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「……え、何があったの?」
薄暗い部屋の中、私は見慣れた天井を見上げていた。体中ぐっしょり汗をかいていて、火照っている。特にお腹が熱くて熱くてたまらない。
どうにか現状を把握しようとして体を起こすと、額の上に乗っていた濡れた布巾がべしょりと太ももの上に落ちた。自分の体温でぬくもっていたそれに「うえっ」と思う。
「今、何時かしら……」
板戸を開けて外を見ると、太陽が地平線から一つ分くらい高いところにある。ちょうどいつも起きてるのと同じ当たりの時間のようだ。
なんだか頭が混乱していてよく思い出せない。たしか……クリスに頼んで、魔力を流してもらってたとこだったわよね。何でもう朝になってるの? それに、いつ自分の部屋に戻って来たのだろう。
この濡れた布巾とか、誰かに看病されてた感じなのが気になるわね。
風邪を引いて熱を出して寝てたのかしら? 良く思い出せないのもそのせい? でもそれにしては薄着にされて、布団もかけられていなかったのはおかしい。
「あら! ティナ、起きたのね」
「お母様」
そこにちょうどお母様が入ってきた。気付いたら自分の部屋で寝ていた私は混乱したままお母様に事情を尋ねる。
「あなた、クリスの部屋で倒れて、三日も意識を失っていたのよ」
「三日ぁ?!」
思わず、びっくりしすぎて大声を出してしまった。あまりに衝撃的な話でぽかんとする私に、お母様は続ける。
「魔力を流してみたら突然意識を失っちゃって、クリスも大慌てで。ずっとすごい熱が出てて、みんなで心配してたのよ。良かった、目を覚まして」
「そんな……事があったのね」
なるほど、それでノックがなかったのか。私は意識がないままだと思ったのね。
「トトラさんも分からないって言うから、一昨日街のお医者さんに来てもらって。そしたらね……魔力が強い子が小さい頃に出す知恵熱みたいなのに似てるって言われたの。ほら、クリスも小さい頃よく寝込んでたでしょ?」
「そう言えば、そんな事もあったわね」
私は昔を思い出す。あの時のクリスもよく「お腹が熱い」って泣きべそかいてたわね。
熱がこもってつらくなるそうで、夏はたらいに張った水に浸かってたのを思い出す。
「ティナにも本当は魔力があったから、初めて流した魔力に反応してこうなったんじゃないかってクリスが言ってたの。ねぇ、本当かしら?」
お母様は期待した目で私を見る。
確かに、倒れる以前の体とは違う。今熱が出てるからって訳じゃなくて、お腹に感じる熱源から絶え間なくエネルギーが出てきて、行き場をなくしたのか体中パンパンに腫れぼったくむくんでる感覚がする。
「……これが魔力なのかは分かんないわ。今までないって思ってたし」
「そうよね、ごめんなさい。起きてすぐにこんな事を聞いて」
「ううん、いいのよ。……熱が下がったら、これが魔力なのかどうか、クリスと試してみるわね」
「そうね。……魔力があると良いわね」
意識を取り戻した私の熱は、その日の夜には無事下がった。三日寝てた間何も口に出来てなかったから恐ろしくお腹が減ってていつもの三倍はご飯を食べたけど、不調と言えるのはそのくらいで、それだって次の日の朝には元に戻っていたし。
「姉さん、良かった。僕がやったせいで、もっと危険性とか考えれば良かった、僕のせいで……ごめんね。ごめんね……」
「クリスのせいじゃないわよ。私がやってって頼んだ事じゃないの」
クリスもとても心配してくれてたみたいで、目が覚めた私の前で泣きべそをかいていた。こんなに心配させて申し訳ないわ、ただの知恵熱だったのに。
それにしても、うちの弟は美人ねぇ。場違いなのは分かってるが、宝石みたいに綺麗な涙がぽろぽろ零れるのを見て「絵画に出来そうだわ」なんて考えてしまう。涙に強いアイライナーの広告にありそう。
……こうして泣いてると、小さい頃を思い出すなぁ。よく泣いてたわよね。
もちろんお父様もとっても心配してくれてたわよ。
そこでこの事件は終わり、日常が戻って来る……と、私は思ってたんだけど。どうやらそうはいかないようだった。
「魔力の測定に行く?」
「ああ。魔力があるならティナも行っておかないとだからな」
目が覚めた次の日の朝、ご飯を食べてる最中にお父様は私にそう告げた。体調に問題がないか様子を見てから行くそうだが。
魔力の量と属性を調べるならエルテの街の大きな神殿の事だろう。クリスも子供の時行ったっけ。
魔力があるかもしれないなら調べないでいる理由はないわよね。特に異論はない。
しかし、私は「数日は森に行かないようにね」とお母様に心配されたので、神殿に行く日まで暇を持て余す事になってしまったわね。
クリスから私でも楽しめそうな本を借りたり、久しぶりに刺繍をやったりして過ごす事数日。熱もぶり返さないし私もピンピンしているし、という事で予定通り神殿に向かった。
市場がない時にエルテの街に行くのって何気に初めてかしら?
神殿にはお父様が連絡していたらしく、到着するとすぐに机と椅子のある部屋に通されて、私の魔力の測定が始まった。
「おお! すごい魔力量だ!」
目盛りのついた、機械みたいな見た目の魔道具に触るように言われた私は言われるがまま水晶みたいな出っ張りに触れた。
途端、目盛りを差す針が反対側まで跳ねるように動く。
この場で一番偉いのだろう、一人だけ色の付いたたすきみたいな物を身につけてる聖職者がそれを見て目を見開いていた。
「そんなに多いのですか?」
「多いも何も! 針が目盛りを振り切れてるのなんて私は初めて見ましたよ、お嬢さん!」
という事はクリスよりも魔力量は多いって事? この人、私達が子供の時からこの神殿にいたもんね。
お父様は隣で大喜びしてるけど、何だか実感がないわ。
けど、あのクリスと同じか、もっとうまく魔法を使えるようになる可能性があるかもしれないって事……よね? そう思うと私は笑顔が抑えきれなくなってしまっていた。
「次は属性を測定しましょう」
それから私は、属性を測定するために色々な事をさせられた。模様の描かれた太い蝋燭を手のひらの上に立てられたり、はたまた砂を握らされたり。水らしい液体の入った瓶を持ったり、白いモヤモヤが中に閉じ込められている試験管みたいなガラスの筒に両手の人差し指で触れてみなさいとか言われたり……。
何だろうこれ? と思ったが、どうやらこれは全部属性を調べる実験みたいなものらしい。原理は分からないけど、「例えば光属性を持っているなら、今触れてもらった筒の中のエレメンタルが光るはずなんだよ」と教えてもらった。
一つ一つ、試していくごとに神殿の人達の落胆の色が濃くなる。最後に、小さな金属板を渡された。……これ、鏡かしら?
「そこに、何かが映っていたら教えてもらえるかな?」
「いいえ……特に何も」
覗き込んだ鏡には、特別何かが映っていたりはしなかった。手で持つと、私の顔の半分も映らないような小さな鏡だ。角度を変えても、普通の鏡にしか見えない、何かが映る様子はなかった。
これ、属性を持ってる人は何が見えるのかしら。私はつい、怖い話に出て来るような「鏡に映った自分の後ろに髪の長い女の人が……」「肩に手が……」そんな話を思い浮かべてちょっと怖くなってしまう。
そっと、渡された鏡を机の上の箱に戻す。高そうな布が敷かれていて、高価な道具なんだなとよく分かる。
しばらく私の測定結果を見て難しい顔で話し合っていた神殿の方達は、お父様の方を見ると切り出した。
「残念ながら、お嬢様の魔力に属性はありませんでした。非常に珍しい事ですが……『属性なし』です」
「そうですか……」
「おそらく、体が発達する子供の時に魔力が発現していなかったので、そのせいで属性が付かなかったのかもしれません」
確か、属性を持ってないと水や炎を出したりという、その属性の魔法は使えないのよね。魔法について、自分に縁がないからと意識して遠ざけてきた私でも、そのくらいは知っている。
つまり……私は、神殿の人達が驚くくらいの魔力量を手に入れたけど、使える魔法はない訳か。……あーあ、がっかりだなぁ。
「属性は持っていないと言っても、そのような事女の子なら些細な事です。この魔力量なら求婚者には困らないでしょう」
一回期待した分落胆が大きい。がっくり肩が落ちてしまう。……まぁ、生まれつき魔法は使えなかったのだ。それがこれからも続くというだけだ。
でも魔法、私も使ってみたかったなぁ。
「デイビッドさん。良かったですね」
「ええ。これでティナに良い縁談を用意してあげられます」
……私の事なのにお父様に話をする神官さんに、結婚こそが幸せだと思ってるお父様の言葉。
この世界の常識で考えれば、二人共心から私の事を思っての発言だって分かる。分かるけど、私にはどうにもモヤモヤしてしまうものだった。