礼儀作法の講師と護衛騎士 後編
ドマネス様の礼儀作法の指導は、仕事が終わってから週に二回、王城の一室を借りて二時間ほど行われることになった。
「では始めましょうね。平民のあなたは時間がいくらあっても足りませんからね?」
ドマネス様は、さすがは礼儀作法の講師といった美しい仕草と微笑みでおっとりと言った。
「はい」
「まずはそこに黙って立っていてくださいね」
それからずっと私は立っていた。
ドマネス様は、上品に紅茶を飲み菓子を食べた。
途中から貴族夫人二人が部屋に入って来て、立っている私を見ながら、ヒソヒソと話してはクスクス笑った。
そしてきっかり二時間経つと、ドマネス様達はにこやかに立ち上がった。
「さあ、もう時間ですわね?私達は、お暇いたしますね?」
私は立っているだけで、何も教えてもらっていない。
「あの、礼儀作法の指導はしていただけないのでしょうか?」
私が尋ねると、ドマネス様は不思議そうにコテリと小首を傾げた。
「立つことも満足にできない平民に、何を教えたらよいのかしら?みなさんはどう思われまして?」
「平民は立つことも満足にできなくて驚きましたわ」
「ナウリー様に同情いたしますわ」
貴族夫人のお二人が、扇子を優雅にあおぎながら、おっとりと微笑んで言った。
「申し訳ございません。次回までに、正しく立てるようにいたします」
「楽しみにしておりますわ」
そうして、後ろ姿も美しくドマネス様達は部屋から出て行った。
私は、ため息を吐いた。
普段使っていない筋肉も使っていたのか、全身が痛い。
何も教えてはもらえなかったが、勉強にはなった。
確かに高位の貴族夫人達は、立ち姿はもちろん指先まで美しかった。
ただ悲しいかな、真似をしろと言われてもすぐにできるとは思えない。
どこがどう違うかもわからない。
「やはり平民は駄目だな。立つこともうまくできないとはな」
ラウンドア様が、ニヤニヤと馬鹿にしたように笑った。
「あまりにも無様な姿に、笑いを堪えるのが辛かったな」
「具体的には、どう無様だったのでしょうか?」
「え?」
私がその無様に見えてしまった部分を直したくて尋ねると、ラウンドア様は目をパチクリさせた。
「ですから、直したいのでどう無様だったか具体的におっしゃってください」
私は、至極真面目に尋ねた。
「いや、それはだな……そんなのは自分で考えろ!」
ラウンドア様は言葉に詰まったかと思うと、いきなり怒り出した。
「わかりました。図書室に行きます」
「は!?これから!?」
「はい」
ラウンドア様は、何を驚いているのだろう。
わからないことは、すぐに調べなくては。
「俺が帰るのが遅くなってしまうだろ!?」
「では、お先にお帰りください」
「はあ!?俺は護衛だぞ!?」
そうは言っても、護衛らしいことを彼は何一つしていないのでピンとこない。
「私は図書室で勉強したい。ラウンドア様は帰りたい。それではお先に帰ってもらうしかありません」
正直、彼が図書室で静かに待てるかも怪しい。
私が集中して勉強するのに、はっきり言って彼は邪魔だ。
「チッ。付き合ってられるか!俺は帰るぞ」
よかった。ラウンドア様は帰ってくださるようだ。
「はい。お疲れさまでした」
私は丁寧にお辞儀をした。
「グッ、本当に帰るからな!止めるなら今だぞ」
さっさとお帰り願いたい。
「どうぞ、こちらはお気になさらずに。では、失礼いたします」
モタモタグダグダと、なかなか帰らないラウンドア様は放っておいて、私は図書室に向かった。
王城の図書室はありがたいことに王城で働いている者は二十四時間自由に利用できるのだ。
私は礼儀作法の分厚い本を、まずは五冊テーブルに運んだ。
そこから一心に読む。
わからないことは、調べればいい。
大概のことは書物に書いてある。
「……ア、セシリア、お〜い、セシリア」
私はハッとして顔を上げると、エリザベート王太子妃殿下の弟君、ドュークリフ様がすぐ隣の席に座ってニコニコ手を振っていた。
「気づかずに、申し訳ございません」
私は慌てて立って謝った。
「こちらこそ、邪魔してごめんね?礼儀作法の講師と護衛騎士について確認するように姉上から言われたんだ」
「お気遣い、申し訳ございません。まず、礼儀作法はナウリー・ドマネス伯爵夫人にご指導いただくことになりました。護衛騎士はニルス・ラウンドア子爵令息です」
「やっぱりどちらも貴族至上主義の貴族だ」
ドュークリフ様が眉を顰めた。
私はやっぱりかと納得した。
「ドマネス伯爵夫人には、どんな指導をされた?」
「二時間立っているだけでした。途中リンプドリー伯爵夫人とオックス子爵夫人が合流しました」
私が二人の名前を出すと、びっくりしてように私を見た。
「よく貴族夫人の名前を知っているね?」
「王城に勤めて五年ですので、ある程度は顔と名前が一致しています」
「すごいね……でも、この情報はありがたい。それで二時間立ちっぱなしって?他には?」
「立っていただけです。よろしければちょっと見ていただけますか?」
私は椅子から立ち上がり、ドュークリフ様の前に立った。
「私はこのように立っていたのです」
ドュークリフ様が、顎にその長い指をあて考えるように私を見つめた。
「なるほど」
「私は立ち方がわからなかったので本で調べたのですが、この立ち方は合っていますか?」
私は顎をほんの少し引き、いつもより背筋を伸ばし体の向きを少し斜めにした。
「うん。綺麗に立てているよ。僕は男だから女性の立ち方は細かくはわからないけど、初めの立ち方は男爵令嬢レベルって感じだったかな」
私も頷いた。
「はい。本を読んでやっと理解しました」
「あ、でも表情が固いかな?」
表情……それはとても難しそうだ。
「こうでしょうか?」
ドマネス様の、おっとりとした微笑みを真似ることにした。
グググと音が聞こえそうなくらいぎこちなくほっぺが上がり、ピクピクとした。
「ブッ」
ドュークリフ様が、吹き出してテーブルに突っ伏して笑い始めた。
私はスンと表情を戻した。
これは要練習だ。
それにしても……。
「ドュークリフ様、笑い過ぎです」
私は、半眼で彼を睨んだ。
「ごめんね〜。いや、本当におもしろかったよ」
「練習がんばります」
私は真面目な顔で頷いた。
「ブッ、ククク。鏡を見て酸っぱい時の顔をしたり、ほっぺをふくらませたりするとよいらしいよ。母上がよくされている」
公爵夫人もされているのなら、効果もありそうだ。
「明日から早速やってみます。貴重なアドバイスをありがとうございます」
「どういたしまして。で、護衛騎士のニルスはいないようだけどトイレ?」
「ラウンドア様は帰るのが遅くなりたくないそうなのでお帰りになりました」
「は!?護衛騎士なのにか!?」
邪魔だったのでさっさと帰してしまったのだが、まずかったろうか。
「ありえない。護衛騎士が護衛対象を放って帰るなんて聞いたこともないよ。え!?じゃ、この真っ暗の中一人で帰るの!?馬車はもうないよね!?」
時計を見ると十時を回っている。
最終の馬車は、もう出てしまっていた。
「歩いても一時間かかりませんので大丈夫です」
「嘘でしょ!?歩いて帰るの!?」
馬車がないのに、歩かないでどう帰るのだろう?
私はコテリと首を傾げた。
「もちろん、歩いて帰ります」
「護衛騎士もなしで女性が一人でこんな暗い中歩いて!?」
平民ならそれくらいみんなしている。
いや、さすがに平民でも、一人でこんな暗い中は歩かないかもしれない。
いや、でもそれはリリアみたいな美人の話だ。
私の顔なら大丈夫だ。
「私の顔でしたら大丈夫です」
「本当に何言ってるの!?危ないよね!?」
あ、このやりとりは前にバルドさんとしたような。
「ああ、物盗りですね。確かに」
ドュークリフ様は、今にも卒倒しそうな顔になった。
「僕が送って行くから!」
公爵令息に送っていただくなど冗談ではない。恐れ多すぎる。
私が慌ててお断りしようと口を開いた時。
「いた!嬢ちゃん!」
バルドさんが、図書室に飛び込んで来た。
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