第37話:異変と意変と遺貶
日が沈み、暗闇が世界を覆い始めてから数時間が経った頃。
サレンが拠点としている廃教会の周りに、人型の黒い影が複数蠢いていた。
結局酒を飲めなかった事にサレンは少し落ち込みながら、既に夢の中だ。
寝ているのはサレンだけではなく、ライラとシラキリもなのだが、寝ているはずのシラキリの耳が大きく動いた。
ぱっと目を開けたシラキリは直ぐに横で寝ているライラの服を引っ張った。
「――ようやく来たと言った所か。数は?」
「五人」
目を覚ましたライラは起こされた理由を問うこともなく、状況を理解した。
そしてシラキリも、いつもの様な活発な雰囲気は鳴りを潜め、淡々としている。
「態々動き回っていた甲斐がある。我は出るから、お前は寝ていろ。直ぐに終わらせる」
ライラは直ぐに装備を整えようと、立ち上がろうとするが、シラキリが服から手を離さない。
何故? と問うことはない。シラキリの行動は、全てサレンから始まり、サレンへと終わる。
ならば、何を考えているかを察するのは容易い。
「相手はプロだ。お前では死ぬ可能性がある。それでも来る気か?」
「はい」
今廃教会の外に居るのは、ライラが目的の者達だ。
ライラが目的だが、この廃教会に居る全ての人間を生かしたままにはしないだろう。
ライラが負けるはずもないが、絶対などありえない。
何より、この戦いは自分のためになると、シラキリは確信していた。
二人は音を立てないように気を付けながら、素早く装備を整える。
ライラはいつもの八本ではなく、機動性を重視して四本まで数を減らした。
家から持ってきた剣は装備せず、火風土闇の魔導剣だ。
シラキリはいつもの様に小刀を二本装備した。
「刃物の攻撃を生身で受けるなよ。奴らは毒を使うからな」
「(コクリ)」
闇に溶けるようにして、二人は外へと向かう。
平和なはずの日常が、瞬く間に壊れようとしていた。
だがそんな中、サレンは異変に気付くことなく、すやすやと寝ていた。
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(これが終われば、一旦マシになるか)
コネリーと話していた暗殺者の男は、内心で愚痴をこぼす。
目標であるライラを見つけたのは、ユランゲイア王国からホロウスティアに来て直ぐの事であった。
飲食店から出てきた、印象的な髪。それさえ見つければ、後は息を潜めながら尾行するだけだ。
運が良いことに、ライラ達はスラムの奥の方に住んでいる。
サクッと殺して帰れば、誰かに追われる心配もない。
男はそう思っている。
ライラに対して、罪悪感は微塵もない。
その様な教育を施されたのもあるが、実際にライラの戦いを見ているからだ。
ライラは武器の関係で、広い場所での戦闘を得意としている。
狭い場所ではグローアイアス家から持ち出した剣の能力を発揮できず、ただの剣としてしか使えない。
なのに、暗殺のプロを何人も屠って見せた。
僅かな隙を突き、特殊な毒を与えて相打ちとなるはずだったが……。
偶然通りかかったシスターが回復させてしまった。
(今回は……下手は打たん)
男はハンドサインで、周りに居る味方へ指示を出す。
その時だった。
月の光に反射しながら、何かが飛んできた。
男は瞬時に回避行動を取ったが、仲間の内の一人に、何かが突き刺さった。
(剣か……既に気取られているのか)
スラムには街灯などなく、僅かな月明かりが差し込むだけだ。
暗視が出来たとしても、先手を取れている方が強い。
男は直ぐに散開し、剣が飛んできた方を囲むように動く。
相手は一人だけだ。
一気に畳みかえれば勝機はある。
ゴトリ。
何か重いものが、地面へと落ちる音がした。
そして、その場をすぐに飛びのいた。
(一人では無いだと!)
男が目にしたのは、白い兎の耳だった。
剣筋に躊躇いはなく、回避が一瞬でも遅れていれば、男の首は落とされていただろう。
殺意は微塵も感じなかった。
殺す事を何とも思わない、暗殺者向けの剣。
冷汗が頬を伝うのを感じながら、男は腰から四本の短剣を投擲した。
掠っただけで相手を死に至らしめる、王国秘伝の毒。
使うのは最低限に留めるべきだが、四の五の言っていられる余裕はない。
殺す事に対して意味を求めない相手という事は、とても厄介だ。
暗殺者の天敵は暗殺者なのだ。
闇の中に二本の剣閃が走り、全て弾かれる。それは予想の範囲内だ。
足を止めさせ、次の行動に移るまでの時間が稼げれば良い。
「ブラックバレット。アースバインド」
二つの魔法を続けさまに唱え、シラキリがブラックバレットを回避した先にアースバインド設置しておく。
ブラックバレットは闇属性の弾を飛ばす魔法であり、闇が深ければ深いほど威力が上がる。
アースバインドは地面を僅かに陥没させ、相手の足を捕らえる。
どちらも魔法としては弱い部類だが、相手が体勢を崩してくれれば良いのだ。
僅かな隙さえ作りだす事が出来れば、一瞬で命を刈り取る事が出来る。
しかし、ここで男が予想だにしない動きを、シラキリは見せた。
普通ならば魔法で迎え撃つか、避けるのが手だ。
これだけ闇が深ければ、ブラックバレットは骨程度なら砕く威力になる。
獣人であるシラキリでは、避ける以外の手はない。
月明かりがシラキリの持つ小刀に反射し、揺らめいた。
そして、シラキリは真っすぐ駆け出した。
自らを回転させながらブラックバレットを斬り裂き、地面を削りながら男に向かって水の剣撃を放った。
ほんの僅か。時間で言えばコンマ一秒もない驚き。
それが、男の命運を分けた。
「そいつは生かしておけ」
声が聞こえた直後。男の両腕が地面へと落ちた。
男は崩れ落ちながら、聞き覚えのある声がした方を見る。
そこには大振りの剣を一本持ち、血に濡れたライラが立っていた。
その横にはストンとシラキリが着地し、小刀を振るった後に納刀した。
周りからは何も音がしない。つまり、生き残りは男だけなのだろう。
「少し不安があったが、任せて正解だったようだな」
「……」
男は黙した。
いや、諦めたのだ。
失敗した以上、男が生き残るすべはない。
仮にこの場から逃げられたとしても、コネリーが生かしておくはずがないのだ。
「半信半疑だったが、やはりお前が来たか。あの男の手駒では随一だったはずだが、無様なものだな」
サレンの前では見せない貴族としてのライラは、冷たく男を見下ろす。
ライラの心の奥にある憎悪は、こびり付いたヘドロの様に濁り固まっている。
憎悪のままに殺戮してしまいたいが、ライラがこの男を生き残らせたのには理由がある。
「貴様。奴隷の身から解放されたくないか?」
「……ころ……せ」
「貴様を縛る契約という呪いを、解呪する術を我は知っている。貴様の力はあの男には惜しいものだ。此方に付くと言うならば、自由を与えてやろう」
男は暗殺者としても、諜報員としても優秀だ。だから、コネリーの下でも今まで生きてくる事が出来た。
自分を追い詰め、死へと至らしめたこの男を、ライラは買っている。
必ず自分や、サレンの力になるはずだと。
だが男の心は死んでいた。
死こそ救いだと。生こそ枷だと思っている。
褒められたのは確かに嬉しい事だ。だが、それだけだ。
何も話そうとしない男に苛立ちを募らせ始めるライラだが、残された時間はそう多くない。
そんな中、シラキリが動いた。
「あなたの幸せって、何?」
(幸せ? 幸せって、俺の? 俺は……俺は何故?)
本当に些細な言葉だが、それは男の根底にある願いを揺らす言葉だった。
命じられるままに殺し、命じられるままに戦ってきた。
そんな事、誰だってしたくはない。
運悪く違法奴隷商に捕まり、能力を買われて暗殺者として育てられた。
けれど……。
(俺は……)
過去の記憶。殺しを。罪を重ねるにつれて、いつしか忘れてしまった、自分がやりたい事。
「人を……誰かを助けられる様な……」
知らず知らずの内に、男の眼から涙が溢れていた。
そんな様子を見て、ライラは頭をガシガシと掻く。
「チッ! シラキリ。こいつを教会の方に運び、シスターサレンに治療してもらえ。どうなったとしても使い道はあるからな」
「はい」
シラキリは男を抱え、サレンが寝ている廃教会へと走っていた。
それを見送ったライラは直ぐに振り返り、転がる死体を全て焼き尽くして灰にした。
そして、ジッととある建物の方を見つめた。
「居るのだろう?」
その呟きに反応するように、闇の中から一人の女性が音もなく現れる。
「やあ。良い戦いぶりだったね。相手は国? それとも公爵?」
世間話をするように、ミリーはにこやかに笑っていた。
人の死に対して、何とも思っていない様子だ。
「公爵だ。我の剣は奴らにとって国宝みたいな物だからな。まあ手に入れた所でただの剣としてしか使えんだろうがな」
「確か王が欲しているんだっけ? なんでそんな厄介な物をかっぱらってきたの?」
「頼まれたのだ。真に使える者にこそ、従えるべきと言われてな。向こうがこれ程固執しているとは計算外だったがな」
ライラは最初に投げた剣を回収し、鞘に納める。
この剣は土の魔導剣で、とある魔法を発動させていた。
だからライラはこの暗闇の中でも、普通に戦う事が出来ていたのだ。
そして、ミリーを発見した。
ミリーはライラの魔法に気づいていたが、敢えて自分の居場所を知らせた。
「なるほどね。確か三ヶ月後に、第二王子の婚約者を決めるらしいから、それまでに剣を奪おうってした感じかな?」
「三ヶ月……か」
この世界で一ヶ月は五十日あり、ホロウスティアからユランゲイア王国まで急げば二日で行く事が出来る。
ライラならと頭に付くが、普通に行くにしても五日もあれば着く。
自分の鍛錬と、サレンの説得。装備の準備や工作。
計画の立案に、必要な資金の調達。
決して時間があるとは言えないが、事を起こすのならば、丁度良い機会だ。
「あー。もしも何かやる気なら、私に話をしてよね。場合によっては少し位なら手を貸せるかもよ」
「助かるが、他国の問題に手を貸してよいのか?」
「駄目だけど、面子の問題もあるからね。帝国で好き勝手やる奴らに、温情なんて必要ないでしょ?」
そんな殊勝な事は微塵も思っていないミリーは、あたかもそう思っていますといった雰囲気を出す。
実際は合法的に他国へと行って、サボりたいだけである。
ミリーに愛国心は、瓶の底に残った酒よりもない。
「そうか。あの男だけは貰い受けるが、構わぬか?」
「当事者同士の問題だから、好きにして良いよ。その代わり、武器は回収していくからね。それじゃあねー」
ミリーは暗殺者達が使っていた武器を全て拾い、スラムの中へと消えて行った。
その動きはこれまでライラ達とダンジョンに潜っていた時よりも滑らかで、見惚れるほど静かなものだった。
「――強者……か」
死の間際、祖父が話した事を少し思い出し、頭を振って直ぐに追い出す。
月が少しだけ傾き、廃教会へと帰って行くライラを照らしていた。
ミリー「(ライラちゃんの方は分かるけど、シラキリちゃんは可笑しくないかな~)」
暗殺者隊長「(暗殺者を雇っていただと!)」