前へ次へ
62/89

シュリガンの恋 1

「セシリアさん!」

 どうにも待ちきれず、約束の時間より一時間早く待ち合わせ場所に来ていたシュリガンは、後ろからした足音に勢いよく振り向いた。

「お、おおう、もしかしてと思ったが嬢ちゃん、やっぱりかぁ……」

 そこには、あちゃあ〜といった表情の、男から見ても惚れ惚れするような美貌の男性が立っていた――。


  ◆


 シュリガンが学園に入学した時、一つ上の学年のセシリアという女性はよくも悪くも有名だった。

 鉄面皮、鉄仮面、無愛想、平民のくせに成績トップを取り続ける空気の読めない女、本の虫……。

 それが、彼女を表す言葉だった。


 シュリガンは頭がいい。特に数学は誰にも負けないと自信を持って言えた。

 シュリガンの母親が言うには、シュリガンはいきなり数の羅列をしゃべりだすような、奇妙な幼児だったらしい。


 常に頭は数字でいっぱいで、音楽家が頭にメロディーが溢れるように、シュリガンの頭の中も数の法則、理論がぐるぐると回っていた。

 シュリガンは数学者の間でも有名だった。とはいえ、ただのしがない平民だ。


 学園のテストは手を抜こうと決めていた。

 平民が貴族を押さえてトップなど取ったら、何をされるかわからない。

 そんなシュリガンの弱気を軽やかに笑うように、セシリアは平民の、しかも女性でありながらトップを取り続けていた。


 それはシュリガンにとっては強い衝撃で、同時に鮮烈な羨望を胸に刻み込んだ。

 シュリガンは、セシリアの背を追うようにトップを取り続けた。


 図書館にいるというセシリアを本棚から覗き見ると、いつも鬼気迫る顔で本を読み、またはノートに書き写していた。

 そんな彼女の邪魔はできず、シュリガンはいつも少し離れた机で数学の本を読んでいた。


 同じ空間にいるだけで、満足だった。

 たまに、廊下ですれ違うこともあった。

 周りがヒソヒソと囁き合う中、真っ直ぐ前を見て凛として歩くセシリアはとても格好いいと思った。


 そのまま、特に会話することもなく、一つ年上のセシリアは学園を卒業し、王城のメイドとなったと風の噂で聞いた。

 シュリガンは、数学者の研究所に誘われたが、王城の文官見習いとなって、領地からあげられる税金や予算の編成などの生きた数字を相手にすることを選んだ。


 ほんの少し、セシリアと会えるのではないかと淡い期待もあった。

 だが残念ながら、メイドと文官見習いは仕事場所が違い、会うことはなかった。




 それから三年。


 シュリガンは、王太子妃殿下に呼び出され、文官試験を受けないかと言われた。

 いくら頭がよく優秀であっても、平民は文官見習い止まりだ。

 文官になれることはない。

 しかし、文官になれるチャンスが巡ってきたのだ。もちろん、謹んで受けた。


 そして、その一次試験の会場でシュリガンは憧れのセシリアと再会した。

 想像もしていなかったセシリアとの再会に、鼓動が早まり、恥ずかしくて彼女を直視することができなかった。


 そうして、無事に文官試験に合格したシュリガンを待っていたのは、貴族達による嫌がらせの日々だった。

 それはある程度は覚悟していたものの、やはり厳しいものだった。


 書類仕事は全て押し付けられ、仕上げた書類にインクを溢されたり、隠されたりすることは日常になった。

 今まで友人だと思っていた平民の文官見習い達も、とばっちりはごめんだとばかりにシュリガンを避け始めた。

 それどころか、嫉妬から嫌がらせに加担する者までいた。


 さらにシュリガンの容姿は目を惹くようで、元々平民の女性からよくアプローチされて辟易していたが、そこに貴族令嬢も加わって声をかけられるようになり、無碍に断ることもできず、面倒なことこのうえなかった。


 悪いことは続くもので、王都から離れた田舎で一人暮らししていた祖父が倒れた。幸い命に別状はなかったものの、家族は祖父の面倒を見るために王都から引っ越してしまった。

 否応なく始まった一人暮らしは、ひどいものだった。

 慣れないながら、休みの日にまとめて洗濯し、料理はそんな余裕も腕もないので、パンと果物でしのぐことにした。


 そしてある朝、とうとう買い置きが底をついた。

 仕事が終わるのは深夜だ。さすがに店はやっていない。


 次の休みの日まであと六日……。

 シュリガンは、こうなったら水だ!人は水で二、三週間は生きられるはずだと覚悟を決めた。

お読みくださり、ありがとうございます。


前へ次へ目次