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不穏な影

「一次試験合格、おめでとうございますわ!」

「ありがとうございます」

 キャサリン様が、目を潤ませて私の手を握った。


「聞きましたわ。貴族至上主義の教授が、わざと難しい問題を作ったのでしょう?」

「ええ」

 偉そうなお髭のご本人が、そう言っていた。

 そうは言っても数理論以外は、そこまで難しくはなかった。


「おかげでいつもの一割も受からなくて、非難轟々だそうですわ。ざまぁみさらせですわぁ!オ〜ホッホッホッ」

 今日もお元気そうなキャサリン様だった。


「いよいよ、明後日は二次試験ですわね」

 二次試験は、実技テストだ。

 当日まで、試験内容は知らされない。

 その年によってお茶会の準備や、高貴な方への対応など様々なようだ。

 さらに礼儀作法も、同時に減点方式で採点される。


「はい。キャサリン様とマーバリー先生のお陰で、試験を受けられるレベルまで礼儀作法を身に付けることができました。ありがとうございます」

 あのままドマネス様に教わり続けていたら、間違いなく間に合わなかっただろう。


「セシリアさんの努力の賜物ですわ。二次試験は、明日の午後からですわよね?」

「はい」

「マーバリー先生が、最後の確認をしましょうとおっしゃってましたわ。九時くらいからいかがですか?馬車でお迎えに行きますわ!」


 マーバリー先生に、最後に確認していただけるのは心強い。

 私は素直に甘えさせていただくことにした。

「はい。よろしくお願いします」


   ◆


「おい、平民。お前に手紙だ」

「ありがとうございます」

 なぜ私への手紙をラウンドア様が渡しに来るのだろう?

 私は疑問に思いながら、その手紙を受け取った。

 それはヘンリーからの手紙だった。


「なぜこの人からの手紙を、ラウンドア様が持って来たのでしょうか?」

 知り合いではなさそうだ。

「俺の知り合いの貴族が、その男と知り合いのようだ。頼まれたんだ」


 手紙には、王都を出て知り合いの貴族の経営する隣国の商会に就職すると書いてあった。

 その貴族の方だろうか。

 手紙には、会って今までのことを謝りたい、きちんとけじめをつけて新しい地に行きたいと書いてあった。


 しかしその指定された日は、明日の二次試験の日だ。ただ時間は六時だから、会おうと思えば無理な時間ではない。


 正直、ヘンリーと会いたいとは思わない。

 ただ、もし私と婚約していなかったら、ヘンリーは今までお付き合いされていた女性のどなたかと、もう結婚していたかもしれない。

 そして、実家の店を継いでいたかもしれない。


 そう考えると、私との婚約でヘンリーの人生を狂わせてしまったのではないかという罪悪感はあった。

 

「俺が護衛としてついて行ってやる」

「ラウンドア様は、手紙の内容を知っているのですか?」

「ああ、その手紙を頼まれた時に、内容を言われた」


 あれほど全く何一つ護衛を務めてこなかったラウンドア様が護衛……?

 いったいどんな風の吹き回しなのだろう?

 私が不思議そうにラウンドア様を見ると、バツが悪そうに顔を背けた。


「明日でお前の護衛も終わりだ。だから、最後くらいはちゃんと護衛をしてやろうと思ったんだよ」

 私は一瞬の間の後、最近板についてきた無邪気で人を疑わないような微笑みを作った。


「わかりました。では、よろしくお願いします」

「ああ、任せろ。護衛がすぐそばにいては相手も落ち着かないだろうから、離れて護衛してやる。五時四十分に家を出れば間に合うだろ?」

「はい。よろしくお願いします」


   ◆


 約束の朝、私が家を出ると少し離れた所にラウンドア様が見えた。


 私は小さく会釈をして、ヘンリーとの待ち合わせの広場に向かった。

 ラウンドア様は、少し離れてついて来ている。


 広場には、もうヘンリーが来ていた。

 いつもお洒落に気を使う彼のはずが、今はくたびれたような服を着て、不精髭を生やしていて、随分容姿が変わってしまっていた。


「セシリア、来てくれてありがとう」

 しかし、今までの態度とは全く違った。

 私に優しく微笑んだ。

 ヘンリーにこんな笑顔を向けられたのは、初めてだった。


「お久しぶりです。お元気でしたか?」

 私がそう声をかけた瞬間、ヘンリーの顔が醜く歪んだ。

「元気?クックックッ……元気なわけないだろ?」

 私は、腕を掴まれた。


「俺はお前のせいで家を追い出されたんだ!店はお前のせいで弟が継ぐんだ。何もかも!全部!お前のせいだ!!」

 ヘンリーは赤く血走った目で私を睨み、掴まれた腕に爪が食い込んだ。


「ヘンリー?止めてください。謝りたいのではなかったのですか?」

 ラウンドア様がいるはずの辺りを見るが、姿が見えない。


「謝る!?それはお前の方だろ!?」

 ヘンリーは乱暴に私の腕を離すと、後ろに突き飛ばした。


「はい、ご苦労さん。あとはこっちの仕事だから。そうだな、三日後に娼館に迎えに来てやってくれ」

 後ろにいる見知らぬ男が、暴れる私に薬を嗅がせた。


「わかった。これで……これで、何もかも元通りだ。セシリア、純潔を散らされても俺がもらってやるから大丈夫だよ。ルパート商会は俺の物だ」

 薄れゆく意識の中で、ヘンリーは私の耳元に口を寄せゾッとする言葉をささやくと、うっそりと微笑んだ。


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誰も待っていないのに、ヘンリーが登場です…


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