エリザベート王太子妃殿下
「おっと、大丈夫か?」
スラリと背の高い美しい方が、キャサリン様を抱き留めていた。
艶やかな銀糸の真っ直ぐな髪を、邪魔にならないようにシンプルに飾り紐で高い位置で結び、涼しげな翡翠の瞳にスッと通った鼻筋の、美貌の女性だ。
そう、女性。
しかも、そんじょそこらの貴族令息なんかより凛々しく流麗な御仁……キャサリン様を抱き留めてくださったのは、畏れ多くもエリザベート・ランガルドフ王太子妃殿下だった。
「ひゃ、ひゃい!」
あまりの事態にキャサリン様は、そのご自身の赤い髪と同じ顔色になり、今にも失神しそうだ。
エリザベート王太子妃殿下の後ろで、般若の表情の黄緑色の髪の若い侍女と、アララ〜という表情の柔らかなウェーブの銀色の髪の若い護衛騎士の二人が立っていた。
私は慌ててキャサリン様の首根っこを引っ掴み、床に押し付けた。
「土下座、謝罪」
私は目を白黒させているキャサリン様に、小さな声で指示を出した。
どうにかして許してもらえなければ、キャサリン様の侍女になる道が閉ざされてしまう。
「大変申し訳ございません!」
「た、大変申し訳ございません」
私の叱咤に、魂を飛ばしかけていたキャサリン様も、慌てて土下座の姿勢になり謝罪した。
「私が誤って木桶を倒し、水をこぼしてしまいました。この者は運悪く、その水を踏んで滑ってしまったのです。全ての責任は私にあります。尊い御身を危険に晒し、大変申し訳ございません」
「え!ち、違」
馬鹿正直に真実を告げようとするキャサリン様を、さらに掴んでいる首根っこを床に押し付ける。
「名前を名乗れ」
黄緑色の髪の侍女が、忌々しげに私を指差した。
垂れ目がちのペリドットの瞳は、怒りに釣り上がっている。
「私は、セシリアと申します」
「お前は平民だな。この無礼者!」
私が平民とわかるやいなや、侍女が私の頬を平手で打った。
「大変申し訳ございません」
私は口の中に血の味が広がるのを感じながら、キャサリン様の首根っこに力を込めて、なるべく顔を見られないように床に押し付けた。
「ロザリー、止めないか」
「しかし!」
「ロザリー」
頭を下げているので表情は見えないが、エリザベート王太子妃殿下のその声は冷んやりとしてた。
「この無礼な平民に罰を与えねばなりません!」
侍女はそれでもなお言い募り、私を睨みつけた。
「ふむ。ロザリー、そんなに納得いかないなら、お前が平民風情と蔑むこのメイドと勝負してみろ。もしロザリーが勝ったら、ロザリーが好きなように処分するのを許そう。もし、負けたらロザリーは私の侍女から外れてもらう。この二人もお咎めなしだ。どうだ?」
「本当ですか?私の好きに処分して良いのですね?」
「好きにしろ」
「勝負を受けますわ」
ロザリー様は、意地悪くニヤリと目を細めて私を見た。平民をいたぶれることが嬉しそうだ。
私に負けるとは、微塵も思っていないのだろう。
「そうか。じゃあ、歴代の王族の名前を順に遡って言ってもらおうか」
「かしこまりました」
私はスッと顔を上げた。
何としても負けられない。
キャサリン様の運命がかかっているのだ。
エリザベート王太子妃殿下が、私の顔を見て満足げに口角を上げた。
「では、ロザリーから」
「はい。サラード・ランガルドフ国王陛下」
現国王の名前だ。
私は、その先代を答える。
「アモンド・ランガルドフ様」
「フン、さすがに平民でも前国王は答えられるのね」
私はそれには答えず、視線を伏せた。
こういう輩は何を言ってもイチャモンを付けてくるものだ。
「余計なことはいいからさっさと続けて」
「は、はい。失礼しました。ピアノット・ランガルドフ様」
こうして私達は、次々歴代の国王を答えていく。
二十人を超えたあたりで、ロザリー様の顔色が青くなり始めた。
「そんな、なぜ平民がこんな?」
「余計なことはいいと言ったろ?次は?ロザリー」
「つ、次は」
ロザリー様は尋常ではない汗をかき震え始めた。
「グードルナガ……ドグ……あ、グードルナガドグラフ・ランガルドフ様!」
ホッとしたようにロザリー様が息を吐いた。
「ロザリー……はずれだ」
ロザリー様ははずれと言われると、無様なほど狼狽えた。
「た、たまたま運悪く私が長い名前に当たってしまっただけよ!エリザベート様、ひどいですわ。私に難しいお名前が当たるようになさるなんて!」
まさか、エリザベート王太子妃殿下に文句を付けるとは。
エリザベート王太子妃殿下の表情が、スッと消えた。
「そうか。私が贔屓したせいで負けたと?」
「あ、い、いえ、そうではなく。その、エリザベート様はお優しいから平民にお情けをかけたのかと」
やっと自分の失言に気づいたロザリー様は、媚びるようにエリザベート王太子妃殿下を見た。
「セシリア、正解は?」
「グードルガナドグラフリドロル・ランガルドフ様です」
そう。三十八代国王は、無駄に長いお名前なのだ。
「正解。続けて」
「はい。ドットリアヌ・ランガルドフ様。モッドカザル・ランガルドフ様」
私は次々と歴代の国王を答えていく。
「アマストローバッガスドグラフミズ・ランガルドフ様」
「そこまででいい。十五代国王は一番名前が長い。これでもロザリー、私が贔屓したと?」
「い、いえ。大変申し訳ございません」
ロザリー様はドレスをギュッと握りしめ、項垂れた。
「では約束だ。ロザリーには私の侍女を外れてもらう」
「そんな!」
「ああ、あとケミスト伯爵家に姉上への侮辱発言に対して抗議を入れさせてもらうからね〜」
「ドュークリフ様!?」
「やだなぁ、もう同僚じゃないんだから名前で呼ばないでよ。元々名で呼ぶことを許していないのに、姉上付きだからって我慢していたんだよ?」
姉上ということは彼はフィン公爵の御子息か。
確かに、よく見ると髪と瞳の色が一緒だった。
でも、柔らかなウェーブの銀の髪とパチリとまつ毛の長い可愛らしい容姿の彼と、凛々しく流麗なエリザベート王太子妃殿下では姉弟と言われてもピンとこなかった。
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