マーバリー・マイヤー伯爵夫人
「エリザベート王太子妃殿下から依頼を受けましたマイヤー伯爵夫人マーバリーです。マーバリー先生と呼んでくださいませ」
キャサリン様が住んでいるキャスタール侯爵家の別宅で、初めてお会いした新しい礼儀作法の先生は美しいカーテシーをとり挨拶した。
濃い紫色の髪は、前髪も上げてきっちりと結い上げ、山なりの太めの眉に、吊り上がった眼光鋭い緑色の目の、鼻がツンと高い四十代くらいの厳格そうな女性だった。
「はい、マーバリー先生。私はセシリアと申します。よろしくお願いいたします」
私もカーテシーをとる。
マーバリー先生が楽にするようにと声をかけないので、私はそのままの姿勢を保つ。
自分でも形が悪く、ぐらついていることがわかった。
それをマーバリー先生が、射抜く勢いで見つめた。
思わず背中に冷んやりとした汗をかいた。
「楽にしなさい。それでは、時間がないので早速始めましょう。まず立ち姿を見せて」
「はい」
嫌というほどやってきた立ち姿だ。
私は本の通りに立つ。
マーバリー先生から、無言の圧を受けながら見つめられた。
「美しい立ち姿ですね」
「ありがとうございます」
私は緊張して詰めていた息をホッと吐いた。
「でもその表情は何かしら?誰かを後ろから殴りに行くような顔ね」
やはり私の表情は固いようだ。
「申し訳ございません」
私は笑顔、笑顔と心で唱えて、ドマネス様のおっとりした笑顔を真似て笑顔を作った。
ピクリピクリと頬が引き攣る。
真顔のマーバリー先生が、私の顔を穴が開くほど見つめた。
「セシリアさんも、笑顔が苦手のようね」
私も?ということはマーバリー先生もだろうか?
「セシリアさん、あなたは平民です。この先多くの貴族があなたを馬鹿にして嫌みを言うでしょう」
私は、侍女長とドマネス様とラウンドア様を思い浮かべた。
「いいですか?笑顔は最大の防御です」
マーバリー先生が、高らかに宣言した。
笑顔は最大の防御……?
「オドオドした表情は下に見られ、固い表情は相手に警戒心を持たせます。ドマネス伯爵夫人を思い出しなさい。あのひん曲がった性根を、見事に笑顔で隠しているでしょう」
確かに。初見では、ドマネス様はおっとり優しそうな女性に見える。
私はコクコクと頷き、納得した。
「では、いかにして笑顔を作るか」
「私は笑顔が苦手です」
マーバリー先生は、ハッと鼻で笑った。
「素の笑顔は、好きな殿方の前でだけ見せればよいのです。いいですか?笑顔は作りなさい」
マーバリー先生がきっぱりと言い切り、それはそれは美しい笑顔を浮かべた。
ドマネス様のおっとりとした笑顔とはまた違う、気高く品のよい貴婦人の微笑みだ。
「お見事です」
「わかりましたか?笑顔は作るのです」
スンとまた元の表情に戻られた。
まさに一見に如かずだ。よくわかった。
「笑顔を作るには、何が必要かわかりますか?」
「嬉しいとか楽しいとか思う気持ちでしょうか?」
マーバリー先生は、ニヤリと笑った。
「そんなものは必要ありません。筋肉です。表情筋を鍛えるのです!筋肉は裏切りません!」
筋肉?顔なのに?
「わかりました。腕立て伏せと腹筋、あと走ります」
「表情筋には必要ありません」
マーバリー先生が、眼光鋭く言った。
そして懐から、二十センチほどの細長い棒をとり出した。
ともすれば、悪人にも見えそうなマーバリー先生が細い棒を持つと武器にも見えた。
これが筋トレの最終兵器。
「わかりました。素振り千回します」
「違います」
「壁に刺しますか?でも、怒られませんか?」
「怒られるからやってはいけません」
私はマーバリー先生と真顔で見つめ合った。
「これは、こうして口にくわえます」
先生は口に細長い棒を横にしてくわえると、ニュッと頬と口角が上がり笑顔の形になった。
なるほど!
私も先生から細長い棒を渡されて、口にくわえて真似をした。
すごい!ほっぺがプルプルする。
体の筋肉を使った時と同じ反応だ。
そういえば、ドュークリフ様のお母様も、酸っぱい顔をしたり頬を膨らませたりされていると言っていたが、それも表情筋を鍛えているのかもしれない。
「次にカーテシーです。グラグラしてましたね」
「はい」
「カーテシーには何が必要かわかりますか?」
今の流れだと、やはり筋肉だろうか?
「筋肉ですか?」
「半分正解です」
残り半分は何だろう?
「感謝の気持ちや、敬う気持ちでしょうか?」
「そんなものはこめても見えやしません。私なぞ心で呪いの言葉を吐きながら、美しいカーテシーがとれますよ」
マーバリー先生がドヤ顔で言った。
先生、すごすぎです!
「ドマネス伯爵夫人のカーテシーも美しいですが、あの方が感謝、尊敬なんて殊勝な気持ちをこめると思いますか?」
いいえ、全く。
しかしさすがに正直には答えられず、がんばって微笑んだ。
「いいですね。そう、答えづらい質問は笑顔で躱しなさい。平民のあなたは不敬になるので、貴族のように毒を潜ませて会話したり、威圧することはできません。とにかく躱すのです!」
なるほど!とてもためになる。
「話を戻しましょう。カーテシーに必要なのは筋肉と根性です」
ここにきて根性まで出てきた!?
いったいどういうことだろう?
「カーテシーは場合によっては先程私がしたように、楽にせよと言われるまで姿勢をキープしなければなりません。ガッと下腹に力を込めて、この性悪め!負けるものかと根性をこめるのです」
なるほど!最後は精神論!
マーバリー先生の礼儀作法の指導は、本では学べない、まさに生きた指導だった!
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とうとう素敵な?先生が登場です笑