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幕間 バルドの想い

 バルドは部屋に帰ると、髪の色を戻し付け髭を外した。

 大きく息を吐くと、懐からセシリアから借りた白いハンカチを出した。


 セシリアは自分がハンカチを忘れたから借りたと思っているようだが、もちろん違う。

 任務に赴く騎士がハンカチを借りることは、この人の元に必ず戻るという誓いの意味があった。


 今回の任務は、万が一見つかったら捕らえられる危険があった。

 バルドは、セシリアの心配そうに自分を見つめる目と目が合った瞬間、口からハンカチを貸してくれなんて言葉が出ていた。


   ◆

 

 初めてセシリアに会ったのは、バルドがまだ第二騎士団の団長になったばかりの頃だった。

 元々ガルオス侯爵家の嫡男として、学園を卒業後は領地に戻り、父親から次期領主となるべく教えを受けていた。


 ガルオス侯爵家は武の一門のため、侯爵家の騎士達をまとめる騎士団長の座に就き、日々騎士としても鍛錬の日々を送っていた。

 そんなある日、父親から急に第二騎士団の団長になるように言われた。

 しかも、まさかの王命だった。


 どうやら、高位貴族からなる第一騎士団と低位貴族と庶子、平民からなる第二騎士団の間には確執が広がりつつあったようだ。

 それでは有事の際、うまく連携が取れず困るということで、宰相が陛下に進言し、その間を取り持つ者としてバルドが選ばれたのだそうだ。


 バルドは侯爵家に養子に入り嫡男となったが、元々は庶子だ。

 高位貴族ではあるが庶子であった二つの要素を持つバルドは、うってつけの人材であった。

 また、そのおおらかでタフな性格のバルドなら必ずや成し遂げられると宰相は思ったそうだ。

 もちろん王命だ。バルドは受けるしかなかった。


 そうして、弱冠二十一歳で第二騎士団の騎士団長に就任したのだが、大変だったの一言に尽きた。

 元々第二騎士団の副団長が騎士団長になる予定だったことろで、自分が上の事情で捩じ込まれたのだ。


 第二騎士団の騎士達の反発も大きかった。

 第一騎士団と第二騎士団の仲を取り持つ以前に、バルドがはじかれてしまっている状態では何もできない。

 まずは、状況の確認のため様子を見ながら、第一騎士団と第二騎士団の情報を集めていたところで新たな問題が起こってしまった。


 バルドの容姿は美しく整っていた。しかも、普段見慣れた貴族の男のように小さくまとまったような美しさではなく、大自然を前に感じるような雄々しい美しさであった。


 貴族令嬢達はこぞってバルドに夢中になり、第二騎士団の訓練場に見学に押しかけ騒がしいものとなってしまった。

 まあ、そのうち見飽きるだろうと放置し、それよりも情報の収集を優先していたところでセシリアとの出会いがあった。


 バルドが剣を振うたびにキャーキャーと姦しく騒ぐメイド服を着た貴族令嬢達に、バルドがそろそろどうにかしないとなぁとため息を吐いた時だ。


「ここで何をしているのですか」

 第二騎士団の訓練場に静かな女性の声が響いた。

 焦茶色の髪をきちんと後ろにまとめ、スッと背筋の伸びた、眼鏡をかけた若い女性だった。

 不思議とバルドの目を惹いた。

 さほど大きな声を出したわけではないのに、その声にシンと訓練場が静まり返った。


「今は仕事中のはずです」

 メイド服を着た女性は、姦しく騒いでいた貴族令嬢のメイド達を見て言った。

 どうやら騒いでいたこの貴族令嬢達は、仕事をさぼって来ていたようだ。


「平民のメイド班長がやればいいんじゃない?」

 しかし、令嬢達はクスクス笑って馬鹿にしたようにその女性に言った。

「平民だの貴族だの関係ありません」

 しかし、その女性は全く動じることなく言い返した。


「何ですって!?」

 あっと思った時には、カッとなった一人の令嬢が女性の頬を叩いていた。女性の眼鏡が床に飛び、シンとなった訓練場に頬を叩く音が思いのほか大きく響いた。

 しかし、女性は怯むことなく凛とした眼差しを令嬢達に向けた。


「王城のメイドの仕事は、平民の平均収入の三倍ほどのお給金をいただいています。それは、国民の税金から出ております。そして、平民が王城のメイドになるには、学園で最低でも十番以内の成績を取り続け、その人格を認められなければ学園長からの推薦を受けることができません。しかし、貴族令嬢は希望すれば、王城のメイドになることができます。それは、信頼されその価値があるとされているからです。今のあなた方は、胸を張ってその信頼に応えていますか?それだけのお給金をいただく価値があると言えますか?」

 女性が静かに問うた。


 その言葉は、この第二騎士団にいる騎士達の胸にも響いた。

 国民の税金をお給金としていただいているというのに、最近の彼らはバルドに反発して碌に訓練に身が入っていなかった。

 騎士達は、今の自分は胸を張って騎士だと言えるのかと一人一人が自問したようだった。


 そうこうしているうちに、貴族令嬢達はそそくさと姿を消した。

 女性は、床に落ちた眼鏡をかけると顔を顰めた。レンズにヒビが入っており、打たれたその頬も赤くなっていた。

 しかしそんなことは些細なこととばかりに、今度は騎士達に向かって深々と頭を下げた。


「お騒がせして、申し訳ございませんでした。今後このようなことがないよう気をつけますので、どうかお許しください」

 そして、訓練の邪魔にならないようにと速やかに訓練場を出ようとした女性の腕を、バルドは慌てて掴んでいた。


「叩かれた頬を冷やさないと腫れるぞ」

 もっともらしい言葉をかけたが、ただ、この女性ともっと話してみたいという気持ちも大きかった。

 こんな行動を取ったのは、初めてだ。


「団長。自分が連れて行きます」

「いや、俺が連れて行く」

 バルドは、近くにいた騎士の言葉を断り、遠慮する女性を逃さないとばかりにヒョイと横抱きに抱き上げた。


 そしてそのままズンズンと訓練場内の医務室に運び、そっと椅子に下ろした。

 バルドは、女性の赤く腫れてきた頬に薬を塗りガーゼを貼った。

 その触れた肌の白さと柔らかさにドキリとした。


「お手数をおかけして、申し訳ありません。先程もご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 そんなバルドの気持ちなど、全く気づかず女性が生真面目に謝ってきた。

 バルドは、その真摯な瞳をじっと見つめた。

 女性の濃い紫色の瞳は汚れなく、どこまでも凛と真っ直ぐで、目が離せなかった。


「あの……?」

 黙って見つめるバルドに、女性が小首を傾げた。

「……なんで何にも悪くないあなたが謝るんだ?」

 やっと、バルドから出た声は素朴な疑問だった。

 全くこの女性は悪くない。

 しかし、先程から自分事のように真摯に謝ってくるのが不思議だった。


「私はメイド班長です。私の下についた方がご迷惑をかけたのですから、私が頭を下げるのは当然です」

 しかし、その答えはシンプルだった。

 ただ彼女にとって当たり前の行動をしているだけだと言った。

 こんなことを当たり前のように出来る人間がどれだけいるだろうか。


「あなたは、すごいな……」

 心から尊敬の言葉が出た。

 自分よりも小さく華奢な彼女が、大きく格好よく見えた。


 バルドは、それに比べて自分はどうだろうと反省した。

 もちろん、真剣に使命を果たすべく動いてきたつもりだった。

 しかし、心のどこかで不満に思う気持ちがあったのも事実だった。


 ガルオス侯爵家の養子に入り嫡男となったバルドであったが、それは簡単な道ではなかった。

 学園では、騎士科目はトップの成績を取り続け、ガルオス侯爵家の騎士達に認められるまで血の滲むような努力を続けた。

 そうして、やっと認められるようになってきたところでこの任務だった。


 王命を受けての任務だ。バルドに断れる選択肢もなく放り込まれ、また振り出しに戻るといった状態の第二騎士団だった。

 正直、第一騎士団と第二騎士団の当事者同士でどうにかしてくれと思う気持ちもあった。


 手を抜いたつもりはないが、この任務に真っ直ぐに向き合っていたかというと、もしかしたら自分の中のどうにもやるせない気持ちを上手く処理できずにいた部分もあったかもしれない。

 そんなバルドの思いが顔に出ていたのか、目の前の女性が心配そうにバルドの顔を見つめた。


「よければ愚痴を聞きますが、いかがでしょう?お立場的に愚痴を言いづらいのではありませんか?もちろん他言いたしません。ご心配でしたら、その旨書類にサインします」

 そう生真面目な顔をして言う女性にバルドは思わずキョトンとしてしまった。しかし、その真っ直ぐな優しさに心がくすぐったく思わず笑いが漏れた。


「じゃあ、お願いしようかな。俺は本来次の騎士団長になるべき副団長を押しのけて団長になったんだ」

 ついつい女性の優しさに、話し出していた。


「それは、難しいお立場ですね」

 そう言った目の前の女性は自分よりも若い。多分、学園を卒業したばかりに見えた。

 しかも、その身分は平民だ。

 自分よりずっと大変な思いをしているのではないかと思った。


「あなたも、お若いのにメイド班長になって大変ではないか?」

「そうですね。私の場合、平民の身でメイド班長になって貴族の方をまとめなくてはならないので、大変でないと言ったら嘘になります。でも、私はメイド班長ですと胸を張って言えるようきちんと仕事を務めたいと思っています」

 女性の真っ直ぐな目に、バルドは大きく鼓動が跳ねたのを感じた。心が高揚し、無性に笑いたくなった。


 今まで、バルドはどんなに強い騎士と戦っても負けたと思ったことがなかった。

 しかし、目の前の女性には完全に負けたと思った。

 いろいろな理不尽や悔しさもあるだろう。それを全て飲み込んで尚、凛と前を向き、自分に恥じない行動を取る彼女は、胸が震えるほど心底格好いいと感じた。


「そうだな。うん、今の俺は胸を張って第二騎士団長とは言えないな。情けない」

「いえ、そんな」

 自分より華奢で小柄な女性なのになんて格好いいのだろう。


「あなたは、とても格好いいな」

 女性に心からの賞賛を送った。

「それに比べて、俺は格好悪い。ちゃんと団長の務めを果たしていないばかりか、この顔のせいで訓練場を騒がせてしまっている」

 それに比べて自分は不甲斐ない。気づかない部分でぐらついていた。


「いえ、格好悪いなんて思いません。きっと、今はがんばっておられるところなのだと思います。がんばったことは、いつか必ず実を結ぶはずです。あ、でも、顔が良いというのは大変ですね……そんな大変な時に、メイド達が大変申し訳ございません」

 女性がまた深々と頭を下げた。

 バルドは慌てて手を横に振った。


「いや。本来なら追い返すべきだったんだ。そのうち飽きるだろうと放置してしまった」

「ああ、美人は三日で飽きるというあれですね」

 女性はなるほどと頷いた。

 だが、それは女性に使う言葉ではないだろうか?


「残念ながら、騎士団長様は三日で飽きる美貌ではなかったのですね」

 女性が憐憫のこもった目でバルドを見つめると、大きく頷いた。

 バルドはそんな目で見られたのは初めてで、なんとも新鮮で楽しい気持ちになった。


「いっそ、隠してしまってはどうですか?」

「仮面をつけるとかか?」

 その発想もおもしろい。


「いえ、そこまでなさらなくても髭を生やすのはいかがでしょう?随分印象が変わるのではないですか?」

 バルドは、なるほどと思った。確かに、印象も変わるだろう。


「ありがとう。気持ちが楽になった」

 何とも愉快な気分で、女性にお礼を言った。

 ここに来て、こんなに楽しい気持ちになったのは初めてかもしれない。


「そ、それでは、私はもう戻ります」

 女性は慌てたように立ち上がった。

 思ったより長く引き留めてしまったようだ。

 しかし、その時はたと女性の名前を聞いていないことに気づいた。

 バルドは思わず、女性の手を握っていた。


「名前を教えてくれないか?」

「これは失礼いたしました。セシリアと申します。では!」

 女性は、口早に告げると走り去ってしまった。

(セシリア……)

 バルドは、心の中でその名を呼んだ。


 それから、すぐに遠征に出ることとなり、セシリアに会うことはなかった。

 バルドは、国境への遠征中、第二騎士団をまとめあげた。


 セシリアの言葉に自分を振り返る騎士達の協力もあって、それはとてもスムーズに成された。

 そして、髭も伸ばしてみた。

 半年後には、すっかり口周りを髭が隠し随分顔の印象が変わった。

 思いのほか勝手がよく、以降髭を生やすことにした。

 

 遠征も終わり、王城に戻るとついつい目がセシリアを探していた。

 凛とした真っ直ぐな眼差しもそのままに、セシリアはいた。

 バルドはこっそり、セシリアが馬車に乗る時間に合わせて、同じ馬車に乗るようになった。

 髭を生やしたバルドに、セシリアは全く気づかなかった。


 バルドは、セシリアとまた言葉を交わしてみたかった。

 自分は侯爵家の嫡男だ。いずれは貴族の令嬢と婚姻を結ばなければならない。

 しかし、セシリアへの想いは募っていくばかりだった。


 バルドは、自分への戒めとしてセシリアの名前を呼ばないことを決めた。もし、その名前を呼んだらこの想いは理性を超えてしまうことがわかっていた。

 だから、バルドはセシリアを〝嬢ちゃん〟と呼んだ。


 バルドは、セシリアへの気持ちは心の奥底に押し込め、焼いて来た菓子を馬車に乗るみんなに配り、セシリアとの会話のきっかけとした。

 セシリアは生真面目な顔をして礼を言い、次の日には礼の手紙まで書いて来た。

 バルドは、セシリアからもらった丁寧な手紙を全て大切に宝箱にしまった。

 そのささやかな交流が、バルドとセシリアの全てだった。




 そう……それが全てで、バルドは満足していたのだ。


   ◆


「バルドさん、おかえりなさい」

 バルドがセシリアの部屋を訪ねると、セシリアはフワリと微笑んだ。

 その微笑みに、バルドは心が温かくなるのを感じた。


「ただいま。嬢ちゃん」

 バルドは、懐から白いハンカチを差し出した。

「ハンカチを返しに来た。ちゃんと、洗濯してあるから安心してくれ」

 バルドがニカリと笑うと、セシリアもつられたようにクスクス笑った。


「差し上げたつもりでいました」

「いや、ちゃんと返すって言ったろ?」

 バルドは強引にセシリアの手にハンカチを握らせた。


 ――この人の元に戻る。


 セシリアにハンカチを渡せて、バルドはその誓いを守れたことに感謝した。


「バルドさん、少しお茶を飲んで行きませんか?美味しいお菓子をユリア様からいただきました」

 セシリアが、バルドを見上げて優しく誘った。

「うん。じゃあ、お邪魔させてもらうかな?」


 バルドは、馬車でのささやかなやり取りに満足していた。

 でも、今の自分はセシリアのこんなにも近くにいる。

 それは、甘やかに胸を満たし、同時に苦しさも孕んだ時間だった。


 それも、もうすぐ終わりを告げる……。

次話から第七章に入ります!



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