前へ次へ
23/89

マーバリー・マイヤー伯爵夫人

「エリザベート王太子妃殿下から依頼を受けましたマイヤー伯爵夫人マーバリーです。マーバリー先生と呼んでくださいませ」


 キャサリン様が住んでいるキャスタール侯爵家の別宅で、初めてお会いした新しい礼儀作法の先生は美しいカーテシーをとり挨拶した。


 濃い紫色の髪は、前髪も上げてきっちりと結い上げ、山なりの太めの眉に、吊り上がった眼光鋭い緑色の目の、鼻がツンと高い四十代くらいの厳格そうな女性だった。


「はい、マーバリー先生。私はセシリアと申します。よろしくお願いいたします」

 私もカーテシーをとる。


 マーバリー先生が楽にするようにと声をかけないので、私はそのままの姿勢を保つ。

 自分でも形が悪く、ぐらついていることがわかった。

 それをマーバリー先生が、射抜く勢いで見つめた。

 思わず背中に冷んやりとした汗をかいた。


「楽にしなさい。それでは、時間がないので早速始めましょう。まず立ち姿を見せて」

「はい」


 嫌というほどやってきた立ち姿だ。

 私は本の通りに立つ。

 マーバリー先生から、無言の圧を受けながら見つめられた。


「美しい立ち姿ですね」

「ありがとうございます」

 私は緊張して詰めていた息をホッと吐いた。


「でもその表情は何かしら?誰かを後ろから殴りに行くような顔ね」

 やはり私の表情は固いようだ。


「申し訳ございません」

 私は笑顔、笑顔と心で唱えて、ドマネス様のおっとりした笑顔を真似て笑顔を作った。

 ピクリピクリと頬が引き攣る。

 真顔のマーバリー先生が、私の顔を穴が開くほど見つめた。


「セシリアさんも、笑顔が苦手のようね」

 私も?ということはマーバリー先生もだろうか?

「セシリアさん、あなたは平民です。この先多くの貴族があなたを馬鹿にして嫌みを言うでしょう」

 私は、侍女長とドマネス様とラウンドア様を思い浮かべた。


「いいですか?笑顔は最大の防御です」

 マーバリー先生が、高らかに宣言した。

 笑顔は最大の防御……?


「オドオドした表情は下に見られ、固い表情は相手に警戒心を持たせます。ドマネス伯爵夫人を思い出しなさい。あのひん曲がった性根を、見事に笑顔で隠しているでしょう」

 確かに。初見では、ドマネス様はおっとり優しそうな女性に見える。

 私はコクコクと頷き、納得した。


「では、いかにして笑顔を作るか」

「私は笑顔が苦手です」

 マーバリー先生は、ハッと鼻で笑った。


「素の笑顔は、好きな殿方の前でだけ見せればよいのです。いいですか?笑顔は作りなさい」

 マーバリー先生がきっぱりと言い切り、それはそれは美しい笑顔を浮かべた。

 ドマネス様のおっとりとした笑顔とはまた違う、気高く品のよい貴婦人の微笑みだ。


「お見事です」

「わかりましたか?笑顔は作るのです」

 スンとまた元の表情に戻られた。

 まさに一見に如かずだ。よくわかった。


「笑顔を作るには、何が必要かわかりますか?」

「嬉しいとか楽しいとか思う気持ちでしょうか?」

 マーバリー先生は、ニヤリと笑った。


「そんなものは必要ありません。筋肉です。表情筋を鍛えるのです!筋肉は裏切りません!」

 筋肉?顔なのに?


「わかりました。腕立て伏せと腹筋、あと走ります」

「表情筋には必要ありません」

 マーバリー先生が、眼光鋭く言った。

 そして懐から、二十センチほどの細長い棒をとり出した。


 ともすれば、悪人にも見えそうなマーバリー先生が細い棒を持つと武器にも見えた。

 これが筋トレの最終兵器。


「わかりました。素振り千回します」

「違います」

「壁に刺しますか?でも、怒られませんか?」

「怒られるからやってはいけません」

 私はマーバリー先生と真顔で見つめ合った。


「これは、こうして口にくわえます」

 先生は口に細長い棒を横にしてくわえると、ニュッと頬と口角が上がり笑顔の形になった。


 なるほど!

 私も先生から細長い棒を渡されて、口にくわえて真似をした。

 すごい!ほっぺがプルプルする。

 体の筋肉を使った時と同じ反応だ。


 そういえば、ドュークリフ様のお母様も、酸っぱい顔をしたり頬を膨らませたりされていると言っていたが、それも表情筋を鍛えているのかもしれない。


「次にカーテシーです。グラグラしてましたね」

「はい」

「カーテシーには何が必要かわかりますか?」

 今の流れだと、やはり筋肉だろうか?


「筋肉ですか?」

「半分正解です」

 残り半分は何だろう?


「感謝の気持ちや、敬う気持ちでしょうか?」

「そんなものはこめても見えやしません。私なぞ心で呪いの言葉を吐きながら、美しいカーテシーがとれますよ」

 マーバリー先生がドヤ顔で言った。

 先生、すごすぎです!


「ドマネス伯爵夫人のカーテシーも美しいですが、あの方が感謝、尊敬なんて殊勝な気持ちをこめると思いますか?」

 いいえ、全く。

 しかしさすがに正直には答えられず、がんばって微笑んだ。


「いいですね。そう、答えづらい質問は笑顔で躱しなさい。平民のあなたは不敬になるので、貴族のように毒を潜ませて会話したり、威圧することはできません。とにかく躱すのです!」

 なるほど!とてもためになる。


「話を戻しましょう。カーテシーに必要なのは筋肉と根性です」

 ここにきて根性まで出てきた!?

 いったいどういうことだろう?


「カーテシーは場合によっては先程私がしたように、楽にせよと言われるまで姿勢をキープしなければなりません。ガッと下腹に力を込めて、この性悪め!負けるものかと根性をこめるのです」


 なるほど!最後は精神論!

 マーバリー先生の礼儀作法の指導は、本では学べない、まさに生きた指導だった!

いいね、ブックマーク、評価をありがとうございました。


とうとう素敵な?先生が登場です笑

前へ次へ目次