ダンスのトラウマ
「はい?ダンスですか?」
私はドュークリフ様に思わず聞き返した。
私がいつものように仕事のあと図書室で勉強をしていると、ドュークリフ様がやって来て言った。
どうやら、試験に受かった人達のお祝いとして王城で夜会が開かれるのだそうだ。
そこまではいい。それは例年通りだ。
しかし、今回はよりにもよって舞踏会なのだ。合格した私達は、ダンスを最初に披露しなくてはならないらしい。
「これも、王太后の嫌がらせだろうね……。まあ、学園での成績がトップだったセシリアなら大丈夫だよね?」
私は、汗がダラダラと流れた。
ダンス……学園を卒業したら、もう私の人生に関係ないもののはずだったのに。
「ドュークリフ様、当日休んだらまずいでしょうか?」
「え?もちろん、かなりまずいけど」
「私、ダンスは壊滅的です……」
「は?」
ドュークリフ様の表情が固まった。
「でも、成績ずっとトップだったよね?」
「学園の成績は五教科なので、ダンスは含まれません」
そう……。学園時代、努力でどうにもできなかったのがダンスだ。
貴族の方々は幼い頃からダンスに親しみ、みんな上手だった。
平民である私は、やはり下手だった。
それは他の平民の子達も一緒だった。
しかし、私の場合はそこに嫉妬が絡んできた。
平民の女の子達は、憧れのヘンリーの婚約者である私のダンスの練習をことごとく邪魔をした。
平民の男の子達は、女の子達に私と踊るなと言われたのもあるが、何よりも、女のくせに成績トップの私が気に食わなかったようで、お願いしても誰もダンスの練習に付き合ってくれる人はいなかった。
貴族の方々は平民なのに成績トップを取り続けた私のダンスを、ここぞとばかりに馬鹿にして嘲笑した。
私はダンスのステップは全て頭に入っていたのだが、それらの視線にどうしても体が動かなくなってしまったのだ。
もう二度とダンスなんかごめんだと思っていたのに……。
「うん。ちょっと試しに踊ってみよう」
さすがに図書室では踊れないので、私達は王太子妃殿下の王太子妃宮に移動した。
「は?セシリアは踊れないのか?学園でトップだったのに?」
私のダンスについて話すと、エリザベート王太子妃殿下も驚きの声をあげた。
私は申し訳なさに、体を小さくした。
「申し訳ありません」
「いや、謝ることはないよ。まずはクリフと踊ってみせて」
「はい」
私は、ドュークリフ様のホールドに手を添えた。
柔らかなウェーブの銀の髪に、パチリと大きな翡翠の瞳の、可愛らしい容姿のドュークリフ様だが、護衛騎士だけあってホールドするとその鍛えられた筋肉質な体が感じられた。
きっと、世の貴族令嬢達ならドキドキしたことだろう。
しかし、私は別の意味でドキドキした。
踊れますように、踊れますように……。祈るような気持ちで第一歩を踏み出した。
そして、結果。
私の祈りも虚しく、エリザベート王太子妃殿下とドュークリフ様が頭を抱えてらっしゃった……。
「本当に申し訳ありません」
やはり、私のダンスは壊滅的だった。
ここにはあの嫌な視線はないとわかっているのに、体がどうしても強張ってしまうのだ。
おかげで滑らかにリードしてくださるドュークリフ様のテンポを狂わせ、私のカクカクした棒のような動きにドュークリフ様もつられるようにカクカク踊るようになってしまった。
「う〜ん、これは思った以上に手強そうだね」
エリザベート王太子妃殿下が考え込むように腕組みした。
その瞬間、ドュークリフ様が吹き出した。
「プッ……ごめん。だって、あんな棒みたいな動き」
ドュークリフ様は、とうとう堪えきれないように笑い出した。
私は俯いた。
もちろん、ドュークリフ様に悪気がないのはわかっている。
でも、あの学園で笑われ続けた三年間をどうしても思い出してしまう。
「セシリア……?」
様子のおかしい私に、エリザベート王太子妃殿下が心配そうに声をかけた。
ドュークリフ様も笑うのを止めて、私の顔を覗き込んだ。
「え?」
今にも涙が溢れそうだ。
「この、馬鹿弟が」
地の底を這うような低いエリザベート王太子妃殿下の声に、驚いて顔を上げた。
スパーンと小気味良い音をさせて、エリザベート王太子妃殿下がドュークリフ様のお尻を叩いた。そのまま続けてお尻を叩く。
「お前は一生懸命な姿を笑う愚か者に、いつからなったんだ!?」
「痛、痛い!姉上!反省してる!本当に反省してるから」
びっくりして涙もひっこみ、呆然とその様子を見ていたが、ハッと気づいて慌ててドュークリフ様のお尻を庇った。
「エリザベート王太子妃殿下、お止めください」
「ああ、そんな長々と呼ばないでエリーとかリズでいいよ?」
「いえ、ではエリザベート様で。あの本当に大丈夫ですから」
「セシリア、本当にごめん。僕が悪かった」
ドュークリフ様が、神妙な顔で頭を深く下げて謝罪した。
私はさっきまでのギュッと胸が詰まるような嫌な感覚もなくなり、小さく微笑んだ。
「謝罪を受け入れます。もう本当にお気になさらず」
エリザベート様は、私の頬を優しく包み覗き込んだ。
「踊れないのには何か理由があるね?それを聞いても?」
キャサリン様ではないが、麗しいエリザベート様のお顔に私も真っ赤になった。いい匂いもする。
ポゥッと頭がフワフワしている。
「姉上〜、それじゃセシリアが話せないよ。ほら、離れて離れて」
ドュークリフ様が、私からエリザベート様を離した。
私はやっと息を吐いて、ほてった頬に手を当てた。
「で?セシリア、聞かせてくれるかい?」
「はい。お恥ずかしい話ですが――」
私が事情を話すとドュークリフ様はすっかり項垂れ、エリザベート様は真顔だった。
「クリフ、もう一度尻を出せ」
「はい、姉上」
ドュークリフ様が、素直にお尻をエリザベート様に向けた。
「え?何を?」
エリザベート様が、スパーンとお尻を叩いた。
「セシリア、本当に申し訳なかった」
そして、ドュークリフ様が土下座しそうな勢いで謝った。
「いえいえ!もう謝罪は先程受けましたから。本当に気にしないでください。ちゃんと、ドュークリフ様に悪気がなかったのはわかってますから。こちらこそ、いつまでも嫌な思い出に引きずられてしまってすみません」
もう学園を卒業して四年も経っているというのに、しつこく心に残っているのが情けない。
「いや、本当にごめん」
ドュークリフ様は、なかなか頭を上げない。
私は困ってエリザベート様を見た。
「じゃあ、クリフ。お前がダンスを教えてやれ。舞踏会までひと月、学園の馬鹿な奴らを見返してやるぞ」
「やる。やります。セシリア、僕がダンスを教える。絶対、見返してやろう」
え?ドュークリフ様自ら?
しかし、ここで頷かないとずっとドュークリフ様が謝罪を続けてしまいそうだ。
そして、本当に私のダンスがまずいことがわかる。
あとひと月しかないのだ。
「はい。よろしくお願いします」
お読みくださりありがとうございます。