婚約者ヘンリー
今日は、王城のメイドの仕事はお休みの日だ。
私の家は、紅茶や異国の様々な茶葉を取り扱うルパート商会だ。父さんが、小さかった商会を一代で大きく築きあげた商会だった。
王都でも有名で、異国からのお客様や貴族、裕福な平民がひっきりなしに訪れる。
「今日はお店を手伝うわ」
「姉さん、たまの休みなんだからゆっくり寝てればいいのに」
「たまの休みだからお店に出ないと、父さんもうるさいでしょ?」
「確かにね」
妹のリリアは、鼻の頭に皺を寄せて、うんざりとした顔で肩をすくめた。
リリアは、私の五つ下の十五歳だ。
普段は学園に通い、休みの日は店を手伝う孝行娘だ。肩ほどの柔らかなウェーブのある薄茶色の髪に、淡い紫色の瞳の可愛らしい容姿をしている。
『すみません、この紅茶を探しているのだけどあるかしら?』
ドイルド国の特徴の、褐色の肌の御婦人がドイルド語で尋ねた。
リリアは、ドイルド語はまだ習い始めたばかりでしゃべれないので、助けて〜と目で訴える。
『はい、承ります』
私は御婦人から紅茶の缶を受け取り、匂いを嗅いで茶葉を確認する。
『ああ、ドイルド国の南部でよく飲まれるハルモネの紅茶ですね。少々お待ちください』
私は、奥の棚からハルモネの紅茶の缶を出して渡した。
『こちらをご確認ください』
『ええ、そうよ、これよ。三ついただけるかしら?』
『はい、かしこまりました』
私が対応している間に、リリアが手際良くハルモネの紅茶を三つ用意して袋に包んだ。
『おいくらかしら?』
『六百ディラになりマス』
リリアが、覚えたてのドイルド語で答えた。
前より発音が上手くなっている。
『ありがとう。また来るわ』
御婦人は、満足気に帰って行った。
「姉さん、助かったわ。まだドイルド語は難しくて」
「ドイルド語の発音は巻き舌が独特よね。でも、前より発音が良くなったと思うわよ」
「本当?やったー」
リリアが、嬉しそうに笑った。
まるで花が綻んだようだ。
私は、そっとその笑顔から目を逸らした。
「セシリア?店にいるのか?」
父さんが、ひょっこり店の裏から顔を覗かせた。
「ええ。今日は仕事が休みだから手伝うわ」
「お前、いつまで王城なんかに勤めるつもりだ?」
「その……結婚するのに、いい箔がつくし」
私は、父さんが苦手だ。
父さんを前にすると、言いたいこともうまく言えなくなってしまう。
「もう、四年も働いてるんだ。充分じゃないか?」
「でも……」
「お前は器量が良くないんだから、少しでも若いうちにヘンリーと結婚した方がいいぞ」
私は、それ以上何も言えず俯いた。
「父さん、いい加減にして!姉さんは首席で学園を卒業してるすごい人なのよ。さっきだって、姉さんがいたおかげでドイルド国のお客様の対応ができたのよ」
リリアが怒って言った。
「セシリアは、頭だけはいいからなぁ。でも、そんなもんは男にとっちゃ何の足しにもならんだろうが。それより、よっぽど愛嬌がある方が男にはもてるぞ。ほら、笑ってみろ」
私は俯いたまま、顔を上げられなかった。
父さんは、やれやれと呆れたように私を見た。
「リリアは母さんに似て美人だし、愛嬌もあるから安心だが、こいつはこんなんだからなぁ」
「父さん!」
「あらあら、お店で何やってるの?」
リリアが声を荒げたところで、買い出しから戻った母さんが間に入った。
「いや、セシリアがだな」
「あなた」
「……わかった。話はまた今度だ」
父さんは、プイとまた裏に戻って行った。
リリアも、足音も荒く商品を並べに戻る。
私は俯いたまま、詰めていた息を吐いた。
母さんの目が、心配そうに私を見つめた。
私は小さく笑って大丈夫と頷いた。
「おい、今日はヘンリーが午後から来るからな。お前はただでさえ不器量なんだから、ちゃんとめかしこんで出かけろよ」
「……はい」
私はヘンリーの名前に、陰鬱な気持ちになった。
◆
「お義父さん、セシリアを迎えに来ました」
「お、ヘンリー。セシリアが生意気に王城なんかに勤めてるから、なかなか会えなくて悪いな」
「気にしてませんよ」
ヘンリーは、愛想よく答えた。
淡い栗色の髪はサラサラと美しく、長めの前髪を斜めに流し、涼やかなエメラルドの瞳の彼は、小さな頃の綺麗な顔に凛々しさも加えて成長していた。
「じゃあ、お義父さん。また」
「おう」
「セシリア、行こうか」
ヘンリーがニコリと微笑んで、エスコートの腕を差し出した。
私はその腕に、オズオズと手を添えた。
ヘンリーはそのまま店が見えなくなる所まで行くと、私の腕を振り払い、私のことなど無視してスタスタと歩いて行ってしまった。
私は、ヘンリーから大分離れてついて行く。
「ヘンリー、こっちこっち。遅いよ〜」
緩やかなウェーブの髪に、胸の大きな綺麗な女の子が手を振っていた。
前の女の子とは違うタイプだが、今度の子も綺麗な子だ。
また新しい子を見つけたのかと、私はヘンリーにばれないように、小さくため息を吐いた。
「ごめんね、ローラ。ちょっと呼び出されてさ」
「あ、例の無理に結ばれた婚約者絡み?」
女の子が、自然な動作でヘンリーと腕を組んだ。
「そう、呼び出し。うちは下請けだから従うしかないのさ」
「ひどいよね」
女の子は、綺麗な顔を痛ましそうに歪めてヘンリーを見た。
「あ、もしかして後ろの?」
「そ、これ。俺の隣にこれってありえないだろ?できることなら婚約なんて破棄したいよ」
ヘンリーは、馬鹿にしたように私を見て笑った。
「可哀想〜。本当にこれはないわ」
馬鹿にして笑う二人に、私は俯いた。
そんなことは、言われなくてもわかっている。
「じゃあ、頭がいい君ならわかるだろ?俺これからデートだから、適当に時間潰して帰っといて。あとお金」
当たり前のように、ヘンリーはお金を渡すように要求する。
「早くしろよ。婚約破棄してもいいのか?」
「……はい」
婚約破棄をされるのは困る。
ヘンリーは、父さんが選んだ婚約者だ。
婚約破棄なんかされたら、父さんにがっかりされてしまう。
「ああ、顔についてる虫ははらっとけよ〜」
受け取ったお金をニヤニヤと数えながら、ヘンリーは馬鹿にしたように言った。
「やだ〜、ヘンリーったら。でも本当にそのそばかす細かい虫みたい」
女の子は、クスクスと笑った。
ヘンリーはヒラヒラと手を振った。
「プッ、惨め〜」
そんなことは、誰よりも私が一番わかってる。
私は、いつもの時間潰しのカフェに入った。
大丈夫。大丈夫。きっと彼も結婚したら変わってくれるはずだ。
あんなに綺麗なヘンリーの婚約者が、こんなに不器量な私なのだから、今はしょうがない。
我慢するしかないのだ。
しょうがないしょうがないと心に唱えて、私は頼んだ紅茶を飲んだ。
冷えた指先がカタカタと震え、ソーサーに置いたカップがカチャリと音がした。
「あ、やっぱり嬢ちゃんだ」
私は急に声をかけられてビクリと顔を上げた。
「一人か?」
「バルドさん……」
おじさんはニカッと笑って向かいに座った。
もう少しだけ、鬱々なお話が続きます。