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悲劇の侯爵令嬢

「キャサリン・キャスタール!お前との婚約は破棄する!」

 レイモンドが、ショッキングピンクの髪の男爵令嬢ミミ・カルサンスを愛しげに胸に抱きながら言った。


 レイモンドは、アルトス公爵の嫡男であった。

 母親譲りのキラキラサラサラのプラチナブロンドの髪を緩く後ろで結んだ、甘いマスクの青年だった。


 王太后を祖母に持ち、その母が現国王の妹である尊い血筋の二十歳。

 そう。二十歳。


 そして婚約破棄の舞台は、まさかの学園の廊下だった。

 誰もが思った。

 何でここ?


 十代の制服姿の彼らの中にあって、二十歳の青年はとにかく目立った。

 お兄さん、空気を読んで!と、みんなが思った。

 しかし、残念ながら空気を読めるような男だったら、そもそも婚約破棄なんかしないだろう。


 みんなの白い視線など目もくれず、派手派手ピンク髪のミミを胸に抱き、レイモンドはどんどん高揚し、舞台俳優の如く、熱く彼女への愛を語り、キャサリンの非道を詰った。


 それとは反対に、周囲の温度は冷えていく。

 だって心底彼の愛の語りなど興味はないし、キャサリンへの非難は、どう聞いてもただのイチャモンだ。


 一方、迷惑千万の婚約破棄のお相手キャサリン・キャスタール侯爵令嬢だが。

 クフクフと込み上がる笑いを必死で噛み殺し、プルプルと震え俯いていた。


 彼女は、情熱の炎といった燃えるような赤髪を縦ロールにした、長いまつ毛にルビーのような瞳の、目鼻立ちがはっきりした美人だった。

 しかし、その俯いた表情は残念なモノ以外の何物でもなかった。


 ただ、そんな残念な表情も、その内心も、外側から見たら誰もわからない。

 急に婚約破棄をふっかけられ、屈辱と羞恥と絶望に震える悲劇の令嬢にしか見えなかった。


(ダメよ、キャサリン。笑ったらダメ。もう少し耐えるのですわ!ププ!)


 そう、まさかキャサリンの内心がこんなだとは誰も思わない。

 かくしてレイモンドは、最後にお決まりのセリフを吐き、侯爵令嬢キャサリンと婚約破棄とあいなった。


 キャサリンは、その瞬間ニンマリと笑った。


   ◆


 朝の陽の光が顔に当たり、私はまだ眠い目を擦りながら起きると大きく伸びをした。


 休みの日を使って、私は早速この部屋に引っ越して来た。

 おばあちゃんは心配してついて来たが、この部屋を見ると安心したようだ。


 そして、様子を見に来たマダム・リンダと不思議と波長が合ったようで、マダム・リンダの部屋でお茶を飲んで、おしゃべりを楽しんでから、帰って行った。


 バルドさんも引っ越しを手伝うと言ってくれていたが、身の回りに必要な物だけ詰め込んで家を出た私の荷物は、大きなバッグ一つだけだ。


 男手を借りるほどもないので、今回はお気持ちだけ受け取った。

 そのうち、実家にある荷物をこちらに運ぶようなので、その時はお手伝いを頼みたいとお願いしたら任せとけ!と、ドンと胸を叩いて了承してくれた。

 本当にバルドさんには感謝だ。


 窓を開け、私は新鮮な空気を吸い込む。

 今日から私はここで暮らす。初めての一人暮らしだ。

 雲一つない澄んだ青空に、自然と笑みが浮かんだ。


   ◆


「ねえねえ、聞いた?」

「あ、あれでしょ?悲劇の侯爵令嬢でしょ?」

「そうそう」

 メイドの支度室で、貴族令嬢のメイド達がキャアキャアと噂話に花を咲かせた。


 私はその輪には加わらないが、そっと聞き耳を立てた。

 メイドにとって情報は大切だ。


「婚約者のアルトス公爵令息が学園に行って婚約破棄を宣言したんでしょ?」

「そう。ひどいわよね」

 本当にひどい話だ。


 わざわざ学園で婚約破棄を宣言するなど、嫌がらせ以外の何者でもない。

 貴族の婚約破棄は、家同士の話し合いで決めるものだ。

 私は、そっと眉を顰めた。


「国王陛下もその身勝手な婚約破棄に怒って、結局公爵嫡男であった令息を廃嫡させて、相手の男爵家に婿入りさせたそうよ」

 公爵家の嫡男であったのに、男爵家に婿入りか。

 なかなかの罰が下ったようだ。


 それでも何の瑕疵もない侯爵家令嬢にとっては、許されるものではないだろう。

 一生を台無しにされたようなものだ。

 もう、彼女の結婚は絶望的だろう。

 高位の貴族令嬢だ。修道院に入るしかないのかもしれない。

 どれだけその御令嬢は、嘆き悲しんでいるだろうか……。


 同じ女性としてやるせなく、身勝手な婚約破棄をやらかした公爵令息に怒りが湧いた。



  

 そう、ほんの五分前にそう思った。


「みなさま、初めましてですわ!私が今噂の、キャサリン・キャスタール侯爵令嬢ですわ!学園は飛び級で卒業して参上ですわ!オ〜ホッホッホッ!」


 燃えるような鮮やかな赤髪のクルクル縦ロールに、吊り目がちなルビーのような瞳の、目鼻立ちがはっきりした御令嬢が口の脇に手の甲をあて、高らかに笑った。


 あれ?悲劇の令嬢?


 失意の中の侯爵令嬢を想像していた私達は、思いきり首を傾げた。

「今日からメイドとして働くことになった、キャサリンです」

 メイド長のカレン様は、ほんのり疲れたような微笑みを浮かべた。

 ずっとあのテンションだったのかもしれない。


「そうね……シャルルのメイド班で、キャサリンの指導をお願いしましょう」

「わ、私の班ですか!?あ、いえ、かしこまりました」

 シャルル様は男爵令嬢だ。適任だろう。

「よろしくお願いしますわ!」

「ヒィ、は、はい。よろしくお願いいたします」


 

 そして次の日、シャルル様はお休みなさった……。


「シャルルは体調を崩したそうです。代わりにハンナ、指導をお願いします」

「かしこまりました」

 ハンナさんは平民ではあるが、ベテランだ。

 シャルル様がいらっしゃらないならハンナさんが適任だろう。


「よろしくお願いしますわ」

「あたしはシャルル様のように甘くないので覚悟して」

「望むところですわ」




 そして次の日、ハンナさんも体調不良で休んだ。

 え?一体何が?お二人共ピンピンされてたはずなのに?


 そして今、朝礼中ふとカレン様と目が合った。

 ハッ、しまった。

 周りを見ると、みんなスッと視線を逸らしていた。

「セシリアのメイド班に入れることにしましょう。セシリア、指導をよろしくお願いしますね」

「はい。かしこまりました」

 私は恭しく頭を下げながら、高位の貴族令嬢の指導にクラクラした。

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