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「……どうしたの? お父様。ぽかんとした顔をしちゃって」


 振り向くと、驚いた顔で固まっているお父様がいた。売れた分、小麦の袋を詰み直す途中の体勢でそのまま止まっている。


「い、いや……ティナがあんなにハキハキと人と喋る所なんて初めて見たから。しかも、知らない人と」

「あ……そう言えば、そうね」


 指摘されて思い出した。前世の記憶を取り戻す前の私は、人が怖かったの。クラウディオにされるみたいに黒髪を見て魔力がないって蔑まれる事を恐れて、他の貴族の前に出る時は黒髪を隠すために頭巾を被って、いつもうつむいていた。

 魔力がない私は貴族でいる資格がない、家族に申し訳ない、そう思うと喉がぎゅっとなって、声も出なくなっちゃってたのよね。

 でも今は違う。違う世界の価値観のおかげで、私はもう一度自分の事を好きになる事が出来た。

 それに前世では人前で喋るアルバイトもしてた気がする。あとメイク動画とかも撮ってたし。私、人と話すのは好きだったのよね。


「私、やりたい事が出来て……勇気が出せるようになったの」

「そうか。ティナが笑顔になってお父様も嬉しいよ」


 お父様の事は好きだけど、うーん。今はまだ私の夢については話さない方がいいわね。だって、この国の「普通」で考えたら絶対反対されるし……成果を出してから話を通したいかな。今「一生結婚したくないので商売する事にしました! この世界ではまだ存在しない化粧品を作って売って暮らしていきます!」なんて言っても絶対賛成してもらえないもの。

 私はその「やりたい事」については明言しないまま、人が行きかう市場の方を振り向いて、ハンドクリームの実演販売に戻った。



「ただいま戻りました、父さん。僕が店番替わるよ」


 太陽が真上に登る頃、クリスが本屋から戻ってきた。手には写本か翻訳を頼まれたらしい新しい本を二冊と、紙の束を抱えている。

 この世界では本はとても高価だけど、クリスは本屋のおじいさんにとても信用されているからね。こうして貸し出した上で仕事を頼まれるのだ。私は何度か訪れた事のあるこの街の本屋を思い浮かべた。

 本屋って行っても前世にあったものとはかなり違うの。お店自体は商店街の本屋さんそのままくらいの広さだけど、置いてある本が少ないしどれもびっくりするくらい高かった。前世の感覚で言うと一冊数万円から十数万円って感じ。

 その高い本達が、表紙をこちらに向ける形でぽつんぽつんと棚に並べてあるのだ。もう、私なんかは入り口で足がすくむわけよ。子供の頃のクリスはよく、あの店に入って仕事を取って来たもんだわ。

 私は昔を思い出していた。


「大丈夫だよ、午前中でほとんど売れてしまったんだ。ティナとお昼ご飯を食べておいで」

「そうよ。私の持ち込んだ新商品も売り切れたの」


 お父様の言葉に、私は自慢げに話す。ハンドクリームで客寄せした人達が、ついでとばかりに他の物も結構買ってくれたのよね。

 そう、そして、ハンドクリームは売り切れてしまったのだ。もちろん、アピールしたのもあるが商品が良かったんだと思う。一応魔法薬なので、その場ですぐ効き目が分かるのも決め手ね。

 あと気付いた事もある。大怪我じゃないけど、小さな傷に気軽に使える値段の魔法薬としてもっと需要がありそう、って事に。

 人だかりを見て興味を持った冒険者さんが、私のセールストークを聞いて「ポーションを使うまでもない怪我に良さそうだ」と言って、十個も買ってくれたのよ。

 これも一応魔法薬なんですけど……という指摘は置いておく。


 メリアの種の油を使ったハンドクリームじゃなくて、傷薬も作った方がもっと稼げそうね。商品が売り切れた事もあり、私はとってもいい気分だった。


「姉さん、最近明るくなったね」


 市場の喧騒からやや離れた場所。自宅から持ってきた昼食を広げた私にクリスが声をかけた。

 父さんにも同じことを言われたばかりだった私は改めて自分の中の変化に目を向ける。

 

「私ね、やりたい事が出来たの」

「やりたい事?」

「うん……目標って言うか、人生の指針って言うか」


 クリスは私の言葉を大人しく聞いている。父さんと同じく、その「やりたい事」をあえて聞こうとはしていない感じだ。

 でも、私の夢。クリスだけには話しておこうと思った。


「実はね……私、お化粧品を作って売る人になりたいの」

「お化粧品……?」

「お化粧品って分かる?」

「お祭の時に女の人が使う口紅……とかの事だよね」

「そうそう。私はその口紅とか、今までにないタイプの白粉とか、そういうものを新しく作りたいの」


 クリスはいまいちピンときていないようだ。その気持ちは分かる。この世界、特に男性には親しみのない品だものね。


「私ね、そのお化粧品を作る商売で生計を立てて……結婚しないで生きていきたいの」

「結婚……あー……」


 何か察したようで目を逸らしたクリスに、私は説明を続ける。


「私、クラウディオの事嫌いなの。下手に出て結婚してもらうなんて絶対に嫌」

「えっと、一応クラウディオは姉さんの事好きなんだと思うけど……」


 幼馴染である情けからか、クリスから初めてクラウディオのフォローが入った。


「好きな相手にあんな態度取る人だから、無理なの。本心がどうだったとしてもずっと嫌な事言われ続けてたのは変わらないし」

「あれ? 実は姉さんの事好きだって気付いてたんだね」

「つい最近ね。それに、クラウディオ以外が相手でも、魔力なしの私に良い結婚なんてないって分かってるし。だったら、好きな事で自活して生きていきたいの」


 私の「良い結婚なんてない」発言に思う所はありそうだが、クリスは納得してくれたようだった。


「僕……心配だったんだ。姉さんが、お金を稼ぐために無理を始めたんじゃないかって思って」

「違うわ。いえ、クリスの学費を稼ぎたいのも、もちろんあるけど」


 クリスは私の変化をそんな風にとらえていたらしい。

 たしかに、そう思われてもおかしくないくらい、私の行動は突然だったわね。でも、それは違う。クリスのために犠牲になっているのではない。そう伝えるために私は言葉を選択していく。


「私、今生まれて初めて自分の好きなものを作りたくて作ってるから、とても楽しいの」

「そ……っか。それは、良かった」

「それに、私がこの夢を叶えるためにはまず家族の理解を得なくちゃでしょう? 結婚しなくても一人で働いて生活できますって示す上で、丁度いいから目標に使うだけよ。言うならばクリスの学費はついでね」

「そっか、僕の事は『ついで』か」


 ついでだと言われたのにクリスは嬉しそうに笑う。


「何か協力できることがあったら言ってね」

「ありがとう、クリス」


 この世界に生まれてからずっと、いえ、お腹の中から一緒だったクリスに夢を打ち明けた事で、私は自分の目標に向かってまた改めて決意が固まったのを感じた。


「お父様達にはまだ黙っておきたいから内緒にしておいてね」

「分かった」


 固いパンに塩味の強いハムを挟んだ昼食を食べた私達は、お父様の待つ市場へと戻ってまた店番に精を出したのだった。


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