グラビス・タイタン
私が先行きの不安に肩を落としていると、トントンと誰かに肩を叩かれた。
振り向くと、ショートカットのオレンジの髪に、明るいクリクリとした黄緑色の瞳の侍女が、人懐こく私に笑いかけていた。
「やあやあ、セシリアさん!久しぶりだね!ニヒッ」
「……グラビス様?」
そこには、グラビス・タイタン伯爵令嬢がいた。
「そう。グラビスだよ。覚えていてくれて嬉しいよ」
彼女は、私がメイド班長時代に指導した令嬢だった。
私がメイドになった頃は、それはそれはメイド班長の辞退が相次いた年だった。
まだ一年も務めていないのに、私にまでメイド班長が回って来てしまったほどだ。
その時、私のメイド班にいたのがグラビス様だ。
本当にやんちゃな方だった。
私のポケットにミミズを入れてくるし、わざと水の入った木桶をひっくり返すし、嫌だぁ!と寝っ転がって駄々をこねるし……、一つ一つ話し合ううちに、ある日いきなりストンと収まり素直に教わるようになったが、なかなかインパクトのある令嬢だった。
それが王妃殿下の専属侍女になったと聞いた時には、本当に驚いたものだ。
人の未来はわからないものである。
「もちろん覚えています。お元気そうですね」
「うん。元気だよ。セシリアさんは少し疲れてる?」
グラビス様が心配そうに尋ねた。
「いいえ。私も元気ですよ」
「あのさ、いろいろ噂はこっちまで聞こえてるよ。あの時の借りをまだ返してないんだから、何かあったら遠慮なく頼るようにね〜」
借りとは何だろう?
私はよく覚えておらず首を傾げたが、グラビス様は気にしないでニヒッと笑った。
「ちゃんと、味方がいるからがんばるんだよ〜」
グラビス様はそう言うと、ヒラヒラと手を振り行ってしまった。
しかし、心配して声をかけてくれたグラビス様に私は温かい気持ちになった。
◆
お茶会まではひと月だ。
次の日から、通常の仕事に加えて準備の仕事も加わって大忙しだった。
アルマ様の補助についたロザリー様も、私に嫌がらせをする余裕もないくらい忙しそうだ。
おかげで、私も平和だ。
通常の仕事も、私は一人で仕事をこなすようになっていた。
「おはようございます。ユリア様」
「おはよう。セシリア」
私は、朝番業務のユリア様の朝の身支度を整える。
「本日の髪型はいかがなさいますか?」
「今日の予定は?」
「本日は、エリザベート王太子妃殿下とのお茶会が入っております」
ユリア様は一瞬嬉しそうな空気を出したが、すぐに感情を隠した。
ユリア様の髪をとかしながら、私は少し複雑な気持ちになった。
ユリア様は、ホッと気持ちを緩める時間があるのだろうか。
ユリア様は、勉強も礼儀作法も全てにおいて張り詰めているような空気をまとって努力していた。
十二歳の女の子が、こんなにずっと気を張っていて大丈夫なのだろうか。
「あの、ユリア様。本当に余計なお世話だとは理解しておりますが、一つだけお話させていただいてもよろしいでしょうか?」
ヘーゼルナッツの色の賢そうな瞳が、鏡越しに私を見た。
「許すわ」
「ユリア様はオンとオフという言葉をご存知でしょうか?」
「オンとオフ?知らないわ」
ユリア様が首を横に振った。
「例えば、シャンデリアを思い浮かべてください。シャンデリアが、ずっと光り輝いたままでしたらとても美しいですよね」
「そうね」
「でも、そのシャンデリアはどうなると思いますか?」
「消耗が激しいと思うわ」
私が問うと、ユリア様は少し考えて答えた。
「はい。だから、必要な時だけ光を灯しますよね?」
「ええ」
「人も同じだと思います。ユリア様の場合、お立場的に、王族という仮面をつけなければなりません。ただ、ずっとつけたままでは、消耗が激しいのではないかと愚考いたしまして……」
ユリア様が、パチパチとヘーゼルナッツ色の瞳を瞬かせた。
「信頼している者の前で、素の自分を出してオフの時間をどうぞお作りください。もし、その時間がもうあるのでしたら、この話はどうぞ愚かな平民の戯れ事とお忘れいただけるとありがたいです」
今更ながら、私は余計なことを言ってしまったのではないかと冷や汗をかいた。
つい心配になって、口に出してしまった。
「余計なことを申し上げました」
私は深く頭を下げた。
いや、これで許されるかもわからない。
「頭を上げて。セシリアは私のことを思って言ってくれたのでしょう?心に留めておくわ。ありがとう、セシリア」
ユリア様は、フッと肩の力が抜けたあどけない笑顔で微笑んだ。
今回のお茶会はユリア様の初めてのお茶会だ。
私はユリア様のために、なんとしてもこのお茶会を成功させたいと思った。
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