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二次試験の一日前

 ――時を遡ること、一日前。

 

 私はラウンドア様がいつものようにさっさと定時で帰ったあと、速やかに王太子妃宮を訪ねた。

「で?とうとう動きがあったのかな?」

「はい」


 私はドュークリフ様とエリザベート王太子妃殿下に、ヘンリーからの手紙とラウンドア様の言葉を伝えた。

 確かにヘンリーには罪悪感がある。しかし、それはそれ、これはこれである。


「なるほどねぇ……うん。これは申し訳ないけど、第二騎士団の副団長に動いてもらおうかな」

 ドュークリフ様が、小さく呟くとドアの前に立っている騎士に声をかけた。

 そうして、少しして現れた第二騎士団の副団長は……バルドさんだった!?


 私は、ただただ目を見開いてバルドさんを見た。

 今の彼は、騎士服を着ていた。

 そういえば、別にバルドさんから料理人だなんて話は聞いたことがなかった。料理がうまいから、私が勝手に料理人と思っていただけではないか!

 そうか。あの手のひらの肉刺は包丁でできたのではなく、剣だったのか。

 バルドさんは、ガバリと私に頭を下げた。


「黙っていてすまなかった!」

「いえ。こちらこそ、ずっと料理人と勘違いしていて、失礼いたしました」

 しばし、沈黙が流れた。

 そして、バルドさんは逡巡するように口を引き結んだあと、さらに頭を下げた。


「俺の本当の名前は、バルド・ガルオスだ。ガルオス侯爵家の嫡男だ」

「侯爵……」

 頭を下げたまま言われ、その表情は見えなかった。

 ガルオス侯爵家……。武の一門の貴族家だ。その嫡男……。

 近い存在であったバルドさんが、遠くに感じた。


「存じ上げなかったこととはいえ、今までのご無礼を深くお詫びいたします。以降は「俺は」――」

 以降は適切な距離をと言いかけたところで、バルドさんに遮られた。


「俺は、セシリアと友達の関係でいたい。今まで通りに接してほしい……」

 バルドさんが、頭を下げたまま乞うように言った。


 私は……。

 様々な思いが巡った。

 バルドさんと友達をやめたいか?やめたくないか?

 それはもちろん、やめたくない。

 初めてできた大切なお友達だ。

 しかし、私は平民でバルドさんは侯爵令息だ。

 じっと下げられているバルドさんの頭を見つめた。


 バルドさんのお日様のような金の髪は変わらない。

 そして、貴族だと告白したあともバルドさんの態度は変わらない。

 今のバルドさんも、昨日までのバルドさんも変わらない。


 なのに私が変わってしまったら、バルドさんは傷つくのではないだろうか……。

 そして何より、私はこれからもバルドさんとたくさん話したいし、そばにいてほしい。


「私も……バルドさんと友達をやめたくありません。初めてできた大切なお友達です」

 私は答えながら、いつもバルドさんがしてくれるようにポンポンと頭を撫でた。

 バルドさんが望んでくれるなら、この距離も変えない。


「頭を上げてください。改めて、よろしくお願いします。バルドさん」

 私は、バルドさんに手を差し出した。

「ありがとう。嬢ちゃん」

 バルドさんが、私が差し出した手を握った。


「さて、話はまとまったかな?」

 エリザベート王太子妃殿下が、生温かい目で私達を見ていた。


「も、申し訳ございません」

「失礼いたしました」

 私とバルドさんは慌てて謝罪した。

「君達の関係が大いに気になるところなんだけど、それはぐっと我慢して話を進めようか」

 エリザベート王太子妃殿下が、ドュークリフ様を見た。

 私は気持ちを引き締める。


「連中が表立ってセシリアに危害を加えることはないと思う。もし騒ぎになって、それを盾に平民の学費援助金と平民を登用する政策を進められるのは向こうも困るからね。多分、ヘンリーとかいう男を使ってセシリアを呼び出して、攫おうって腹だと思うんだよね。もし、あとからばれても、セシリアに婚約破棄されたこの男なら、ただの怨恨で押し切れるしね〜。ニルスは、見届け人かな。で、攫われる場所はここの娼館」

 ドュークリフ様が、地図を広げて一つの場所を指差した。


「ここに連中がコソコソ出入りしているし、金が流れたのも確認している。セシリアとしても攫われたとは大っぴらに言えない場所だ」

 娼館に攫われたとは、女性としてなかなか言えない。


「この企みは、このまま実行してもらおうと思う。ここで潰しても、セシリアが侍女試験を受けられないようにまた画策してくるだろう。だったらこのまま、計画が成功したと思わせた方がいい」


「わかりました」

 しっかりと三人を見て頷いた。

 わかっているとはいえ、攫われる恐怖に手がカタカタと震えた。

 しかし、私は覚悟して平民の身分で侍女試験に挑むと決めたのだ。怖くたってなんだってやる一択だ。


「嬢ちゃん、絶対に俺が守る。嬢ちゃんが明日無事に侍女試験に挑めるようにする」

 バルドさんの大きく温かな手が、震える私の手をギュッと握った。


 私は、バルドさんの青空のような瞳を見つめた。

「はい。よろしくお願いします」

 もう、私の手は震えていなかった。

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