?」
「はっ、髪、肉、骨、臓器がドロドロに混ざり合っていると申しましょうか。煮凝りが一番近い状態かと。装束と装備品から判別したのですが。なによりも恐ろしい事に、あの状態で死んでいないのです。騒ぎが大きくなる前に控えていた部下が全ての肉塊を回収。それは三時間奇声を上げ続けた後、ようやく動きを止めました」
「それで、ミツバはどうしたのだ」
「呪い人形の周りには常に紫の靄が漂っており、準備なしに手を出す事は危険と判断し撤収を指示いたしました」
頭領の顔色が更に悪くなっていく。情報を武器とするのが密偵だ。それが、分からないと報告しなければならないのは屈辱なのだろう。
「ミツバは丸腰で、鉄格子の中だったのではないのか。一体何をしたというのだ。たかが小娘に何ができるというのだ」
「今はまだ何も申し上げることができません。暗殺者は隠し持っていた短銃で始末しようとしたようですが。部下の報告によれば、確かに発射した痕跡はあったとのこと。あの至近距離で外すとは思えません。あれは対魔障壁も所持していたため、ミツバの魔術によるものとも思えません。銃弾は、確かにミツバを貫いたはずなのです。……先ほども申し上げましたが、何らかの異常事態が発生したと考えます」
「……異常事態」
ヒルードは顎に手を当てる。ミツバに胡散臭い噂がある事は知っている。両親を呪い殺した、幽閉した塔には串刺しに死体が貼り付けられていた、執事と使用人を皆殺しにしたなどなど。だが、当然ながら信じていない。ミリアーネが己のために流した悪評だと確信している。流言を用いるのが妹の得意な手段だからだ。その手をつかってブルーローズ家第一夫人の座を獲得し、最後には丸ごと乗っ取ってしまった。妹ながら恐ろしい人間だと思っている。
「銃が暴発した可能性は?」
「ないとはいえませんが」
「……ならばもう一度試してみるか。息子の友人は助からなかったが、やることは変わらぬ。始末することに変わりはないのだ」
対魔障壁を暗殺者は持っていたと聞いた。では、一体肉塊とされた原因はなんだ。そして銃弾は当たったはずだという報告。ならばどうしてミツバは死んでいない。正体が全く分からないことにヒルードは不安を覚える。なにせ、ミツバやその父を姦計で陥れたのはミリアーネ。ミリアーネの出身がイエローローズ家であることも勿論知っている筈。その兄であるヒルードは当然怨敵の一人とみなしていることだろう。厄介な敵を抱えるのは望ましいことではない。偶然の事故に過ぎないとしても、直ちに始末したいところだ。
「恐れながら申し上げます。次の襲撃では直接的な手段は避けるのが賢明かと」
「何だと? まさか毒蛇の頭領ともあろう男が、小娘ごときに脅えているのか?」
「そうではありません。ですが、直接手を下す場合ですと段取りに幾らかお時間を頂かねばなりません。代わりに手早く始末する手段を準備してございます。僅かな量でも内臓を腐食させる猛毒を奴の食事に仕込み、ご子息の友人と同様の最期を遂げさせます。調理人は既に買収しておりますので、ご命令さえいただければ直ちに」
先ほどまでの苦悶の表情は掻き消え、頭領が殺意を露わにする。常套手段が効かないとしても、やり方はいくらでもあるのだ。これならば任せても大丈夫だろうとヒルードは確信する。
「なるほど。それならば、友人を失ったリーマスの怒りも少しは和らぐことだろう。よし、一切をお前に任せる。見事仕留めて見せよ」
「ありがとうございます。直ちに取り掛かります。朗報をお待ちください」
頭領は頭を下げると退出していく。後ろ姿を見送ったヒルードは、何故だか分からないが落ち着かない気分になる。泥沼に手を突っ込んでいる、そんな印象が脳裏から拭えなかったのだ。
◆
――陸軍士官学校、学長室
「…………職員が自殺? いきなりなんの冗談だ」
「残念ですが、冗談ではありません。自室で首を括って死亡しているのが発見されたそうです。勤務態度に問題があるとは聞いておりません」
事務官が冷静に報告してくる。ここ最近面倒ごとが立て続けに発生している。占星術間の小火、反省部屋の異臭騒ぎに謎の銃痕、騎兵科学生の変死。どれもこれもあの厄介者が絡んでいる。どうせ今度もそうだろうと、パルックには確信がある。
「首吊り自殺。で、またあのミツバと関連があるというのだろう?」
「はい。自殺したのは、謹慎の際に監督官を勤めていた職員です。例の異臭騒ぎの後、錯乱状態にあったようですが。遺書の代わりに、このようなものが」
差し出されたメモ。そこには、蚯蚓がのたくったような字で『溶けたくない』と書かれている。さらに差し出された報告書を眺めてから、深い溜息を吐く。
「……一体なんだというのだ、あの少女は。彼女が来てから、異常なことが立て続けに起こっている」
「もしかすると、本当に呪い人形なのでしょうかね。そうだ、景気づけに悪魔祓いの札でも貼っておきましょうか。私はお守り代わりに常備しているのですが」
懐から多種多様な護符を取り出して見せてくる事務官。実に怪しげで効果がありそうには思えない。対魔効果すらなさそうだ。この事務官はいつもこんな感じで他人事なのだが、今回ばかりはからかわれているようで思わず苛立ちを覚える。
「やけに他人事じゃないか。いつ君に不幸が降りかかるか分からんのだぞ。もう少し真剣にだな」
「それなら大丈夫ですよ。私は絶対に彼女に近づきませんから。彼女に関する指示を頂いた場合は即座に退職させていただきます。触らぬ神になんとやらです。嫌な予感がするので絶対に近づきません」
事務官は表情を真剣なものに変えて断言してくる。
「何を大げさな。まさか、本気なのかね」
「ええ、命あってこそです。貯金はそれなりにありますので、商売を始めるのも悪くありません。幸い軍に人脈も構築できましたし」
本気で辞めるつもりなのだろう。懐から封筒を取り出すと、退職願と書かれた書類を見せてくる。『命に都合が悪いので本日をもって辞めさせていただきます』と達筆で記されている。わざわざ退職届けまで用意してある段取りのよさに、苛立ちは呆れに変わってしまった。
「……全く、本当に世渡りが上手い奴だ。だが私はそういう訳にはいかん。立場上逃げられないし近づかないわけにもいかないぞ。全く、どうしたらよいものか」
パルックは禿げあがった頭を乱暴に撫で回す。何故自分が学長のときにこんな厄介なことが起こるのか。さっさと退職金を貰って楽隠居したいというのに。ここにきて不祥事など冗談ではない。騎兵科の学生の変死はかなり危ういところだった。ミツバとの関連が知れ渡っていなければ、自分のせいにされていたかもしれない。恨みと怒りの矛先はミツバに集中してくれた。まさに不幸中の幸いである。
「それは困りましたね」
全然困ってなさそうである。完全に他人事だ。これくらいの割りきりも必要かと、大胆な考えを口に出してみる。
「よし。ならばいっそのこと卒業させてしまうか。例えば今月末にだ。大砲の取り扱いだけでも覚えさせておけば問題はあるまい。私が太鼓判を押そう」
思い付きだが、中々良い考えに思えてくる。その方向でいってみようかと、思考が前のめりになってくる。
「それは、まさか一ヶ月でということですか?」
「そういうことだ。在学期間の規則は4年だが、最短の縛りはない。無理やり加点して卒業試験不要にしてしまおうではないか。卒業試験についても学長権限で全て免除だ。そうだな、極めて優秀なため、これ以上の学習の必要を認めず、でどうだろうか。軍に押し込んでしまおう」
自分でも相当苦しいと思う。が、自分の命と名誉と楽隠居が第一である。送り込まれた先のことなどしったことじゃない。ミツバの将来のことなどそれこそ知ったことではない。保身こそ全て。
「それは難しいと思います。というか無理ですね」
「どうしてもか? 頑張ればどうだ」
「頑張っても無理です。そんな特別扱いをすれば嫌でも目立ちますよ。しかもたった一ヶ月で卒業なぞ前代未聞です」
「むむ」
「しかも彼女は11歳という最年少卒業の栄誉を背負っての卒業になります。しかもしかもです、ありとあらゆるいわくつきの呪い人形。そんな少女を厄介払いとばかりに軍に送り込んだと知れれば、学長の名は軍だけでなく王国中に広まりますね。おめでとうございます」
「……それは、なんというか、非常にまずいな。私の家に銃弾どころか砲弾が撃ちこまれかねん。ただでさえ、貴族様方を特別扱いしてることで、下級士官から逆恨みされているからな。命が何個あっても足りんぞ」
自分のせいではないのに、たたき上げの士官連中からは恨まれる。しかも前線でしぶとく生き延び戦歴を重ねてきた連中である。怒らせたら怖い。だから夜には出歩かない。
「残念ですがせめて一年間は我慢すべきでしょう。その間に、砲兵科での経験を積み重ねさせてしまえばよろしいかと。何か課題を与えて加点するのも良いかもしれません。例えば、実戦に参加させてしまうとか」
「ア、アレを、じ、じ、実戦だと!? 君は正気なのか!?」
思わず目を見開く。が、事務官はなんということはないと淡々と続ける。
「ええ。緑化教徒――カビどもの鎮圧戦とかいいんじゃないですか。それか共和派のイカれた連中を相手にさせるとか。相手方に犠牲が増えるなら皆さん大喜びです。誰も困りませんし」
「……なるほど、毒をもって毒を制すか。それに万が一彼女が死んでも誰も文句を言わない。なるほどなるほど、確かにそれは良い。あー、これはどこに許可を申請すれば良いのだ? 陸軍本部かね?」
「はい。後はそうですね。王都警備局、治安維持局、それと王魔研の方にも根回しが必要でしょう。つながりがあるようですから」
「ああ、ニコレイナス所長か。理由を考えるのが手間どりそうだが」
奴とミリアーネのゴリ押しで入学を認めたのが最大の間違いだった。とっとと引き取らせたい。退学させてしまえと一瞬過ぎるが、後が怖い。自分の葬儀の画が浮かんでしまい、慌てて首を振る。
「ニコ所長ならばむしろ喜ぶのでは? これまでのことを報告した時も、全く問題にしていないようでしたし」
「アレは天才だが変人だからな。全く度し難いよ。……ああ、しかし疲れた。もう今日は何もしたくない。悪いが早引きすることにしよう。なんだか胃も痛くなってきた」
嘘じゃなくキリキリと本気で痛い。強力な胃薬を処方してもらわなければ。いつもは嫌味の一つでも飛ばしてくるのだが、苦しみが伝わったらしく事務官も素直に頷く。
「承知しました。お体が第一ですからね。お大事に」
「ありがとう。後は任せるよ」
パルックは手を上げると、帰り支度をいそいそと始める。何か起こる前にとっとと退散したい。今日はきっと厄日に違いないという直感がある。賭け事には弱いのに、こういう予感だけは当たるのだ。
そこへ慌しくドアが開き、事務官に何かを伝える職員。事務官の顔が嫌な感じに歪む。死ぬほど聞きたくないなとパルックは思った。だが、聞かずに帰ったらきっと寝れない気がする。先送りすればするほど苦しみは強くなるものだ。
「……今度はどうしたというのだね」
「先に胃薬を貰いに行く事をオススメしますけど。今すぐに聞きたいですか?」
「いいから言いたまえ」
「はい。我が校の第二食堂調理人が、休憩室で死亡しました。検死した医師によりますと、全ての臓器が腐り落ちていたようです。どうもスープが原因のようですが。本人が自分の昼食用に調理した物とのことなので、自殺の可能性が高いと」
「…………」
「ちなみに、ミツバは指導室で自習中ですので、何かするのは無理ですね」
「…………おお、神よ」
パルックは額を押さえてソファーにもたれかかってしまった。やっぱりあれは呪い人形だった。一度抱えてしまった以上、簡単には手放せないのは当然だ。美人だが狡賢いミリアーネが押し付けてきた理由も分かる。それが最善だと判断したからに違いない。ならばやるべきことはただ一つ。なんとか目をつけられないように生き延びて、次のなすりつけ先を探し出す事である。視線を事務官に向けると、ぷいと顔を逸らされた。
――誰でもいい。誰でもいいから、アレを引き取ってくれ。
パルックはそんなことを考えながら、最後は己が信仰を捧げる大輪の神へと祈りを捧げ続けた。