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シュリガンの恋 2

 そして二日後……シュリガンはぐったりと項垂れてベンチに座っていた。

 水だけ生活二日目。空腹がこんなに辛いとは、シュリガンは思いもしなかった……。


 クラクラと眩暈のする中、計算した書類は間違いだらけ、ここぞとばかりに愉悦を含んだ顔で叱責され、この中庭に着くまでに、ハンターのような目つきの御令嬢達に見つからないよう走り、隠れながら移動し、シュリガンはとうとう精魂尽き果てた。

 文官になって、ピンと張り詰めていたものが今フツリと切れそうだった。


「あ」

 女性の声に、シュリガンはノロノロと顔を上げた。

 侍女のドレスを着た女性だった。

 その美しい所作は貴族令嬢だろうか。

 見つかってしまった。


 ここぞとばかりに体を擦り寄せてくるのだろうか。

 それとも、耳障りな甲高い声で話しかけてくるか……。

 しかし、今までシュリガンを追いかけ回した貴族令嬢達と違って、その瞳は思慮深く、こちらを心配そうに見ていた。


「大丈夫ですか?どこか具合がお悪いのですか?」

 アルトの落ち着いた声だ。

 しかし、いきなり抱きつこうとしてきた女性もいたので、警戒を緩めずその女性を見つめた。


 そして、気づいた。

 セシリアだ。

 学園時代のあどけなさはなくなり、しかし、その凛とした空気はそのままに、大人の女性になったセシリアだ。


「セシリアさん?」

 シュリガンは、恐る恐る尋ねた。

 空腹が見せた幻ではなかろうか。


「はい。一次試験の際、シュリガンさんの隣の席で試験を受けたセシリアです」

 生真面目な表情で答える彼女は、まごうことないセシリアだ。

 シュリガンは知らずに安堵の息を吐いた。


「すみません。また貴族の方かと」

「何かありましたか?」

「貴族の令嬢やマダムに追い回されてます」

 本当だったらこんな情けないことをセシリアに言いたくないのに、空腹で頭がうまく働かないシュリガンは正直に話した。


「それは大変ですね。他には?」

 興味本位ではなく、善意から聞いてくれていることが伝わり、ずっと悪意に晒されていたシュリガンはじんわりと心が温かくなった。


 そのおかげで頭が働き始める。

 本当のことを言ったところで、セシリアであってもどうにもできない。

 無駄に心配をかけるだけだ。


「いえ、他は別に……大丈夫です」

 しかし、聡いセシリアは気づいたようだ。

「シュリガンさんも、やはり平民ということでお仕事に支障が出たりしてますか?」

(シュリガンさんも?ってことはセシリアさんも?)


「もしかして、セシリアさんも?」

「私の方は、ロッカーに何かしらの死骸が入れられ、無視され、ネガティブキャンペーンに力を入れておられる指導侍女がいたり、それに見事に侍女達は踊らされ、そして休憩もこの時間まで取れない状況です」

 淡々と遠い目をして語られる内容は、シュリガンよりもひどいものだ。


「それはまた……」

 考えてみれば平民である彼女は、例え優秀な「セシリア」であったとしても嫌がらせを受けないわけがなかった。

「で、シュリガンさんの方は?」

 同じ状況とわかった気やすさか、気づいたらシュリガンは包み隠さずに話していた。もしかしたら、誰かに共感してほしかったのかもしれない。


「そちらもひどいものですね……」

 同じ状況の二人は頷き合った。

 文官になって、初めてホッとした瞬間かもしれなかった。


「もうお昼は食べられたのですか?」

「実は買い置きが底をついてしまい、お昼は抜きです」

 気が緩んだせいか、スルスルと話してしまう。


「よろしければ、私のお弁当をおわけします」

 彼女の優しい申し出に、シュリガンは慌てて断った。

 そんな申し訳ないことできるわけがない。


「いえ!それは申し訳ないです」

「遠慮しないでください」

 しかし、優しいセシリアは柔らかく微笑んでお弁当の蓋を開けた。


 唐揚げにハンバーグ、星型に切ったにんじんとレタスのサラダに半分に切ったゆで卵はギザギザに飾り切られて、どれを見ても手が凝っていてとても美味しそうだ。

 フワ〜ンといい匂いがして、お腹がクゥッと鳴った。

 それは腹ペコの腹の虫には堪らない匂いだった。


「すごく美味しそうですね」

 ゴクリと生唾を飲んだ。

 視線がお弁当から逸せない。


「すごく美味しいです。友人が作ってくれました」

 セシリアは、お弁当の蓋にお弁当を半分取り分けて渡してくれた。

 もう我慢の限界だった。


「すみません!では、いただきます」

 シュリガンはパクリと唐揚げを食べた。

 口の中いっぱいに肉汁が広がる。


「うまい!」

 あとはもう夢中でお弁当を頬張っていた。

 どれもこれも美味しく、胃袋に染み渡った。


「次のお休みはいつですか?」

 だからこそ、この言葉にギュッと心が軋んだ。

 それは数多の女性からかけられた、デートの誘いの言葉だった。

 なんだ、結局、彼女もそれが目当てかと失望した。


「デートのお誘いですか?」

 シュリガンがきつく彼女を睨むと、セシリアは一瞬キョトンとしたあと、慌てて手を振った。

「誤解させてしまって申し訳ありません。パンも果物も全滅ということは、次の休みまで食材が買えないということですよね?大丈夫かなと思いまして」

「す、すみません!」

 シュリガンは羞恥で顔が熱くなるのを感じながら、ガバリと頭を下げた。


 こんなに親切にしてくれた人になんて失礼なことを。

 穴があったら入りたいとはこのことだ。

 その後も心配そうに尋ねたセシリアは、シュリガンの水だけ生活計画を聞いて真顔になった。


「明け方まで仕事して、女性に追いかけ回されて、水だけ生活なんてしたら死にますよ」

 よく当たる占い師のようだ。

 そうして、セシリアの友人がシュリガンの弁当も作ってくれることになった。

 この時はまだ、シュリガンは、彼女のことをまるで大好きな物語りの憧れの主人公のように見ていた。


 それが、変わったのはいつだろう……。

 劇的な何かがあったわけではなかった。

 彼女と接していく中で、それは緩やかにシュリガンの中で変化していったように思う。

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