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第十三話 あなたはみつば

「ただいまー。ってこの部屋に入るの初めてですけど」


 手荷物を抱えた私は、見慣れぬ部屋の鍵を開けてこそこそと入る。陸軍士官学校の寮は、基本的に四人で一部屋らしい。勿論、歩兵科と砲兵科のみ。貴族様は一人一部屋。だからこんなに広い敷地が必要になるのだなぁと、私は納得したのであった。

 そんなわけで、私はクローネとサンドラと同室となることが決定。20期砲兵科の女子は二人だけだったから、必然的に私がそこに投入となる。一応男女の区別はしてくれるらしい。本当はもう二人女子がいたらしいけど、とっくに脱落してしまったとか。色々と見切りをつけたんだろうとクローネがさっき言っていた。と、そのクローネが素晴らしい笑顔で迎えてくれる。


「お、来たねミツバ。さぁさぁ、どうぞ中へ中へ」

「あ、ありがとうございます。やっぱり一緒だったんですね」

「うん、女子の仲間が増えてめでたくもあるが、今晩からこの部屋における私の領地が減ってしまうわけでもあるんだ。だから、歓迎会と残念会を兼ねて、安物のワインを用意してきたんだけど。どう?」


 色気のない室内着に着替え済みのクローネが、見るからに安っぽい瓶とあんまり綺麗じゃないグラスを掲げた。服はアレなのに、やたら色っぽい。それに背だけじゃなくて胸もでかい。これはきっと男連中にモテモテである。


「…………」


サンドラは呆れた表情で、寝る準備を整えている。出迎えの言葉もなく、完全に放置プレイ。でも目はあったのできっと意思疎通はとれている。多分。手を振ってみる。スルー。がっかり。


「ありがとうございます。でも、私が飲んでも大丈夫でしょうか」

「ま、良いんじゃないの。酒飲んだって別に死ぬわけじゃないし。死ぬときは死ぬしね。とはいえ、二日酔いでも、明日の授業と訓練は逃がしてくれないけどね」

「じゃ、じゃあ頂きます」


 遠慮がちに頂く。でも飲む気満々である。酒は百薬の長だしね!


「先に言っておくが、私は眠らせてもらう。享楽主義者に自分のペースを崩されたくない」

「あーはいはい、知ってるよ。だから誘ってないんだよ。未来の議員様はとっとと寝ちまいなよ」


 露骨に嫌そうな顔でしっしっと追い払う仕草をとるクローネ。


「ならいいんだが。ミツバも馬鹿に付き合わずにとっとと寝ることをお勧めしておく。……お休み」


 一応挨拶はしてくれたサンドラ。だが、部屋の明かりは消され、中央に強引につけたと思われる仕切りの安物っぽいカーテンもピシャっと締められた。完全に隔離! 本当に容赦のない性格である。


「やれやれ。これだから過激思考のインテリ女は嫌なんだ。こんなものまでつけちゃって。妥協を知らないのさ」


 クローネが苦笑しながら、備え付けの小さなランプを取り出す。魔光石を使ったランプ。でも安物だからあんまり明るくないとのこと。がっかりランプ。


「はい、これでよしっと。……いつもこんな感じさ。私とは相性が悪い上に、性格も正反対でさ。だからチビが同室になってくれて助かるよ。いやぁ、二人きりだと空気が重くてさー。いつも男連中のところで飲んでたんだ」

「クローネの仲間の人ですか?」

「そうそう! 歩兵科や砲兵科在籍で頭の悪い連中ばかりだけど、それが意外と面白いんだよ。馬鹿貴族よりは遥かにマシってね。私も貴族の端くれらしいけどさー」

「なるほど。面白いなら楽しみです」

「そのうち紹介するつもりだけど、どいつもこいつもチビの噂にビビっててさー。本当に情けない連中だよ。腰抜けかっての。あ、とりあえず乾杯しようよ乾杯。――はい私たちの明るい未来に乾杯!」

「乾杯!」


 いつの間にかワインの注がれていたグラスを軽く打ちつけ、口を付ける。うん、甘味はなくてとても渋い。というか渋すぎ! 芳醇な香りとかそういうのないし! ワインは分からないけどこれ絶対安い!


「お、『安物だこれ!』って顔だね。大当たり! あはは、私もようやく表情を読み取れるようになってきた。チビは顔立ちは良いんだからさー。いつもの良い笑顔と無表情だけじゃ、味気ないよね」

「えーっと。私の良い笑顔ってなんです?」

「そりゃもうあの悪い顔さ。いやぁ、なんというか凄みがあるよね。真夜中に出くわしたら殺人鬼も腰を抜かすね。そうか、あれなら恐怖で兵を縛れそうだ。チビはチビだけど、それがあれば軍でも大丈夫っぽいね」

「それは良かったです」


 今度は意識して悪そうに笑ってみる。歯をむき出して、若干顔を造る。多分、嗤えているはず。なんか、そういうオーラを勝手に纏ってそう。良く分からないけど。


「……うわー、それそれ。いやー本当に良い笑顔だね。お姉さんが花丸をあげよう。さ、続いてもう一杯。あと、本当に怖いからそろそろ顔を戻してね」


 頬をツンツンつつかれたあと、もう一杯強引に注がれる。


「あの。これ本当に超渋いんですけど。しかもなんというか、アレです」

「そりゃ驚くほど安物だからね。満足できる高級品が飲みたいなら、もっと頑張って偉くならないと。今満たされたら向上心がなくなっちまう。そういう自分への戒めも篭めて、私は安物を飲んでいるんだ。良い心がけだろう?」

「かもしれませんが、ただお金がないだけでは」

「ははははは! チビは鋭いね!」


 景気良く一気飲みするクローネ。豪快だ。私は普通に飲む。うーん赤ワイン独特の渋みが凄まじい上になんというか軽いし匂いもあれだ。まさに安物ここに極まる。なんでワインの味が分かるかは、多分、どこかで飲んだ事があるからだろう。良いのか悪いのかは知らない。言えるのは、もっとおいしい物を飲みたいということである。


「あ、そうそう。私の夢はさっき話したよね。今度はチビの夢も聞きたいね」

「私の、夢?」

「そそ。夢や野望もなく、流されるままに生きるってのは、つまらないと思うなー。何か持ってたほうが人生楽しくない? あ、もしかしてお国や王様の為に頑張ろうとかそういう奴だったり?」

「全然そういうのはないです。会ったこともないし、本当にどうでもいいです」

「あはは。はっきり言うね。普通は濁すところだけど」

「はっきり言います」


 義理もなければ忠誠心もない。国や故郷への愛情もない。ないないづくしである。滅んじゃっても多分なんとも思わないか、へーで終わると思う。なるほど、私は薄情なのかもしれない。知らないけど。手を叩いて喜んだりはしないと思う。多分。私は。


「じゃあ、軍人になりたいのは食べる為? よくある話だけど」

「それもありますけど、勉強したいならここが良いって教えられました」

「そうかー。チビの動機はサンドラに似てるんだね。んー、もう少しアレだ。ギラギラとした野心が欲しいね。溢れるような金が欲しいとか、死ぬほど偉くなるとか、良い男を捕まえるとかさー」


 どこからか豆菓子を取り出すと、小皿にじゃらじゃらと入れる。手でどうぞどうぞと合図されたので、つまんで口に放り投げる。これは塩が効きすぎている。でも安物ワインにはピッタリだ。相性抜群。


「――私の夢、野望。したいこと、かなえたいこと」


 夢、希望、野望。なんだか私には縁遠いようなことに思える。生きてこそ、という生存第一の考えがまず浮かんだ。人間、生きてるだけで丸儲けと偉いひとが言ってた気がするし。やっぱり安定こそ第一!

 次にぼやーんと浮かんできたのは明るく楽しく生きたいという前向きな考え。とても無邪気で夢に満ち溢れた温かい空気が湧いてくる。面白いことに沢山触れて、沢山の友達を作るのだ。世界はこんなにも楽しいことであふれているのだから。

 ……最後にそれを包み込む靄のように浮かんできたのは――。残念だけど、人にはとても言えないようなことである。それをごまかすために、豆をばりぼりと口に放り込む。


「お、今度はしょっぱい顔だね。何か誤魔化したかったのかな? ふふ、私はチビの表情研究の第一人者になれそうだ」

「誰でも分かりますし。そんなものになっても良いことはないですよね。多分」

「いやいや、この先にあるかもしれないじゃないか。チビがどこかで偉くなったら、交渉で有利になるし」

「そうですかね。って私といつか対峙するんですか?」


 どんな場面なのか想像もつかない。


「そういう可能性もあるだろう。私とチビの夢がぶつかりあったらさー。でも男を取りあうとか、修羅場はいやだよね。うん。大体は譲るから言ってね!」


 そう言ってグラスを飲み干すクローネ。かなりご機嫌だ。このうるさいなかで寝ていられるサンドラも只者ではない。


「……まぁ、とりあえずですけど」

「うん? あ、好みの男の話? 私は私の言うことを聞く奴がいいなぁ。優男でも強面でもなんでもいいけど、命令は遵守してもらわないと。たてつく奴は鉄拳だよね」


 それは恋人ではなく上司と部下の関係だと突っ込みたいが、ここはスルー。せっかくいい話をしようとしているのだから。


「いえ、夢の話ですよ。今の私にははっきりとした夢がないので、まずはしっかりと生きて行こうと思います。なにせ、私は意識を取り戻してから半年しか記憶がないんです。この先、どうしたいかなんて全然分からないというのが正直なところです」

「…………ふむ」

「……でも、全力で生きないと、最初に面倒を見てくれたお父様に顔向けできないかなって思うんですよね」


 父ギルモアは死んでしまったので、もう恩返しとか親孝行はできない。唯一できそうなのは、精一杯生き抜くことだ。私が誰なのかすら分からないけれど、まずは生きてこそ。生き抜かないと駄目だ。精一杯頑張った上で死んじゃったなら、そのときは仕方ない。色々苦労してくれたお父様にも顔向けできる。多分。想い出はないけど、恩はある。


「そっかそっか。確かに、大きな夢や野望があっても、死んじゃったら何にもならないよね。生きてこそか。チビは中々良いことを言うね。ささ、もう一杯いっちゃおう」

「ありがとうございます」


 酒のペースが速くなる。渋みに慣れて来たおかげ。でも、酔いは全然回らない。気分が良くなるということもない。渋いジュースをひたすら飲んでいるような感じ。でも、クローネと飲むのは面白い。


「中々強いんだね。私も結構強いつもりだけど、チビは全然顔色が変わってない。あ、無理してるならいつでもやめなよ。楽しくないと意味がないからさ」

「全然平気っぽいです。やりました」

「そっかそっか。じゃ、遠慮なくやってくれ。へへ、在庫は机の下にしまいこんであるのさ。腐るほどというか腐ってるのもあるよ!」


 机の下を指差す。古い木箱には、瓶の上部分だけが覗いている。本当にカビ生えてるのもあるし。在庫放出の日が恐ろしい。


「――というわけで、私の当面の方針を発表します!」

「お? うんうん、ばしっと決めちゃおう。勢いは大事だよね」

「臨機応変に生きていくことにします。だから、無事卒業して軍人になっても、いざとなったら逃げることにします」

「うーん? でも敵前逃亡は銃殺だよ。その方針で本当に大丈夫かな? 執行人になったら泣いちゃうかも。いや、多分泣かないけど」


 クローネがちょっと真面目に忠告してくる。それはそうだろう。むしろ、敵前逃亡する兵を始末するのが士官の役目なんだし。でも、命あっての物種と今の私は考えるので、きっと逃げるだろう。――私が私のままならば。


「ほら、戦っても死ぬって分かってるなら、逃げた方が可能性がありますし。第一、敗軍の将は死罪っていうのが古来からの定説ですけど、実際に処刑された人ってあんまりいないはずです。……それにこの顔なら、死人のフリができそうですしね。敢闘した体で逃げます」


 必殺の死んだフリ。敗戦濃厚なら、そのまま戦死したことにして脱走しよう。サンドラの言っていたアルカディナに渡航するとか。あれ、でも船乗るのってそんな簡単じゃなさそう。


「あはは! 確かにチビの顔色と身体つきならごまかせそうだけど。あはは。いやぁ、チビは見かけによらず中々話ができるね。うんうん。良いルームメイトになれそうだ。よーし、チビを砲兵科での女友人第一号にしてあげよう! というかなっておくれ!」


 クローネが手を差し出してきたので、握り返す。友達ゲット。


「それはどうもありがとうございます。……あれ、サンドラは?」

「あれはただ部屋に一緒にいるだけかな。本当に話が合わないし。酒もつきあってくれないし。つまらないからいいよ」

「クローネは結構毒がありますね」

「うん、私は正直者なんだ。さぁ、わが友よ、もう一杯飲もう! 安いけど量だけはあるよ」

「カビたのはやめてくださいね」


 それから空が白みはじめるまで飲んだ私たち。なんと最後はクローネを潰すことに成功してしまった。私はやっぱり全然酔わなかったし酔えなかった。でも、トイレには結構な回数に行きました。まる。


 ――朝。私は学校に到着するまでに馬車で寝てたから大丈夫だったけど、クローネは死んだような顔をしていた。サンドラは心底呆れた表情をしていた。そして、部屋が死ぬ程酒臭いことにプンプン怒っていた。『享楽主義者への天罰』と古新聞を丸めて頭をたたかれてしまった私は、相当情けない顔をしていたことだろう。



「夢、希望、そして野望。全部良い言葉です。本当に、明るくて素敵ですね」


 ――そうそう。最後に、私の頭の中に浮かんでしまった靄だけど。それはドス黒くて、禍禍しくて、真っ暗で、咽るような死の臭いで溢れていた。この世界に悪意と苦痛をばら撒いてやる、みたいな感じだったし。あまりに毒々しい紫色で一瞬意識が途切れそうになった。でも私はとても落ち着いていた気がする。

 さっぱり意味が分からなかったので、とりあえずなかったことにしておこう。長い間植物状態だったから、その後遺症なのかもしれない。そういうことにしておく方が良いと思う。私の精神を安定させるためにもだ。

 私は多分狂ってない。最近は私が私に定着してきたような気もする。城館や塔にいた頃より、気分が楽なのだ。私は私になれてきた。私は私。だから、狂っていないのである。でも、誰かが保証してくれると嬉しいな。ミツバはミツバなのだと。


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