第67話:ちょっとした日常
盛大に盛り上がった酒場での演奏だが、前回の様に朝までなんて事はしなかった。
明日はベルダさんの所に本を受け取りに行かなければならない。
ついでにさらに追加で百冊ほどお願いしておかないとだ。
冒険者ギルドでの布教の感じでは、今頼んでいる分は全て無くなってしまうだろう。
酒場から出る時に、イノセンス教の教徒になっている人達で希望する人には酔い覚ましの奇跡を施し、俺の分の支払いを肩代わりしてもらった。
とは言っても元々俺の分は店側が無料で良いと言ってくれたので、そんなにお金は掛かっていない。
ミリーさんへの相談は、ギルドでの布教が終わってからすると伝えた。
その頃には鞘も出来上がっているし、持ち歩いても大丈夫だろう。
そんなわけで一夜明けた次の日。
「おはようございます。本日はまたベルダさんの所に行った後、女神像の作製について相談してきますが、どういたしますか?」
いつも通りに、ライラとシラキリが起こしに来たので、今日の予定について確認する。
「我は少し用事があるので、今日は別行動させてもらおう」
「私は付いて行きます!」
ライラは例の事についての準備を進める様だな。
俺から口を出すような事ではないし、好きにさせるのが一番だろう。
シラキリは最近ずっと勉強の為に籠っていたし、たまには一緒に行動するのも良いだろう。
シラキリが異常に強いのは分かっているし、アーサーも居るから護衛としては問題ない。
それに常識的な知識も覚えてきているし、知識面でも助かるはずだ。
「そうですか。気を付けて下さいね」
「うむ。これから当分忙しなくするかもしれんが、許してくれ。ではな」
それだけ告げてライラは部屋を出て行った。
あの感じでは昨日の時点で何か掴めていそうだな。
確か二ヶ月ちょい後にある婚姻式の前に行動を起すと言っていたし、時間はあるようでない。
「それでは私たちも行きましょうか。アーサーも待っているでしょうからね」
「分かりました!」
シラキリと手を繋いで部屋を出て、外で待っているアーサーと合流した。
そしてひな鳥の巣でただ飯を食べるついでに名刺の事を店長に聞いてみた所、ベルダさんの所で作れることを教えてくれた。
考えてみれば、本を作れるのだから名刺を作れてもおかしくない。
デザイナー的な人も、どうせいそうだし。
また名刺の文化があるのはこのホロウスティア位らしい。
理由は製紙技術の関係だ。
この都市は名前の通り実験的な事を数多くやっている。
新しい事を始める場合、最初はどうしても赤字を出してしまう。
その赤字について、この都市では基本無視されている。
技術の発展に、犠牲は付き物と言う事だ。
ついでに聖書の量産を始めた事を伝えた所、一冊買うと言ってくれた。
因みにアーサーはレイラにもうアタックをされていた。
これがイケメンの力と言うものか……女性との付き合いの大半はキャバクラだった俺からしたら、羨ましいものである。
今になって思えば、ある意味独り身で良かっと思える。
もしも心残りが有れば、もっと荒れていただろう。
ルシデルシアとディアナによって助かった命だが、ルシデルシアに殴り掛かっていてもおかしくない。
結局向こうでは彼女が出来た事は一度だけで、数年付き合って別れて以降はずっと仕事漬けだった。
そう言えばある時を境に、徐々に人付き合いに対する感覚が、変わった様な気がするな。
女性と付き合いたいと言うよりは、女性とただ一緒に居たい様な……。
性欲もあるにはあったが、徐々に薄くなっていった様な……。
『……その、すまぬな』
(謝るな。別に気にしてなんていない。どうせお前やディアナの感情が俺に干渉していたんだろう?)
ルシデルシア曰く魂の格的なものが、二人に比べて俺の方が低い。
その為、影響を受けやすいそうだ。
もしかしたら俺の趣味が増えていったのも、そこら辺が関係しているのだろう。
今となっては過ぎ去りし過去だ。気にしても仕方ない。
そんな事を考えている内に食べ終え、ベルダさんの所に向かった。
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「来たか。これが頼まれていた五十冊だ。確認してくれ」
「ありがとうございます」
ベルダさんの店に入ると、五十冊が纏めて置かれており、インクの匂いが漂ってきた。
一冊だけ纏められていないのがあり、それを軽くパラパラと捲り確認するが、問題はなさそうだ。
薄めの文庫本程度の大きさだが、五十冊ともなるとそこそこの量がある。
ちゃんと鞄を持ってきて良かった。
「大丈夫そうですね。それと、追加でもう百冊お願いしたいのですが」
「百冊? そんなに刷って大丈夫なのか? 仮に古本屋へ売るにしても、二束三文だぞ?」
新興宗教が最初からそんなに本を作っても、大丈夫なのかと心配になるのは分かる。
だが冒険者ギルドや酒場があの様子では、多分何とかなりそうなんだよな。
「大丈夫です」
「まあ頼まれたならば刷るが、受け取りは三日後以降で頼む。支払いは今でも後でも良いが、どうする?」
「前払いでお願いします」
十万ダリアをポンと渡し、確認してもらう。
少々痛い出費だが、売れば多少プラスになる。
今だけの辛抱だ。
金が少なくなって荒れた心を、シラキリの頭を撫でて鎮める。
「それと、名刺も作っていると聞いたのですが、お願いできるでしょうか?」
「名刺だぁ? 確かにやっているが、専門の所と違って割高になるぞ?」
「構いません。日頃から使うものは、信用できる所にお願いしたいので」
ベルダさんは目を見開いた後、ニヒルに笑ってから座るように言ってきた。
仕事とは値段も大事だが、信用第一である。
安かろう良かろうだと、後々問題が起きる可能性もある。
かと言って、高ければ高い程良いわけでもない。
互いに利がある関係。それが重要だ。
ベルダさんの様な年寄り……じゃなくて、職人気質の人は、下手に仕事が出来る人よりも付き合いやすい。
最初は面倒だが、信頼関係を築けたならば、親身になってくれる。
納期の関係で、どうしても明日までに製品が欲しいとなった時など、普通なら断られてしまう案件も場合によっては引き受けてくれる。
こちらも誠意を見せる必要はあるが、此方の事を理解してくれる人はありがたいものだ。
「おーい! お茶を頼む。それと、仕事だ」
ベルダさんの対面に座り、隣にシラキリとアーサーが座ると、ベルダさんがお茶を頼んだ。
少しゴタゴタと音がした後、前回の時と同じく少女がお茶を運んでくる。
お茶を置いて直ぐに逃げようとする少女を、ベルダさんが捕まえて隣に無理やり座らせた。
「いつまで怖がってんだ。見た目は怖いが、このシスターさんは良い人だぞ?」
「だ、だってー……」
俺の髪より暗い赤い髪をおさげにした少女は、俺を見ながらビクビクと震えている。
その様子を見ているシラキリの様子が変わり始めたので、頭を撫でて宥める。
「こいつは俺の孫のリベラってんだが、腕は良いんだが見ての通り気弱でな。ほら、自己紹介しろ」
「リ、リベラと申します……えっと、何の仕事でしょうか?」
やれやれとベルダさんが首を振るが、一応補足してくれた。
このリベラはデザイナー兼印刷の彫師をやっている。
俺が描いた絵を本に落とし込んだのも、リベラなのだそうだ。
腕は確かだが、気弱なせいで他の会社では働けず、ここでベルダさんが面倒を見ている。
そして今回リベラが呼ばれた理由だが、名刺のデザインを話し合うためだ。
無地に名前だや役職だけでも良いと思うのだが、折角なら少しインパクトがある物にしたらとベルダさんが提案してきた。
値段は高くなるが、リベラとしっかりと話し合って纏められたら、まけてくれるそうだ。
つまるところ、リベラの荒治療に協力してくれって事だ。
祖父として、社会に馴染めそうにないリベラが心配なのだろう。
安くしてくれると言うならば、協力するのもやぶさかではない。
「名刺を作りたいのですが、どの様なものにすれば良いのか分からいのです」
「名刺……ですね。一般的には名前やお店の住所を入れたり、何の仕事をしているか、分かりやすくする絵を入れたものとなっ…………ています」
「私はシスターなのですが、どんな感じのが良いでしょうか?」
腕が良いという事は、しっかりと知識もあるはずだ。
それを先ずは試させてもらおう。
リベラは紙とペンを取り出すと、 長方形の枠を描いてから、さらさらーとデザインを描き始めた。
「こんなのはどうでしょうか?」
名刺の右上に十字架があり、半分より下辺りから薄く赤く染まっている名刺。
イメージカラーと十字架により、どんな職の人なのか。どんな感じの人なのかを簡単に表している。
シンプルなので値段も安くなるし、悪くない。
まあ俺の感想はどうしても現代寄りになってしまうので、シラキリとアーサーの意見も聞いてみよう。
「シラキリとアーサーはどう思いますか?」
「……何かこう。違ったインパクトが欲しいです」
「そうですね。ここはイノセンス教の正式なシンボルなんてどうでしょうか?」
そう言えば一応シンボルも考えてあったな。
一応リベラの描いた十字架がシンボルの一部だが、俺が描いたのはそこに十字架を抱えたような翼がある。
因みにこの世界にある宗教で、十字架をモチーフにしているのは幾つかある。
正確には俺が十字架と呼称しているだけなのだが、別に話さなければ問題ない。
ただリベラが正確に描かずに簡易化したのは、その方が印刷するのが楽だからだろう。
図形は複雑になればなるほど、印刷の手間が増える。
インクプリンター何て便利なものは無いのだろうからな。
「い、一応出来ますが、複雑になると印刷費が上がって……」
「一応描いて頂いてみてもよろしいでしょうか?」
「わ! 分かりました」
シンボルは今回量産した聖書にも描かれているので、実際にそれを落とし込んだリベラは特に何も見ずに描いていった。
ついでに空いているスペースに、ちょこっと付け加えていた。
「こ、こんなので如何でしょうか?」
「良いと思います!」
「そうですね。サレン様に相応しいかと」
名刺としてはギリギリシンプルの範疇に収まりながら、重要な所に目が行くように意匠が整えられている。
多少若者向けの様に感じるが、周りの感性に合わせた方が、きっと良いだろう。
「因みに最初のと此方ではどれ位料金が変わりますか?」
「原版製作費はどちらも一緒ですが、印刷費は二割増し程度です。えーっと……おじいちゃん……」
最後の最後でリベラはベルダさんに泣きつき、料金のすりあわせを行った。
物としては二回目に描いて貰ったデザインに決まり、初期費用二万ダリアとなった。
一枚辺り百ダリアで、十枚一気に刷ると一枚おまけとなる。
因みに割引無しの場合、一枚辺り百五十ダリアとなっていた。
正直百ダリアでも高いと感じてしまうが、致し方ない。
とりあえず二十枚と、名刺ケースをお願いした。
「サービスとして版画じゃなくて、手書きで作ってやろう。二時間もありゃあ出来上がるが……どうする?」
二時間か……ドーガンさんの所で鞘を受け取って帰ってくれば、それくらい掛かるか。
「それでしたら近くで少し用事がありますので、また二時間後にお伺いします」
「そうか……なら本は置きっぱなしで良いぞ。持ち運ぶのも大変だろうしな」
「ありがとうございます」
それではドーガンさんの所に向かうとしよう。
レイラ「アーサーさんすっごいイケメンだったよねー」
アイリ「うーん。あれは止めといた方が良いよ」
レイラ「えっ?」
アイリ「(隠しているみたいだけど、あれ結構殺ってるよねー)」