初公演(三十と一夜の短篇第47回)

作者: 惠美子

 歌劇場の通用口から練習を終えたオーケストラの楽団員がぞろぞろと出てきた。一人が出口近くで立ち止まった。しばらくして舞台の装置係たちがぽつぽつと姿を見せ、その中の一人が佇む楽団員に手を振った。


「待たせたな」

「いや、急がせたんじゃないか?」


 楽団員と装置係は肩を寄せ、叩き合い、今日の仕事を労い合った。早速馴染みの店に行き、夕食と至福の一杯を味わい始めた。キノコにチーズを添えて焼いた前菜(つまみ)に、干しだらと野菜の煮込み、牛肉のグリルに胡桃のソースがけ、コメのサラダと皿が並ぶ。


「マエストロの訃報を聞いてから初演の日まであっという間だ」

「まだ気が抜けないよ。マエストロは気難しい」


 装置係は笑った。自分が言ったマエストロは歌劇の作曲家で、楽団員が言ったのは指揮者を指している。

 マエストロ――、優れた音楽家への敬称として使われる。

 1924年11月にイタリアの作曲家が亡くなった。癌を患い、治療を受けながら歌劇を作曲中で、第三幕第一場までの総譜と、最後の場面までの構想が残された。それらは作曲家の弟子に託され、歌劇は1926年1月に完成した。

 完成された歌劇の総譜を渡された指揮者はそれをまた構成し直し、初公演に向けて早速演奏の練習を始めた。

 指揮者は60近い年齢でなお矍鑠として、周囲から敬われつつ恐れられている。


「あの癇癪持ちのマエストロには誰だって敵わないさ」


 ヴァイオリン担当の楽団員は葡萄酒を一口飲んだ。


「不思議なものでマエストロに怒鳴り散らされなきゃ、かえってどこか体を悪くしているんじゃないか、それともあまりに演奏が下手過ぎて見捨てられたんじゃないかと心配になってくる。慣れは怖い」


 装置係は舞台側でリハーサルを見ているので、その様子は理解できる。


「マエストロが真剣に取り組んでいるのは伝わってくるし、音楽がぴたりと決まって響いてくるのが俺みたいなのでも判るから、最高の舞台にしたいと誰でも協力したくなる」

「確かにな。指揮棒を武器にしなけりゃもっといいんだが」


 装置係は慰め気味に楽団員のグラスに葡萄酒を注ぐ。


「思想信条は自由主義と言っていながら、音楽には一切妥協しない、私の指示通り演奏しろ、歌えと来たもんだ。ミラノ、スカラ座の王様だ」

「王様なら手あたり次第物を投げつけたりしない」

「そのうち指揮台や大道具を投げ出すんじゃないか?」

「俺たちが舞台を投げ出さないでいるのに感心するよ」


 楽団員がフォークで乱暴に皿の肉の一切れを突いた。装置係は周りを見回し、そっと囁いた。


「それよりも自由主義者のマエストロとスカラ座の支配人は大丈夫なのか?」


 楽団員は気にせずに喋った。


「誰だってジャコモ・プッチーニの遺作の世界初公演の栄誉を逃したくないんだから、マエストロのはったりだろう。

 統帥(ドゥーチェ)が臨席するから、その際にはドゥーチェの政党党歌の『ジョヴィネッツァ』を演奏しろと要求があったのに、『私以外が指揮するならいい』ってマエストロが答えた。

『ジョヴィネッツァ』の指揮をしろというなら、『トゥーランドット』の指揮も含めてほかの奴にやらせろ、だろ?

 全世界注目の舞台の指揮者を今更挿げ替える度胸が支配人にあるとは思えない」

「ドゥーチェのご機嫌とマエストロの腕とどちらを取るか、賭けをしている奴らがいるくらいだぞ。ファシスト党の黒シャツ隊が大人しくしているだろうか?」

「どうかな?」


 楽団員は肩をすくめた。


「当日スカラ座に黒シャツ隊が押し掛けていようが、俺たちは指揮者が合図したからできうる限り最高の演奏をする。これは変わらない」

「そうだとも。支配人が『トゥーランドット』の公演は取り止めると泣き言を言い出すには遅すぎる。幕が上がったら最高の歌劇を創り上げる。俺たちにはそれしかない。席にドゥーチェがいようが、指揮台にいるのがマエストロかどこかの見習いになろうが、なあ」

「ああ、俺たちの名前が出ようが出まいが、俺たちが作り上げてきた成果を見せる晴れ舞台だ。邪魔はさせない」



 1926年4月25日、イタリアのミラノ、スカラ座で単なる新作歌劇の初日ではない、作曲家ジャコモ・プッチーニの遺作である『トゥーランドット』の世界初公演の日が来た。世界中の歌劇の愛好者の耳目が集まっている。

 それとは別に、統帥(ドゥーチェ)ベニト・ムッソリーニと巨匠(マエストロ)アルトゥール・トスカニーニ、この公演にそれぞれが互いの面子を賭けているとミラノっ子の誰もが知っていた。独裁政権の国家(ドゥー)元首(チェ)の意向を無視できるのか、それともクラッシック音楽界で名声を(ほしいまま)にする指揮者の主義主張を通すのか、音楽以外の話題でも持ちきりになっていた。

 スカラ座の聴衆たちは好奇の面持ちで開演を迎える。

 現れたのは正装に身を包んだマエストロ・トスカニーニ。観客たちから思わず吐息が漏れた。支配人は国家(ドゥー)元首(チェ)よりもマエストロの意向を優先したのだ。貴賓席にはムッソリーニの姿はない。歌劇好きで、プッチーニの遺作の初公演を楽しみにしていると公言し、ミラノに滞在しているはずなのに、来ていない。ファシスト党党歌の演奏を諦めて、時間をずらしてそっと入って来るのか。気が気でない。

 聴衆や楽団員の気を知ってか知らずか、トスカニーニは両手を上げ、開演の合図をした。音楽が流れ始める。妙なる調べとともにスカラ座は現実から切り離される。東洋を模した意匠の舞台装置、衣装をまとった歌手たちが舞台に姿を見せる。

 そこは架空の世界の中華帝国。

 求婚者たちに謎かけをし、謎に答えられなかった者たちを処刑してきた姫君。姫に恋した亡国の王子が求婚し、姫の出す謎に答える。結婚したくない姫に王子は自分の名を当てたら、首を差し出すと申し出た。夜明けまでに姫は王子の名前を知ろうとする。誰も眠ってはならない。夜に姫は王子とその父の側にいた召使いの娘を捕まえて、名前を教えよと拷問をするが、王子を愛する召使いは口を割らず、遂に剣を奪い取って自害する。

 召使いが歌い、自らの刃に倒れると、トスカニーニは指揮棒を置いた。


「ここでマエストロは筆を断ち、亡くなられました」


 トスカニーニなりのプッチーニへの追悼の気持ちであったのだろう。マエストロの突然の行動に驚いた聴衆たちは納得したように拍手で応え、この日はこれで幕となった。ヴァイオリンの席から楽団員は舞台袖にいた装置係に視線を向けて、やれやれと肩を動かしてみせ、安堵の笑みを浮かべた。

 翌日の新聞にはムッソリーニの声明が載せられた。

 曰く、「私の来場で観客の注意を逸らしたくない。観客はプッチーニ最後の作品に集中すべきだ」

 譲歩を余儀なくされた政治家の言い訳だ。

 その日からの『トゥーランドット』は弟子が作曲した分を含めての最後――愛に目覚めた姫と王子の大団円――まで演じられた。

 ムッソリーニ政権はその後も続き、流石のマエストロも身の危険に晒されるようになり、活動拠点をアメリカ合衆国のニューヨークへ移した。第二次大戦でムッソリーニが斃れアメリカ軍がミラノに入った時、戦災を受けたスカラ座に『トスカニーニを戻せ』の看板が立てられた。ミラノ市民、音楽ファンの心からの願い。同じ独裁者でも戦争の荒廃をもたらさず、精緻な楽の音で恍惚を呼ぶ指揮者を求めた。

 1946年、復興されたミラノ座の(こけら)落としの指揮台にトスカニーニが立った。かの楽団員と舞台装置係は喜んで出迎え、最高の舞台作りに務めたであろう。

参 考

巨匠(マエストロ)神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか』 ノーマン・レブレヒト著 川津一哉・横佩道彦訳 文藝春秋

『トスカニーニの時代』 ハーヴェイ・サックス著 髙久暁訳 音楽之友社

『珍談奇談 オペラとっておきの話』 ヒュー・ヴィッカーズ著 井口百合香訳 音楽之友社

『ピアニストという蛮族がいる』 中村紘子 文藝春秋

 また、Web上で『オペラ名曲辞典』とウィキペディアを参照しました。