ゴードスとバルド
「てめえ、この野郎」
ゴードスは、思わずバルドの襟ぐりを掴み上げた。
「はいはい。親父さん、落ち着いて。ほら、みんな見てるぞ」
ザワザワとした喧騒が静かになっていて、周りがゴードス達を何事かと見ていた。
「気にしないで〜。飲んで飲んで」
バルドがヘラリと気の抜けた笑顔で言うと、安心したように喧騒が戻り、みんなはまた飲み始めた。
「チッ」
ゴードスは舌打ちして、また酒をあおった。
「大分飲んでるようだな」
バルドは勝手にゴードスの向かいに座って、同じ酒を注文した。
「何だよ、俺を笑いに来たのか」
「いや、嬢ちゃんのお袋さんから預かり物を届けに来た」
「ルウレから?」
「そ。はい、どうぞ」
手紙をゴードスに渡すと、バルドは注文した酒を飲み始めた。
(何の手紙だ!?もしかして、怒って離婚するとか!?)
ゴードスは、慌てて手紙を開いた。そして、目を見開いた。
(これは……この字はタチアナか?)
それは十五年前に、ルウレに宛てたタチアナの手紙だった。
ゴードスは、読み進めるうちにブルブルと震えた。
「どこのどいつだ!俺がぶちのめしてやる!」
バンとテーブルを叩いて立ち上がった。
「ありゃ、本当にお袋さんの言った通りの反応だ」
バルドは、カラカラと笑った。
「お前もこの手紙の内容を知っているんだな!?」
「ああ、お袋さんから聞いているよ。何で怒ってるんだ?めでたいことだろ?」
「はあ!?どこがだ!?」
その手紙には、タチアナは十五年前に隣国で子持ちの十も上の男と結婚したと書いてあった。最後に、赤字でゴードスが落ち着いて話を聞けるようになったら知らせてくれと書いてある。
(何だこれは!?)
ゴードスとの手紙には、何も知らせてこなかった。知ってたらそんな男、殴り飛ばしに行っていた。
「タチアナさんは、いい人見つけて再婚したんだろ?」
「馬鹿言うな!そいつは悪い奴に決まってる!十も上なんだぞ!?騙されてるんだ。すぐに助けに行く!」
(明日の朝一の船に乗れるか?)
ゴードスは、グルグルと頭の中で算段をつけていく。
一気に酔いが覚めていた。
「……本当にタチアナさんが大事なんだな」
バルドがあんまり優しい声で言うものだから、ゴードスは気を削がれてドスンと椅子に座った。
「……大事な妹だ」
「そっか」
二人で、ちびりと酒を飲んだ。
「俺が見てきた嬢ちゃんはさ、すごく格好いいんだよ」
「はっ、美人て言えないからそんな風に言うのか?」
その瞬間、温和だったバルドの雰囲気が変わった。
ゴードスも商人だ。行商に出れば危ない目にも何度も遭った。
それは紛れもない殺気だった。
「いくら嬢ちゃんの親父さんでも、嬢ちゃんを貶める発言は許さない」
スッと目を細め、バルドは低い声で言った。
(何だ、こいつは……)
それは歴戦の傭兵や、騎士のような殺気だった。
「悪かった」
「いや、俺も殺気を抑えきれなくてすまないな」
途端、それまでの殺気は霧散した。
ゴードスは、ちびりと酒を舐めた。
バルドはグイッと酒をあおいで、グラスを空にするとまた酒を注いだ。
「王城で働く嬢ちゃんは、いつも凛とした眼差しで真っ直ぐなんだ。遅くまで勉強会にも参加して自分を磨いて、仕事に真摯ですごく格好いい。尊敬してる」
「セシリアに惚れてるのか?」
バルドはそれには答えず、ただ静かに諦めたように笑った。
こんな表情は、商売をやっていると目にすることがある。
(そうか……訳ありか)
「あのな、嬢ちゃんは強い女性だよ。そんなギューギュー守らなくても大丈夫だ」
「俺……そんなにギューギュー守ってるか?」
ゴードスに、そんな自覚はなかった。
「かなり」
「そうか……」
ゴードスは息を吐いた。
(そうか……。それはさぞかし窮屈で苦しかったろう)
「嬢ちゃんが大事で大事で、親父さんはただ守ってやりたかったんだろ」
「ああ」
その結果があの悲しそうな怒ったような表情だ。
「どうすりゃよかったんだろうな……」
知らず途方に暮れたような声が出た。
「もう嬢ちゃんは立派な大人だ。守るんじゃなくて、信じて見守ってみるのはどうだ?」
「誰かに傷つけられたら遅いだろ?」
宝物なのだ。嫌な思いも悲しい思いもさせたくなかった。
「何で遅いんだ?そんな傷、嬢ちゃんなら勲章だって笑いそうじゃねえか」
「はっ、勲章か」
小さな頃のタチアナも、男の子相手に取っ組み合いして傷だらけなくせに、この傷は勝利の勲章だとか笑っていた。
あの日以来、思い出すのは大泣きした弱々しいタチアナだったのが、小さな頃のように元気に笑う大人になったタチアナの顔が浮かんだ。
(そうか、タチアナもセシリアも大丈夫なのか……)
ゴードスは、大きく息を吐いた。悪くない気分だった。
「もう一軒飲みに行かねぇか?」
「お、いいね」
二人で、残っていた酒をグイと飲み干した。
「で、名前は何て言うんだ?」
「あれ、言ってなかったか。バルドだ。よろしくな」
ニカリと笑ったバルドの瞳は、セシリアが生まれた日の空と同じ綺麗な青色だった。
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次回から第三章に入ります。