第81話:蠢く影
ピリンに寮へと案内されたサレン達は、夕飯までの時間を寮で過ごす事にした。
そして、ピリンは重い足取りでジェイルの下へと向かう。
ピリンはジェイルと同じく第一騎士団の所属であり、一般団員ではなく、班長の位に就いている。
赤翼騎士団北支部で言えば、一応上から数えた方が早いくらいには偉い。
「おや? ピリン班長ではないですか。珍しいですね」
「ジグザムか。ジェイル副隊長に報告があってな」
ピリンは他の団員から、常に訓練をしていると思われる位には訓練をしており、訓練所以外に居ると驚かれることがある。
逆にジグザムは最低限の訓練をするだけで、任務がない時は基本的にサボっている。
「報告と言うと、体験入団関連ですか? 確かピリン班長は女子の世話係でしたかな?」
「ああ。危うく死人の出る事件が起きてな」
「なんと……」
大袈裟にジグザムは驚きながら、体験入団で来ている二人の事を思い浮かべる。
一人は快活な青髪の少女。
まだ幼さが残るが、将来は良い女性にはなるだろうと、ジグザムは評価を下す。
もう一人はジグザムが案内をしている時もずっとフードを被ったままだった女性だ。
食堂でフードを取った時には、思わず目を奪われた。
――悪い意味で。
血のように赤い髪に、数人ほど人を殺していてもおかしくない、鋭い目付き。
幾人かは剣を抜きそうになったが、副隊長であるジェイルが何も言わないので、何とか耐えた。
鎧を着たランニングでは圧倒的な身体能力を見せつけ、重量挙げでは何やらおかしな挙動をしていた。
最後の型の素振りでは、あれだけの運動をした後だと言うのに、まったく身体の芯をブレらさずに五十セットを終えた。
他にも二人五十セットを終えたが、此方は本当にギリギリと言った感じだった。
何故こんな人物が、体験入団なんて子供の遊びに参加しているのか、謎でしかない。
「おそらくジェイル副隊長は執務室に居ると思いますよ。今日の報告書を書かないといけないと、少し前に言っていましたから」
「そうか。ありがとう」
軽く礼をしてからピリンは再び歩き出す。
何か考え込むように顔を下げる、ジグザムの横を通り抜け、執務室に向かう。
不気味な笑いを浮かべる、ジグザムに気付かずに。
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「開いてるぞ」
ピリンが扉を叩くと中からジェイルの声がした。
「失礼します」
「ピリンか。お前が来るとは珍しいな…………いや、お前が来るという事は、何か問題でもあったか?」
訪ねて来たのがピリンだったことに、驚くのもつかの間。珍しい人物であるピリンが来た事に、シェイルは青い顔をする。
「はい。第三訓練場に体験入団生であるミシェルとサレンディアナの二名を案内したところ、訓練中の騎士の剣が折れ、刀身がサレンディアナの所へ飛んでいきました。突然のことで私も反応できなかったのですが…………」
「待て、ストップだ。少し深呼吸させてくれ」
ジェイルはピリンの報告に待ったを掛け、リンゴジュースを飲む。
先程までとある人物が来訪していたため、ジェイルの胃は穴が開くギリギリだった。
なので、胃に優しいリンゴジュースを飲みながらせっせと仕事をしていた。
因みに来訪していた人物は、今頃臨時収入を懐にしまい、満面の笑みを浮かべているだろう。
「……ふぅ。すまなかったな。続きを頼む」
一度喉を潤した事で冷静になったジェイルは、ピリンに続きを促がす。
これから聞くピリンの報告は、どうあってもジェイルにとって悪いものだ。
――ジェイルは覚悟を決めた。
「はい。飛んできた刀身は……」
「……刀身は?」
「いつの間にか、サレンディアナの足元の地面に刺さっていました、目を離していて見えなかったのですが、おそらく叩き落としたのかと思います」
「……は?」
怪我人が出なくて良かったと思うも、サレンがやらかしたことを聞いて、思わず変な声が出てしまう。
「私の反応が間に合わなかったことから、刀身の速度はかなりの物です。当たれば致命傷か、即死は確実だったと思います。また、サレンディアナからは魔法の発生と思わしき魔力は感知されませんでした」
ジェイルが呆けている間もピリンの摩訶不思議な報告は続き、結果として怪我人は誰も出なかったことにだけ、安堵した。
ピリンは自分で言っておきながら正気を疑われそうな報告に、苦虫を噛み潰したような表情をするが、粛々と全ての報告を終える。
「……そうか。報告をありがとう。怪我人が出なくて何よりだが、しっかりと補償をしなければだな。それから、武具の点検についても見直す必要がありそうだ」
「ハッ! 先駆けて第三訓練場に居た者達には、備品の確認を命じておきました」
「助かる。しかし、本当に怪我人が出なくてよかった」
「それは同感であります」
赤翼騎士団は現在表向き有能とされているが、それは全て黒翼騎士団のおかげだ。
特にホロウスティアでは、ミリーの活躍が無かった場合、帝都にある本部から罪に問われていた可能性すらある。
都市の特色的に、最後の尻拭いだけを怠らなければ大丈夫かもしれないが、それでも事実を知る者からは 何を言われるか分からない。
何よりも先程までジェイルは、ミリーから直々に詰問されていた。
一応北支部では二番目に偉いのがジェイルで、支部長となる隊長は帝都でやっている会議に出かけているため居ない。
全てが全て赤翼が悪い訳ではないが、守るべき都市の安全を守れていないと言う点では、完全に赤翼が悪い。
情報の伝達をするはずの緑翼が、正常に機能していないのでどうしようもないとジェイルが反論するも、「だからなに?」とミリーは言うだけだ。
何せ、ミリーは赤翼と緑翼の数千人の騎士が出来なかった事を、ほぼ単独で解決している。
そもそも今回の王国が発端となる事件は、黒翼が出る予定ではなかった。
偶然サレンという異分子を見つけ、一緒に違法奴隷の関係者であるシラキリを見つけ、何故かそこに王国から逃げてきたと思われるライラが合流した。
そこからなし崩し的に事件へと関わり、あれよあれよという間に、ホロウスティア内に居た不穏分子を殲滅した。
都市に張られている結界から読み取った情報を元に、王国関係者を狙い撃ちに出来たのもあるが、単純にミリーが有能だったせいで、事件は一旦解決した。
後はギルド内での対処のみなので、結果が出るまで介入が出来ない。
事件の始まりから終わりまで、赤翼騎士団は完全に蚊帳の外だったのだ。
「剣などの備品は早期に確認をするとして……」
「はい。一歩間違えれば、無辜の民を一人、騎士が殺す所でした。その補償についてどうするかを決めて頂きたく思います」
背もたれに寄りかかり、ジェイルはピリンが見ているというのに、大きなため息を吐く。
ジェイルを散々いびったミリーだが、 一つだけジェイルに忠告をしてくれていた。
「サレンちゃんだけどね。関わらない方が身のためだよ。下手に関われば、能無しのジェイルじゃ身を滅ぼすだけだ」
どんな時でも煽るのを止めない、ミリーのありがい忠告だ。
なのに、この様である。
「……体験入団の終了日までに私自ら頭を下げ、相応の礼を尽くそう。それと、剣の折れた時の報告書を本人に出すように伝えておいてくれ」
「ハッ!」
ピリンは敬礼をして、部屋から退室する。
残されたジェイルは頭を掻いてから、どうやって補償するか考える。
一歩間違えれば死んでいたが、結果として無傷であり、サレンは一応一般人であるが、今回の体験入団中は契約書に怪我等の責任を騎士団は負わないとなっている。
しかし今回は全ての過失が騎士団側にあり、サレンはミリーの知り合いである。
口封じをしたとしても、ミリーに話がいった時点で、ホロウスティアの赤翼騎士団は白い目で見られることになるだろう。
だからと言って、過激に補償するわけにもいかない。
出来れば、この件はミリーに話が行く前に、内々に処理しなければならない。
或いは仕方のない事故……とにかく赤翼側の失点は防がなければならない。
「金……か」
無難な解決策は、金を渡す事だろう。
一応聖職者であるし、誠心誠意お願いすれば大丈夫かもしれない。
何はともあれ、先ずは会って話すしかない。
内々に処理するからと言って、一応報告書を作成しなければならない。
あくまでも、今ミリーに知られなければ、それでいいのだ。
「しかし、妙だな……」
少し落ち着きを取り戻したジェイルは、ふと違和感を覚えた。
赤翼騎士団で使われている剣は、訓練用の刃引きされている奴を含め、しっかりと管理されている。
特に赤翼騎士団は防御を主体とした戦いをするため、剣の状態は入念に確認している。
刃こぼれしたり欠けたりしたりはするものの、折れるなんて事はそうそう起きない。
仮に折れるにしても、何かしらの予兆があるはずだ。
罅が入ったり、大きな刃こぼれが有ったり。
騎士が見逃してしまった可能性もあるが、それでは騎士失格である。
鎧と剣は騎士にとって命と同じ位大事な物であり、訓練だからと疎かにしてはならない。
それに、あまりにもタイミングが良すぎると言うのもある。
まるで何者かが赤翼騎士団を揺るがそうとしている…………そんな不気味さを、ジェイルは僅かながら感じた。
(野外での疑似任務だが、何か起きる可能性があるな)
念には念を入れて冒険者を三人雇っているが、不測の事態が起きないとは言い切れない。
ホロウスティアでの見回りや、門番の人員を数人削れば、連れていける騎士を増やすことは出来るが、もしかしたらそれ自体が狙いかもしれない。
考えれば考えるだけ深みにはまり、ジェイルの胃が悲鳴を上げる。
偶然ならば、それが一番良い。
しかし、何者かの思惑により今の状況に陥っているならば……。
赤翼騎士団内に、不穏分子が居るということになる。
ピリン「(何故副隊長は珈琲ではなく、ジュースを飲んでいたのだろうか?)」