バルドとダンス
ダンスの練習は、毎日昼休憩に王太子妃宮の大広間をお借りして行われることになった。
私は、昼食の時間を潰して先に練習をすることにした。
とてもではないが、悠長に昼食を摂っている余裕がなかった。
まずは、ゆっくりダンスの動きを確認していく。
ちゃんと一人の時は動けるし、ダンスの動きも完璧なのだ。
「セシリア!早いね」
ドュークリフ様が来たようだ。
「今日からお世話になります。よろしくお願いいたします」
「うん、がんばろう。まずダンスの動きを確認していこうか」
ドュークリフ様とホールドを組む。
途端に私はピシリと固まった。
しかし、ドュークリフ様はそれには触れず進めてくれた。
「ゆっくり、一、二、三、一、二、三…………うん。ちゃんと動きは覚えているんだね」
「はい。動きは全て書き出せます。ただ、動けなくて……すみません」
私は情けなさに唇を噛んだ。
「手が震えてる。もしかして、学園の時パートナーに何かされた?」
「……はい。貴族の方には踊っている間中貶され続けて、平民の方にはわざと足を踏まれたりなどありました」
「それは怖かったよね」
「そうですね。怖いし、自分が情けなかったです」
馬鹿にされないくらい、踊れればよかったのだ。
「怖いのに、ちゃんとこうやってダンスに取り組んでくれてありがとう。僕はダンスのパートナーは唯一踊っている相手を助けてあげられる存在だと思ってるよ」
唯一、助ける……私にとってパートナーは一番近くで意地悪する存在だった。逃げたくても逃げられない地獄のような時間だと思っていた。
「セシリア、大丈夫。姉上以外からは僕が守るから」
私はキョトンと首を傾げた。
「エリザベート様は無理なんですか?」
「うん、無理。姉上はこの世で一番怖いからね」
その悟りきったドュークリフ様の顔に、私は笑った。
「じゃあ、もう一度、踊ってみようか」
「はい」
踊りは相変わらずの棒ダンスだったが、手は震えなかった。
◆
それから毎日ドュークリフ様にダンスの指導を受けた。
私は昼食の時間は自主練にあて、仕事が終わったあとは、侍女になった時に必要な勉強会に出たり、マーバリー先生に時間がある時は礼儀作法のレッスンを受けた。
そして帰ってからは、何度もダンスのステップを確認した。
どう考えても一日が二十四時間では足りない。
そうなってくると減らせるのは、食事に関する時間だった。
実は、私は料理がすごく苦手である。
適当にがうまくできなくて、ものすごく時間がかかってしまうのだ。
なので、自然に食事は料理をしないで済むパンかバナナで片手間に済ませるようになっていった。
◆
「セシリア。今日は助っ人を呼んであるよ」
「セシリアさん〜、もう!もう!どうしてダンスのことを言ってくれなかったんですか!?すぐに助っ人に駆けつけましたのに!はぁ、王太子妃宮……エリザベート王太子妃殿下の匂いがするような気がしますわ!いい匂いですわ〜」
午前の仕事が終わって別れたキャサリン様がいた。
今日もお元気そうだ。
「あ、姉上がキャサリン嬢にはお世話になってるから、気軽にエリーでもリズでも好きに呼んでって言ってたよ」
「はう!マジですか!?フィン様」
「あ、僕もクリフで構わないよ」
「あ、いえ。それは別に。ドュークリフ様くらいで大丈夫です」
キャサリン様がスンと真顔で手のひらをドュークリフ様に向けたあと、鷹の目のような鋭い目で彼を見た。
「それより、あの、リ、リ、リ、リズ様と本当に呼んでよろしいんですか?」
「うん。いいって」
キャサリン様が、グリンと私の方を向いた。
「セシリアさん〜、私をつねってください。夢かもしれません」
「大丈夫です。キャサリン様、現実です」
変わらないキャサリン様のテンションに、私もいつもの調子で返した。
「悪い。遅くなった」
「え?バルドさん」
今度は、バルドさんまでダンス室に来た。
急いで来たのか、額に汗がすごい。
私はハンカチを出して、バルドさんの汗を拭った。
「ありがとな。嬢ちゃん」
ドュークリフ様が、真顔で私達を見つめた。
「いえ。でも、なぜバルドさんもここへ?」
「舞踏会でのエスコートは、バルドになったんだ」
ドュークリフ様が言った。
そうか。当日はエスコートの相手がいるのか。
「今回、第二騎士団の騎士がセシリアにやらかしただろ。その禍根はありませんってアピールの必要があるんだ」
なるほど。私は納得する。
私は気にしてませんとアピールすればいいのか。
「あの阿呆は謹慎中ですものね。あんなのがセシリアさんのエスコートの相手でなくて良かったですわ」
失礼かもしれないが、キャサリン様の元婚約者のレイモンド・カルサンス様にはよいイメージがないので、バルドさんがエスコートでよかった。
「当日は俺とダンスだから、時間が取れる時は俺とダンスの練習だ」
「当日は二人だけで踊るわけではないから、練習でも少しずつ慣らしていこう。僕とキャサリン嬢も、一緒に踊るよ」
確かに、他に踊っている人がいると感じが違うだろう。
「バルドさん、私はダンスが苦手です。ご迷惑をおかけすると思います。申し訳ありません」
私がそう言うと、バルドさんが困ったように眉を下げた。
「実は俺もダンスは苦手なんだ。二人で猛特訓だな」
バルドさんもダンスが苦手なようだ。
私が一方的に迷惑をかけるのではないなら、少し気が楽だ。
「はい。頑張りましょう」
「おう。クリフみたいに、嬢ちゃんに合わせるみたいな器用なことはできないから、嬢ちゃんが合わせてくれると助かる。代わりに嬢ちゃんが転びそうになったら持ち上げてやるから安心して俺に任せてくれ」
「はい」
私はホッとして笑った。
「じゃあ、まずはバルドとセシリアだけで踊ろう」
ドュークリフ様がレコードをセットした。
バルドさんが、ホールドを取るのに手を合わせる。
いつものように途端に私は固まった。
「嬢ちゃん。緊張するな」
バルドさんがニカリと笑った。
そのお日様みたいな笑顔に、あ、と思った。
ドュークリフ様は、パートナーは唯一相手を助けられる存在だと言っていた。
いつも私を助けてくれるバルドさん。優しくて大きなバルドさん。
ストンと大丈夫だと思った。
そして、曲がかかる。
何回もドュークリフ様と踊った曲だ。
体の力が抜けた私は、バルドさんの動きに全てを預ける。
苦手だと言っていたバルドさんは、確かにドュークリフ様に比べると拙い。でも、私を全身で守ろうとする気持ちが伝わった。
ここは世界で一番安心できるところだと思った。
だから、私は安心してバルドさんだけを見て踊った。
バルドさんも私だけを見つめて微笑み、持ち上げてクルクルと回したりするから、私も楽しくて自然に微笑んでいた。
その逞しい腕は、絶対私を守ってくれる。
最後の一音が鳴るまでずっと私達は見つめ合い、微笑み合って踊った。
音楽が止まっても、私はバルドさんから目が離せず、バルドさんも私を見つめ続けた。
「すごいですわ!セシリアさん、素敵なダンスでしたわ。ね?ドュークリフ様」
キャサリン様がパチパチと拍手して、ドュークリフ様を見た。
「あ、うん。セシリア、踊れていたよ。とても上手だった」
私はハッとしてバルドさんから離れたが、その手はまだバルドさんに繋がれたままだ。
体を動かしたせいか鼓動が速い。
「おう。嬢ちゃん、すごく上手だった。俺もがんばらないとな」
「ドュークリフ様が丁寧に教えてくださったおかげです。バルドさん、楽しかったです」
「俺は舞踏会までに、もう少しマシにならないとな」
「一緒にがんばりましょう。ドュークリフ様、ご指導よろしくお願いします」
「よろしくな。クリフ」
「あ、うん。もちろん」
なぜか、固い表情のドュークリフ様が、慌てたように笑顔を作った。
どうかしたのだろうか?
「そういえば、ガルオス様は婚約者はいっしゃらないんですか?」
「俺?まだ婚約者はいないよ。父親が今見つけてるとこかね」
何気ないキャサリン様の質問にバルドさんはさらりと答えた。
婚約者……。そうか、バルドさんは侯爵令息だったのだ。
貴族だったらいずれできるのは当たり前のことだ。
でも、なぜか胸がチクリとした。
と、同時にぐるりと部屋の景色が動いた。
「あれ……」
そのままグルグルと視界が回り始め、私は立っていられずにしゃがんだ。
「嬢ちゃん!?」
近くでバルドさんの声を聞いたと思ったら……私の意識は暗転した。
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