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プライドの在処

 その日、ラテアートを習得する研修室に激震が走った。

 

 元は王太后の孫である公爵令息レイモンドの婚約者に選ばれた才色兼備のキャサリン・キャスタール侯爵令嬢、史上最年少で王妃殿下の専属侍女に選ばれたグラビス・タイタン伯爵令嬢、極めつけに美貌と気位の高さと公爵の溺愛で有名なウルブシュア・モデラン公爵夫人が揃っていたのだ。

 今日も、平民のラテアート講習会など知らんぷりで帰ろうとしていた侍女達は慌てて研修室に集まった。

 

「遅いですわ。侍女だというのに時間も守れないんですの?」

 ウルブシュア様が、その美貌を不快げに顰めた。

「た、大変申し訳ございません」

 みんながひたすら低姿勢に頭を下げていた。もちろん、ロザリー様もである。


 相手は力のあるモデラン公爵夫人だ。

 彼女にベタ惚れのモデラン公爵は、ウルブシュア様に不快な思いをさせた者を絶対に許さないという。


「セシリアさん、これはどういうことかしら?わざわざ、お忙しいお三方にご迷惑をかけるなんて」

 ロザリー様は困ったように頬に手を当て、小首を傾げる。

「みなさまは平民に習うことはできないご様子でしたので、高位の方々に頼んだだけですが?」

 私は何もおかしなことしてません、とばかりに無邪気な微笑みを浮かべた。


「あなた、他人に頼るなんてプライドはないの?」

 ロザリー様が蔑むように笑って私を見た。

 この人は何を言っているのだろう?

「プライドとは?プライドがないのはみなさまの方でしょう?」

 私は心底わかりませんという顔で、コテリと小首を傾げた。


「は!?」

「生意気な」

「平民風情が!」

 みんなが気色ばんだ。


「だって、私のプライドは仕事を全うすることです。みなさまは?私が平民だからと、ラテアートを教わる気持ちはなかったようですが、それでお茶会当日どうされるのでしょうか?」

 みんながグッと口をつぐんだ。


「ああ!各自ラテアートをどなたかに習いに行って身につけていらっしゃるのですね!それなら、安心です」

 そんなことは無理とわかっていて、目を輝かせた。


 ラテアートは、ニツホルス国のごく一部の地域で楽しまれているものだ。

 たまたま、父さんが見つけて私とリリアに教えてくれたのだ。

 そんなラテアートを教えられるのは、この国では父さん、リリア、私くらいだ。

 みんな何も言えずに黙り込んだ。


「呆れたね〜!王女宮の侍女って質が低すぎだよ」

 グラビス様が、馬鹿にしたように笑ってみんなを見回した。

「グラビス様、失礼ですよ!」

 騒ぎを聞いてやって来たアルマ様が、噛み付くように怒鳴った。しかし、グラビス様は馬鹿にしたようにクスクス笑ったままだ。


「ちゃんと、みんな教わっているはずです!そうですわね!?」

 アルマ様が見回すと、みんなが気まずげに視線を彷徨わせた。


「まさか、誰もセシリアさんのラテアートの講習会に出ていないのですか!?ロザリー様、みなさんに声をかけるようにお願いしましたよね?」

「そ、それは……言ったのですが、やはり平民に教わるのは難しく……」

 ロザリー様が気まずげに視線を彷徨わせた。


「そんな!ロザリー様、話が違いますわ」

 みんながロザリー様を非難したが、ロザリー様はモゴモゴと「何か誤解が……」と小さく呟くだけだった。

 アルマ様が愕然とした顔をした。彼女はずっと、お茶会の準備に忙しく動いてらっしゃったから気づかなかったようだ。


「もう、あと二週間なのですよ!?ユリア様に恥をかかせるつもりですか!?」

「だ、だって、平民に教わるなんて私達のプライドが!」

「ユリア様のためにも、平民の侍女はいない方がいいと思って」

「それに、ロザリー様が当日はセシリアさんが一人でラテアートをすれば大丈夫っておっしゃったし」

「そうです。だから、私達は大丈夫だと思って」

 みんなが口々に言い訳を始めた。

 ここまでみんなが講習会に出なかったのは、裏でロザリー様が煽っていたせいもあるようだ。


「まあ!ロザリー様は、私が四十五人分を一人でできると思われるのですか?随分私は有能と思われているようですね」

 アルマ様が目を剥いてロザリー様を見た。


「あ、あら、私はちゃんと出ないと駄目よと諌めましたが、何か誤解があったようですわね?」

「そんな!ロザリー様が大丈夫とおっしゃったから」

「さあ?何か行き違いがあったようですわね」

 アルマ様は、固い表情でロザリー様を見つめた。

 みんながザワザワと騒ぐのを、私はパンと手を叩いて黙らせた。


「そんなことは、どうでもよいです。みなさまのご希望の高位の方々に講習をお願いしたのですから、しっかりラテアートの技術を身につけてくださいませ。時間がもうないことはおわかりですね?」

 私は笑顔に冷んやりしたものを込めて、みんなを見つめた。

 シンとみんなが私を見つめた。


「返事は?」

「は、はい」

 こうして、みんなは講習会に毎日きっちり出るようになった。

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