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ミーア・ホログリム 

「バ、ガルオス様のお部屋は隣ですよ」

 いつものようにバルドさんと言いかけて、慌ててガルオス様と言い換えた。

 相手が誰かもわからないのに、親しげに名前を呼んだらまずい。


「そうだったんですね!すみません。間違えました」

 女性はペコリと頭を下げると、急いで移動しようとした。

 しかし、バルドさんは確か今日はいつもより帰りが遅くなると言っていたはずだ。


「あ、お待ちください。ガルオス様は、確か今日遅くなると言っていましたよ」

 急いで、移動する女性を呼び止めた。

「え?そうなんですか。では、あなたの部屋で待たせてください」

「え?」

 私はびっくりして女性を見た。


「あれ、聞こえませんでした?私は疲れているんです。あなたの部屋で待たせてください。隣だからちょうどよいでしょ?」

 コテリと可愛らしく小首を傾げた。

 バルドさんのお知り合いのようだし、確かにこのままドアの前で待つのは大変だろう。


「わかりました。お入りください」

 女性はニコニコと中に入ると、勧められる前にソファに座った。

「私は、ホログリム子爵が娘ミーアといいます。ミーアって呼んでいいですよ。あなたは?」

「セシリアです」


「やっぱり平民なんですね!とても綺麗な所作だから、もしかしたら貴族かもと思ったけど、貴族の女性がこんな所で一人暮らしするわけありませんよね」

 無邪気に微笑んだその瞳に、こちらを下に見るようなものが混ざった。


「紅茶は何でもよいです。平民の紅茶に期待しませんから気にしないでくださいね」

「お気遣い感謝します?」

 ニコニコと優しげに微笑むミーア様に、何と答えてよいか分からず無難に答えた。

 何でもよいとは言われても、相手は貴族だ。

 私は王城でも飲まれている紅茶を淹れることにした。


「どうぞ」

「ありがとうございます」

 ミーア様は一口飲むと、あらとばかりに目を細めた。

「セシリアさん、こんな上等な紅茶どうしたんですか?まさか盗んだんですか?」

 何とも失礼な言葉だ。


「私の家は紅茶を扱う商会ですので。お気に召しませんでしたか?」

「あ、そうだったんですね。よかった」

 ミーア様は安心したようにニコリと微笑んで、残りの紅茶を飲んだ。

 謝罪の言葉はないようだ。


「甘い物も食べたいです。お父様ったら、急にお仕事が入ってしまったから、お昼は少ししか食べてないのよ?」

 ミーア様はプクリと頬を膨らませた。

 甘い物まで催促されてしまった。

 私はしょうがないので、バルドさんが作ってくれたナッツクッキーを出した。


「ええ〜、手作りのクッキーですか?買ったクッキーがよかったのに……。でもしょうがないですね。これで我慢します」

 残念そうなミーア様に、せっかくバルドさんが作ったナッツクッキーを出すのは嫌だが、他に甘い物はなく私は渋々出した。


「あら、意外に美味しいですね」

 さすがバルドさんのナッツクッキーだ。ミーア様の口に合ったようだ。

「お腹が空いていると何でも美味しく感じます」

 どうにもミーア様の言葉は引っかかってしまう。

 でも、ご本人を見るに悪気は無さそうなのだ。


「ありがとうございます。いつからお待ちになっていたのですか?」

 私は話を変えることにした。

「夕方からずっと待っていたのですよ!せっかくお兄様に、王都の美味しいレストランに連れて行ってもらおうと思ったのに……。まったく、私がせっかく来たのに遅くなるなんて、お兄様ひどいですよね?」

 ミーア様がプンプンと怒った。

 お兄様?

 ミーア様はバルドさんの親戚か何かだろうか?


「ミーア様は、ガルオス様のご親戚ですか?」

「いいえ。私とお兄様は幼馴染なんです。私の領地とお兄様の領地は隣同士で、よくお茶会をしたんですよ。お兄様は、優しくて格好よくて私の王子様です。早く会いたかったのに、遅くなるなんてひどいです」

 なるほど、幼馴染なのか。

 私も同じ幼馴染ならヘンリーではなく、バルドさんがよかった……。

 あれ?でも、バルドさんが約束を守らないのはあり得ないような?


「お約束されていたのですか?」

 ミーア様がキョトンとされて、首を横に振った。

「いいえ?学園を卒業して以来、一年振りだから驚かそうと思って内緒で来たんですよ。せっかく驚かそうと思ったのにひどいでしょう?」

 ひどいひどいと言うが、それではバルドさんが知らなくてもしょうがない。


「事前にご連絡を入れたらよかったですね。ガルオス様は約束を守る方ですから」

 私がそう言うと、ムッとしたようにミーア様が睨んだ。

「ひどいです。セシリアさんは私が悪いというの?」

「いえ。ガルオス様は、ミーア様が来るなんて思ってもいなかったでしょうから、責めるのはお気の毒かと思いました」

 ミーア様は、私を涙目で見つめた。


「セシリアさんて、もしかしてお兄様の愛人なんですか?だから、庇うのでしょう?」

 私は愛人の言葉に、ギョッとして目を見開いた。

「焦った顔をしたわ。やっぱり、そうなんですね」

「まさか!私はガルオス様の友人です」

 私は慌てて否定した。


 ちょうどその時、隣の部屋の鍵が開く音がした。

「ガルオス様がお帰りになったようです。ガルオス様にも確認してみてください。友人だと言うはずですから」

「よかったぁ。ただの友人なんですね。よく考えたら、セシリアさんなんかが、あんなに素敵なお兄様の愛人なわけないですよね。ごめんなさい」

「……いえ。お気になさらず」

 私は短い時間であったが、ミーア様との会話にとてつもない疲労を感じた。

「じゃあ、お兄様が帰って来たので行きますね」


 二人でドアまで行き、ドアを開けるとそこには紙袋を持ったバルドさんがいた。

 私と目が合うと、バルドさんは嬉しそうに笑った。


「グッドタイミングだ。嬢ちゃん、デザートを――」

「お兄様!」

 ミーア様がバルドさんに嬉しそうに抱きついた。

 その瞬間、胸にモヤリとしたものが広がった。


「え?なんでミーアが嬢ちゃんの部屋にいるんだ?」

「もう!お兄様がお留守だったから、セシリアさんが親切に部屋で待たせてくれたんですよ」

 バルドさんが目を白黒させて私とミーア様を見ると、ミーア様が甘えたように見上げて答えた。


「嬢ちゃん、ミーアが迷惑かけたな」

 バルドさんが申し訳なさそうに私を見た。

「いえ……」

 私は、なぜかうまく言葉が出なかった。顔も強張っているのを感じた。

「じゃあ、私はこれで」

 ぎこちなく頭を下げ中に入ろうとしたが、バルドさんに手を握られた。

「嬢ちゃん、これあとで食ってくれ。ナッツタルトだ」


「さすがお兄様、ちゃんと施しを与えるのですね!」

「ミーア!」

 ミーア様がキョトンと小首を傾げた。

 フワフワのピンクブロンドが揺れ、大きな榛色の瞳にピンクの薔薇のような唇が可愛らしかった。


「ガルオス様、ありがとうございます」

 私は、何とか笑顔を作ってドアを閉めた。

 胸が苦しかった……。

お読みくださりありがとうございます。

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