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「……とりあえず、分かっている事をまとめましょう」
私には前世の記憶があった。これは間違いない。
こことはまったく違う世界で、「綾乃」という女性として過ごした人生の記憶が。化粧品が大好きで、メイクなどの動画の投稿もしていて……将来、絶対化粧品関係の仕事をしたい! って勉強中だったような気がする。
しかし、自分について覚えてるのはそれくらい。
思い出したのが「えっ?! 化粧品ってこれだけしかないの?!」という衝撃と、初めて口紅を塗った自分を見た感動だったせいか……化粧品やそれに関する事以外、特に自分に関してがとてもぼんやりとしているのよね。エメのファンデは夏でも全然崩れないとか……リナシルのアイシャドウはすごく発色が良かった、とかは覚えてるんだけど。
自分がどういう人生を送って来たかとか、家族の事とか、その辺りが全て薄膜に包まれたように上手く思い出せない。そもそも今こうして新しい人生を送ってるって事は私死んだのよね? 全然記憶にないわ。
まぁ、別にいいかな。思い出せないからかしら……? 寂しいとか、全く無いのよね。でも前世の記憶は増えたけど、根っこの部分と言うか、自分は自分のまま何も変わっていないのが分かる。
前世の人生を「綾乃」視点で映画みたいに見た。その経験と知識が増えた、そのくらいの感覚だった。
しかし、そのおかげで気付けた事がある。
「私、クラウディオと結婚する必要、無いじゃない」
どうして、「魔力がない」とか、「だから貴族令嬢なのにその歳で婚約者がいないんだよ」って、そんな事を気に病んで生きてたのかしら?
しかも、私は悲しみつつもそう言われるのも当然だと耐え、家族に申し訳ない、恥ずべき事だとさえも思っていて。ずっとずっと悩んでいた。
魔力がない私でも良いと……「幼馴染のよしみで、どうしてもって言うなら嫁にもらってやっても良い」って言ってくれてるクラウディオに、いつか頭を下げるしかない、そう思い込んでいた。
……当然、今の私はそんな事するつもりは一切ない。
むしろ、クラウディオと結婚するくらいなら一生独身でいたい。あんな男、お断りよ。私が頭を下げるどころか、頼まれたって嫌だわ。
自分がまだ十四歳だからまだ結婚とか考えられないってのもあるけど、そもそも結婚も別にしたくない。
でもこれは、ここと違う世界で生きた常識が私に宿った、だからこそたどり着いた思考だ。
この国の貴族令嬢としての生活しか知らなかった私では考えられなかった事だから仕方ないわね。
だって、前世とはこんなにも「当たり前」が違うんだもの。
まず、この世界には魔法が存在する。でもこれは「綾乃」の感覚ではすごい事だけど、私の認識では……生まれた時から存在するものなので、今更特に感動することはない。
むしろ前世の……あちこちに病院や学校があって、スマホや家電も誰でも買えて、交通網も発達した世界の方がよっぽど便利だと思うわ。
魔法の方が自由度が高いけど、一瞬で遠くに行ける転移魔法や大怪我を治す治癒魔法なんかの前世より便利なものは、ほんの一部のすごく優れた魔法使いにしか使えないし。
魔道具は存在するけど、うちにあるのは照明くらいで、生活用水だっていまだに井戸を使ってるし、もちろん水洗トイレもない。
それに、人間の文化や社会だって私から見るとかなり前時代的に感じる。
技術だけの話じゃなくて、人の考え方と言う意味でも。
貴族が当たり前に存在して、中には貴族ってだけで偉そうにしてるのもいて、一生を小さい村から出ないで終える人がいくらでもその辺にいるし、ほとんどの平民が文字が読めない。
私の前世って、とっても便利な世界だったんだな。それに、自分が自由に生きてるって気付かないくらいにすごく自由だった。
少なくとも、私が生きていた環境は、身分や性別で学べる内容やなれる職業が公的に制限されてたりはしなかったもの。
それに対してこの世界では、貴族にしかなれない職業なんて山ほどあるし、平民は基本貴族になれないし、そもそも親の職業を継ぐ以外の選択はほぼないし、女の子なんて学校に行けない。
教会とかが読み書き算数くらいは教えてるけど、前世の日本の高校以上と……「専門学校」「大学」に相当するような機関に女性は入れないのだ。
個人的に家庭教師を雇っている家はある、その程度。
私は、別にこれ以上を学校で勉強したいとかはないから別に良いけど……。やりたい事も他に出来たし。
ちなみに、うちは貴族と言っても名ばかりで、かなり貧乏なので当然家庭教師なんていない。こんな辺鄙な田舎には、募集したとしても誰も来てくれなさそうだけどね……。なので貴族のマナーや礼儀、読み書きはお母様が教えてくれた。
私と違って弟には魔力があるので、クリスはお父様から簡単な魔法の使い方も習っていたけど……まぁ地方の男爵家の教育事情なんてどこも似たようなものだろう。
そう言えば私、教わりもしてないのに最初から計算が出来たって……すごく小さい頃は「神童じゃないか」とか言われてたっけ。それを真に受けて一時期ちょっと調子に乗ってた自覚もある。
しかしその自惚れは、隣でグングン成長し始めた本物の神童……弟のクリスにすぐへし折られたので事なきを得たが。
今思うと、私が最初から計算がある程度出来たのって、多分前世のおかげなんでしょうね。
実際、ちょっと難しい数学の話になったら解けなくなったし。
クリス? クリスはお母様も私もついていけなくなった後、数学の本を一人で読み進めて代数とか幾何? なんてものを解いてたからね。今は他にも、もっと難しい事を勉強してるし。あの子は本物の天才よ。
話が少し脱線したけど……なのでこの世界、「働く貴族の女性」がほぼ存在しない。例外は貴族令嬢につく家庭教師とか、高位貴族の侍女くらいかしら。
でもどちらも、コネも伝手もない私には難しい。まず第一、それに必要な知識を学ぶ手段もないし。
なので貴族令嬢の未来は「結婚」一択。子供のうちに婚約者を決めて、十代のうちに結婚して……というのが「貴族令嬢の幸せ」とされている。
そして私の事情として……私には魔力が一切ない。
貴族には珍しい、「魔力なし」を示すこの黒髪を見れば分かるだろうけど。
他の国はどうか知らないけど、この国では貴族とは魔力があって、戦えるくらいに魔法が使えて……と、有事の際には民を守る力を持つべしとされている。
だから結婚の時には家格以上に「魔力」で決められる事もある、そのくらいにこの国の貴族では重要な存在だった。
なので魔力のない私は、貴族令嬢の将来が「結婚」しかなく、貴族は魔力を持っているのが当たり前のこの国で……まぁ、結構嫌な思いをしてきたのよね。
何より、その事で自分で自分の事を嫌いになりかけていた。
さっき前世の記憶を取り戻すまで……私もこの常識の中で生きて来たから、これは全て当たり前のことだと思っていた。
貴族令嬢として将来は結婚するしかないけど、魔力のない私では幸せな結婚はできないよねとか、そういう事全部。
でも今は違う。この前世の記憶のおかげで、私はクラウディオと結婚する必要なんかないし、そんな事しなくても生きていける……そう確信できていた。
ずっと、将来を考えて泣いてしまった事もあるくらい悩んでいた事だった。……新しい視点を得た今、それは形をなくして消えていた。ここ数年で一番清々しい気持ちだ。