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ユリアの気持ち

 温室の中に入ると、リビアル様は表情に苛立ちを露わにした。

「ユリア、リビアル公爵家に内々の注意がありましたがどういうことですか?迷惑です」

 謝罪ではなく、文句を言いに来たようだ。


「ガブリエル様、セシリアは私の専属侍女です。そのセシリアに無礼を働くことは、私を軽んじていると取られてもおかしくないでしょう」

「は?ユリアは、いつからそんな聞き分けが悪くなったのですか?私が平民は駄目だと言っているんです。それなのに、どうしてまだ平民が専属侍女をしているのですか?」

 リビアル様が、イライラとユリア様に詰め寄った。


「私の専属侍女は私が決めますので、どうかお気になさらず」

 ユリア様が、固い表情で言うとリビアル様が小さく舌打ちした。

 しかし、次には意地悪く笑った。


「王妃殿下は、相変わらずお美しいですね。ユリアが王妃殿下に似ていたら、私も、もう少し優しい気持ちで接することができるのかもしれません。美しくもない姫に何の価値があるのでしょうね?ああ、でも私は王太后殿下に頼まれたので、ユリアと婚約してあげますよ。ユリアは感謝しなくてはなりませんね」

 ユリア様が、ヒュッと息を呑んだ。


「無礼ですよ」

 アルマ様が堪らず声をあげた。

「ただの戯言です。本気に取らないでください」

 リビアル様は、ユリア様のその傷ついた表情を見ると溜飲を下げたように微笑んだ。


 ユリア様が痛みを堪えるように俯いた。

 今朝はあんなに嬉しそうに笑っていたユリア様は、その後はずっと諦めたような哀しげな表情しか浮かべなかった……。


   ◆


 その日から、張り詰めた空気で勉強に礼儀作法に根を詰めるようになったユリア様に、新たな縁談の話が持ち上がった。

 お相手はアルロニア帝国のロイズアス・アルロニア皇太子殿下だ。


 アルロニア帝国は、私達が住むランガルドフ王国の隣国ではあるが、比べ物にならないくらい広く緑豊かな領地と、大きな武力を持った国である。エリザベート様も、十四歳から十六歳の三年間留学されていた国だ。


 そのアルロニア帝国から、十二歳になるロイズアス殿下が訪問されることになり、王城は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 表向きは親睦を深めるための訪問とされているが、ロイズアス殿下が婚約者を探すために各国を訪問されていると噂が回っていた。


 ロイズアス殿下は、とても見目麗しい少年らしい。

 どの国の姫君達も、年齢を問わず恋に堕ち、アルロニア帝国に釣り書きをこぞって送っていると噂で聞いた。

 中には婚約破棄をしてまで、釣り書きを送っている姫君までいて、ちょっとした騒動になった国もあるようだ。


 ユリア様は、婚約者候補はいても、まだ正式に婚約が結ばれているわけでもない。

 身分と年齢からしてユリア様がお見合いの相手となるだろう。




「ユリア様、ラテアートのココアはいかがですか?」

 沈んだ表情のユリア様に、私はラテアートのココアを勧めてみた。

 今日はアルマ様はお休みの日なので、部屋にはユリア様と私の二人だ。


「ラテアートのココア?紅茶ではなく?」

 初めて聞く飲み物に、ユリア様が小首を傾げた。

「はい。甘くて美味しいですよ」

 甘いと聞いてユリア様が目を輝かせた。


「飲んでみたいわ。今日も猫ちゃんを描いてくれる?」

「はい。周りにお花の模様も描きますね」

「素敵」

 やっと笑顔を浮かべたユリア様に、私も微笑んだ。


「とても甘くて美味しいわ!でも、これは飲み過ぎたらまずい気がするわ」

「はい。禁断のお味でしょう?」

「クスクス……そうね。たまにのお楽しみにした方がよいわね」

 甘いココアに合わせて、お菓子はクラッカーにした。


「セシリアも、もう聞いたのでしょう?アルロニア帝国のロイズアス殿下のこと……」

「はい。お気が進みませんか?」


「いいえ。もし、私がロイズアス殿下に選んでいただけたら、あの大国アルロニア帝国と我が国が結びつくまたとない機会だわ……」

 ユリア様は、何かを我慢するように微笑んだ。


「ユリア様。私は平民です」

 急な私の言葉に、ユリア様がキョトンとされた。

「ユリア様がお話しになったことを漏らしたら、即処刑されるでしょう。何より、平民の私が言う言葉は誰にも相手されません」

 私が何を言おうとしているのか気づいたのか、ユリア様は逡巡するように私を見つめた。

 やがて、大きく息を吐いた。


「あのね、セシリアが平民だから話すのではないわよ?セシリアを信頼しているから聞いてほしいの」

 ユリア様の唇が小刻みに震えた。


「私は……お母様とお兄様が羨ましい。私もあんなに美しかったら、ロイズアス殿下に選んでいただけるのかもしれない。でも、私では無理なの。何の役にも立たない。それがとても悔しいの……」

 ユリア様の瞳から堪えきれない涙が溢れた。

 私はそっとハンカチを差し出した。

 ユリア様はハンカチを握りしめ、涙目で私を見上げた。


「私は自分に自信がない。先日も、ガブリエル様に何も言い返せなかった」

 私はゆっくり首を横に振り、白くなるまで強く握りしめた指からハンカチを取り、そっとユリア様の涙を拭った。

「ユリア様は素敵な王女様だと思います」


「私はちっとも素敵な王女ではないわ。悔しい……こんな容姿では、役に立てないのがとても悔しい!」

 ユリア様は、王女の矜持を胸に悔しそうに泣いた。

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