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ヘンリーの転落

 ヘンリーがセシリアとお見合いをしたのは、六歳の時だった。

 六歳のヘンリーは、幼いながらもとても可愛らしい容姿をしていて、とにかくチヤホヤされた。


 この地域に住む女の子達は、みんなヘンリーが好きだったと言っても過言ではないくらい、とてももてた。

 ヘンリーの両親は、これだけ顔がいいヘンリーなら貴族令嬢とも結婚できるかもしれないなと笑って言っていた。


(それなのにこれ?)

 初めて会ったセシリアは、暗いモジャモジャ髪に、顔にはまるで炭で描いたような汚い点々がついていた。一重の暗い紫の目も、何もかもが気に入らなかった。

 そんなセシリアが、自分に見惚れるのも腹が立った。


(ブスじゃないか!身の程を知れ!)

 ヘンリーは、セシリアに泥を投げつけてやった。

 そうしたら、いつもはチヤホヤする両親がものすごく慌ててヘンリーを怒鳴った。


 その剣幕に、ヘンリーは大泣きした。

 全部セシリアのせいだと、ますます腹が立った。

 たが両親の話によると、セシリアは大商会のお嬢様らしい。


 セシリアと結婚すれば、その大商会が自分の物になるというのだ。

 ヘンリーは、それならばと渋々婚約を受け入れた。

 

 そうして婚約がスタートしたヘンリーであったが、思ったより都合がよかった。

 セシリアは一目惚れ相手の自分に従順だし、ゴードスはゆくゆくは親戚になるからと、下請けである実家にいろいろ援助してくれた。


 おかげで、好きなものを買ってもらえるようになった。

 ヘンリーは、あんなブスと我慢して婚約してやっているのだから当たり前だと思っていた。


 大人になるにつれ、ますますヘンリーはもてた。

 ヘンリーは、取っ替え引っ替え女性達と付き合い、学園生活を謳歌した。


 もちろん勉強なんか二の次だった。

 どうせ将来は、ルパート商会を継ぐことが決まっているのだ。


 ヘンリーはぎりぎりの成績で何とか学園を卒業すると、ゴードスがルパート商会に就職して仕事を学べと言ってきた。

 しかも下働きからだ。意味がわからなかった。


 ヘンリーは、ルパート商会のトップで命令する立場になるっていうのに、何でそんな仕事をしなければならないのかと鼻白んだ。

 ゴードスには、セシリアと結婚するまでは実家の店を手伝って両親を助けたいと言って断った。


 もちろん、働く気はない。

 両親のちっぽけな店で働くなんて、ヘンリーのプライドが許さなかった。

 両親も、どうせヘンリーはルパート商会を継ぐのだからと好きにさせてくれた。


 ヘンリーは、毎日楽しく女性達を侍らせて遊びまくった。

 金は、ゴードスが両親の店を援助してくれている金を、俺のおかげの金だと言えば好きに使えたし、セシリアからももらえたから不自由はなかった。


 しかし、セシリアが二十歳を越えると、さすがにゴードスが焦り始めた。

 強引にヘンリーと、セシリアを結婚させようとしてきた。


 ヘンリーは、結婚してもこれまでの生活を変えるつもりはなかった。

 ルパート商会はセシリアに任せて、自分は変わらず美人な女性達と楽しく過ごすつもりでいた。


 そんなヘンリーの計画は、脆く崩れさることとなった。




「今日は結婚の日取りを決めるぞ。ほら、さっさと酒をヘンリーに注いでやれ」

 ゴードスに言われて、セシリアがのろのろとヘンリーに酒を注いだ。

 ヘンリーは笑みは崩さず、セシリアの気の利かなさに内心舌打ちした。


(チッ、ここに家族がいなかったら説教できるのに。まあ、結婚したらしっかり躾けるようだな)

 ヘンリーは、家族の手前、セシリアに微笑んでやりながら思った。


「今日ちゃんと退職願は届いたか?もたもたしてるから俺が出してやったぞ」

 ゴードスがそう言うと、ルウレとリリアが抗議した。

 ヘンリーは、冷めた目でその様子を見つめた。

 しかし、リリアがとんでないことを言い出した。


「私、その人が女の人と腕を組んで歩いているのを見たわ!浮気してるのよ!?」

 さすがのヘンリーも、まずいと動揺した。

(セシリアが身の程をわきまえてよしとしているのに、余計なことを)

 しかし、ゴードスはやはりヘンリーの味方だった。


「浮気は男の甲斐性だ。こんないい男だ。女がほっとかないわな。そんなものは、結婚したら落ち着くもんさ。ハッハッハッ」

 ヘンリーは内心ほくそ笑んだが、表面は殊勝な表情を作った。


「すみません。お義父さん、セシリアとなかなか会えなくてつい寂しくて。もちろん、もうしません」

 ゴードスも満足げに頷いた。


「そう!こいつがいつまでも辞めないのが悪いんだ。すまないね、ヘンリー。セシリア、お前は明日からもう王城なんか行かなくていい。さっさと結婚しろ!」

 ゴードスに叱られるセシリアを見て、すっとした気分になった。


「ほら、セシリア。ちゃんと返事しろ」

「……無理。ない」

 しかし、セシリアの返事はいつもと違った。


「それ、父さんが思う幸せでしょう?私の幸せじゃない」

 セシリアはスッと背筋を伸ばし、ひたりとヘンリー達を見据えた。


 そこにいつもの自信のない、気弱な様子はなかった。

 その顔はいつもと同じ容姿のはずなのに、凛として美しく見えた。

 思わずポカンとセシリアを見つめた。


 これなら、結婚してやってもいいかという気持ちになった。

 しかしセシリアは、ヘンリーを正論でぶちのめしてきた。

 言い返そうにも倍の返り討ちに遭いそうで、ぐうの音すら吐けない。


 そうこうするうちに、リリアが商会を継ぐとか言い出した。

 ヘンリーが、目を白黒させているうちに目まぐるしく状況が変わっていく。


「じゃあ、ヘンリー。さようなら」

 そして、セシリアは晴々とした笑顔で言った。

 ここにきて、ヘンリーは本当にやばいと気づいた。


「は?いや、待ってくれ。俺と別れてもいいのか?」

(そんな馬鹿な?俺が捨てられる?セシリアに?)

 だってあの見合いの日、ヘンリーに見惚れていたはずだ。


「私の人生にあなたは必要ありません」

 しかし、止めとばかりに一点の迷いもなくセシリアが言い切った。


(そんな!?じゃあ、俺はこれからどうなるんだ?)

「お、お義父さん、いいんですか?こんなわがままを許すんですか?」

 ヘンリーは、ゴードスに縋りついた。


「そんな勝手は許さん」

 ハッとしたようゴードスが怒鳴った。

 それでもセシリアは動じなかった。

 清々しいまでに後ろを振り向きもせず、家を出て行った……。




 ――そうして、実家で鉢合わせたセシリアに、再度婚約破棄を言い渡されてから少し経った頃、ヘンリーは家に訪れたゴードスに頭を下げられていた。


 

「すまない!セシリアとの婚約はなかったことにしてくれ。これは婚約破棄の慰謝料だ。どうか受け取ってくれ」

「ま、待ってください。そんなこと急に言われても!」

 ヘンリーは、絶対の味方だと思っていたゴードスの言葉に心底慌てた。


 しかし、両親はすでに諦めたような表情をしていた。

 ガラガラと、何もかもが崩れていくのを感じた。


「セシリアは、もうルパート商会を継ぐ気はない。今、侍女試験を目指しているそうだ」

(なんだ、それは!?何で平民なのに侍女試験を受けられるんだ!?)


「商会は、リリアに継がせる」

「わかりました」

 両親が布袋に入った金を、ゴードスから受け取った。

 ヘンリーは何を勝手なことをとカッとなったが、すぐに思い直した。


(そうだ。リリアでいいじゃないか)

「じゃあ、俺がリリアと結婚しますよ」

 ヘンリーは、すかさず提案した。

 思い出してみれば、リリアがよくヘンリーに突っかかってきたのは、好きの裏返しだったのではないか。


 貴族の次男と付き合っているらしいが、そんなのは別れてしまえば済むことだ。

 それはとてもいいアイデアだと思った。


「俺は、ブスなセシリアなんて、どうでもよかったんです。本当は我慢していたんですよ。だってあの顔……プッ、俺の隣にあの顔はちょっとね。美人のリリアなら、俺ともお似合いですよ。ああ、でもちょっとリリアは口煩いから、そこは躾け直す必要がありますかね。まあ、それは俺ががんばりますよ。ね!お義父さ――プギャ!」

 その瞬間、ヘンリーは殴り飛ばされていた。


 ヘンリーは呆然と殴られた頬を押さえて、ゴードスを見上げた。

 両親はゴードスにしきりに謝り、殴り飛ばされたヘンリーを心配もしなかった。


「お前……あの日から何も変わってなかったのか……!!誰がお前みたいなクソに大事な娘をやるか!金輪際、関わるな!」

 殺されそうなほどの鋭い目に何も言えず、ヘンリーはコクコクと頷いて、差し出された紙にサインした。

 

 なんで、どうしてとヘンリーは頭を抱えた。




 それからは最悪だった。

 今までチヤホヤしてきたはずの女性達が、蜘蛛の子を散らすように去って行った。

 訳がわからず、ヘンリーが強引に女性達を問い詰めた。


「はぁ……だって、あんたルパート商会に婿入りしないんでしょ?じゃあ、他にどんな価値があんたにあるのよ?」

「顔」


 ヘンリーがそう言うと、心底馬鹿にしたように笑われた。

「そうね。あんたの価値ってそれだけね。じゃあ、さよなら」


 家でも、ヘンリーは厄介者扱いだった。

「この馬鹿!せっかくのチャンスを棒に振りやがって」

「あんたが、もう少しうまくやればよかったんだよ」

 両親は、事ある毎にヘンリーを責めた。


「好きで婚約したんじゃない!金だけもらって、いい思いしただけのお前らが文句言うな」

 ヘンリーがそう怒鳴り返すと、両親は気まずそうに目を彷徨わせた。


 弟のホルスが、そんなヘンリー達を冷めた目で見ていた。

 ヘンリーは、諦めてため息を吐いた。

(まあ、こうなったらしょうがない。この店で我慢するか)


「俺が悪かったよ。じゃあ、この店を大人しく継いでやるよ」

 そう言うとヘンリーの父親が目を剥き、ヘンリーを殴り飛ばした。


「誰がお前なんかにこの店を継がせるか!この店はホルスに継がせる」

「な、俺が長男だろ?何で弟に継がせるんだよ!?ルパート商会に婿入りしないんだから俺だろ?」


「お前はこの店を馬鹿にして、一度も手伝ったことがないだろ!?今までこの店を支えてくれたのはホルスだ」

「そ、それは」

「兄さん。兄さんはいったい今まで何をしてきたの?」


(何を……?)

 もちろん何もしてきていないヘンリーは、何も答えられなかった。

 ホルスは、心底呆れたようにヘンリーを見た。


「もういい年なんだから、がんばってどこかで働いてよ。この店で雇うつもりはないから」

「誰がこんなちっぽけな店でお前の下で働くか!」


 ヘンリーは、慰謝料の入った布袋を掴むと家を飛び出した。

 両親が泥棒とか金返せとか怒鳴っていたが、これはヘンリーの金だ。

 誰が返すものかと思った。


   


「クソッ!」

 ヘンリーは不精髭を生やし酒をあおった。

 家から持ち出した金で最初の頃は楽しく遊び暮らしていた。しかし、そんな生活を続ければあっという間に金はなくなる。

 全てがうまくいかない。


(全てセシリアのせいだ。あいつに人生を狂わされたんだ!)

 ヘンリーがまたグイと酒をあおると、小綺麗な格好をした見知らぬ男性が前の席に座った。


「お兄さん、綺麗な顔が台無しだな。ほら、俺の奢りだ。飲めよ」

 そう言ってヘンリーに酒を奢ると、親身にいろいろ話を聞いて同情してくれた。

 こんなにも自分のことをわかってくれる人は初めてで、ヘンリーは泣いた。


「全て、セシリアが悪いんだ」

「ああ、ひどい女だ。このままでいいのか?あるべき人生を取り戻せよ」

(あるべき人生?)


「本当だったら、その女と結婚してルパート商会を継いでたんだろ?」

 そうだ。本当の人生はそうなんだ。


「俺の言う通りにすればあるべき人生を取り戻せるぞ。どうだ、やるか?」

 男はニコニコと優しい笑顔を浮かべた。

「やる」

 ヘンリーは迷うことなく男の手を取った。


お読みくださりありがとうございます。


本日より、連載を再開します。


26話も書き直しました。

まだ、書き直した26話を読んでいない読者様は、

ぜひそちらも合わせて読んでいただければ幸いです。




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