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「む~ん……」

「どうしたの? 姉さん。食べてる間も何か考え事してたよね」


 夕食後、お皿を洗いながら依然と「気圧が低い状態をどうやったら作れるか」について考えていた私にクリスが声をかける。

 私はひらめいた。クリスに聞いてみれば良いんだわ。賢いこの子の事だから、何か良いアイディアを教えてくれるかもしれない。


「今新しい化粧品を作ろうと試行錯誤してて、それで悩んでたの」

「へ? 化粧品?」

「うん、水だけ取り除きたいのよね。でも煮詰めると焦げちゃって……」


 えーと、「気圧」って今の世界じゃなんて言うのかしら。勉強した時にも出て来てないわよね。そもそもお母様から習ったのってこの国の歴史と地理と礼儀作法が主だったもんなぁ……。計算は私は元々出来たし。

 今は前世の知識を使う時は、私頭の中でそのまま前世の言葉で考えちゃってるからなんと表現したらいいいものか……。

 適切な単語が分からなかった私は所々言い換えながら説明を続ける。クリスなら何の事か分かるでしょう。


「すごい高い山の頂上って水が低い温度で沸騰するらしいじゃない。それと同じ状況を作って、焦げ付かない温度で水を取り除けないかと思って」

「……たしかに、大気圧が下がれば沸点も下がるね。よくそんな事思いつくなぁ……さすが姉さん」


 クリスは感心したように頷きつつそう答える。私が知っていたのが意外だったのかしら。その気持ちはわかる。


「風が使える魔法使いに頼まなくても出来るかな」

「一応、可能ではあると思う。良かった、僕はてっきりクラウディオに何か……何でもない。ちょっと待ってて」


 そう言うと、クリスは自分の部屋からペンと紙を持ってきてそこに絵を描きながら説明を始めた。


「僕も本で見ただけなんだけど、錬金術にこういう実験器具があるんだ。空気を通さない素材で作ってあって……。一回空気をギリギリまで追い出した後にここの弁を閉じて、このピストンを引くと器具の内部を大気圧が低い状態にする事が出来る、っていう……」

「なるほど」


 分かりやすい図に感心してしまう。

 私は針のない太い注射器みたいな絵を見下ろした。ちょっと複雑だけど、これなら図を見ながらしっかりイメージしたら「見えない手」で形作れるかもしれない。


「ありがとう、クリス。この絵貰っていい?」

「うん。上手くいくと良いね」


 やっぱりクリスに相談してみて良かったわ。



 そしてまた次の休日。私は前回と同じ空き地で早速実験を行っていた。

 何とか、クリスに教えてもらった実験器具の通りの形を作り出せたと思う。色スライムの液は、その甲斐あって「見えない手」の器の中でポコポコと沸騰をしていた。

 熱は加えていない。今の周りの気温で沸騰するくらい中の気圧が低いという事だろう。

 しばらくそのまま置いておくと、期待通り黄色い塊だけがそこに残っていた。パサパサしてて、脆いスポンジみたいな感触ね。

 赤い色スライムの方も同じようにして水分を取り除くと、それぞれ細かく粉砕して粉にした。これで準備は終わった。

 ソラメ石で作った白粉を取り出し、肌に乗せて違和感のない色になるように三種類の粉をちょっとずつ混ぜていって、丁度良い肌色を作る。


「すごい……! 良い感じじゃない? パウダーファンデーションみたい」


 私は興奮しながら混ぜたばかりの色白粉を手の甲に塗ってみる。塗った所を、角度を変えて何回も眺めてしまった。

 しかしこの試作品は失敗だった。汗をかくと色の成分が溶けて、服を汚してしまうのだ。


「袖口がオレンジ色になっちゃって焦ったわ。水で落ちたから良かったけど」


 でもそうよね。水に溶けてたものから水を取り除いただけじゃ、もう一度水に触れたら当然溶け出すわよね。

 色を取り出すところまでは上手くいった。次はこの色の粉を、どうにかして水や汗に溶け出さないように出来ないだろうか。


「よし、クリスに聞いてみよう」


 私は村の畑がある方に向かって歩き出す。クリスはいつも家の近くから作業していくから、今の時間だと多分……オスターさんちの畑の辺りにいるわね。


「いたいた。クリスー」

「あれ、姉さん」

「そろそろお昼の時間でしょう。一緒に家に戻らない? あと相談したい事があるから話を聞いて欲しいの」

「うん、いいよ」


 水路から魔法で水をまき上げて畑に撒いていたクリスが、私の声に反応して振り向く。

 我が弟ながら、なんて美形なのかしら。普通の麦わら帽子に作業着なのに、クリスが身に着けると郊外特集の雑誌の撮影みたいね。


「昨日教えてもらった方法で、上手い事『色』の成分だけ取り出せたみたいなの」

「そうなんだ! 良かったよ」

「次はその『色』の成分が水に溶けないようにしたいのよね。これなんだけど……何かいい方法ないかしら」


 私はクリスの前に、陶器の小さな壺に入れた二種類の色粉を出す。


「これ、何から作ったの?」

「そこの森にいる色スライムよ」

「なるほど。魔物素材なんだね。ちょっともらっていい? 試してみたい事があるんだ」

「もちろんよ」


 家に着くとクリスは部屋から紙を持ってきて、それぞれの色粉を少量ずつそこに包むと手の上に乗せた。


「何してるの?」

「魔力を流すんだよ。錬金術の素材の加工の一つなんだけど、強い魔力を流すと魔法素材は安定化するんだ。紙に包んだのは、失敗して溶けたら手が汚れちゃうから」


 何でも魔物や魔植物なんかのファンタジー素材は、魔力を流すとその状態が強く維持されるらしい。強い魔物の素材だとものすごく大量の魔力を使うので難しいそうだが、スライムくらいなら人間の魔力で「安定化」とやらが出来るそうだ。

 詳しい理屈は分からないのでそういうものだと理解しておく。


「でもこれ、良い発色だね。化粧品だけじゃなくて普通の塗料やインクとしても使えそう」

「確かに、そう言われるとそうね」


 絵具として売るのもアリかもしれない。赤と黄色だけだけど、この発色なら需要はありそうだ。

 とりあえず、魔力を流すのか、自分もやってみよう、と私は色粉を包んだ紙を手のひらに乗せて息を吸い込んだ。魔力を手に入れた時最初にやったように、ただひたすら魔力を流す。

 どのくらい必要なのか分からないのでとりあえず全力で。隣にいるクリスがびっくりしてこちらを見るくらいの魔力を流したみたいだ。こんなにはいらなかったらしい。


「え、?!」


 そろそろいいかな、と広げてみたら紙に包まれていた色粉は真っ黒になっていた。これには赤いスライム粉を包んだはずよね?

 頭の上に疑問符を浮かべる私をよそに、クリスは想定と違った事が起きたのが余程興味深かったのか、興奮した様子で再現を求めて来る。


「姉さん、もう一回やってみてよ!」

「分かったわ」


 別の紙に新たにスライム粉を一つまみほど乗せると、今度は慎重にちょっとずつ増やしながら魔力を流していく。今度は色も状態も変わらず、クリスの手のひらの上と同じ、赤い粉のままだった。

 何回か実験した結果、私が全力で魔力を流した時だけ起きる変化のようだった。

 全力で魔力を込めると赤い色のスライム粉は、このピンクがかった赤……マゼンタみたいな赤からだんだん色が濃くなって、茶色を通り越して最終的にはほとんど黒くなる。

 黄色のスライム粉はオレンジがかった黄色からどんどん鮮やかな黄色になると、最終的には眩しいくらいの真っ白な粉になってしまった。

 すごいわ、これ。いきなり作れそうな化粧品が増えちゃった!!


「すごいね……これ、薬師で習ったの?」

「ううん、こんなの知らない。でも……これ、すごいわね!」

「これは素材が大量の魔力によって変質してるのかな? いや、物性は変わらないように見える……とすると構造色とか……どうして姉さんの魔力を流すと色が変わるのか……魔力量か、それとも属性がないのが関係してるのか……」


 クリスは何やら難しい事を言っていたが、私はただ目をキラキラさせながら色粉を眺めていた。

 ハッと思い出して慌てて水を持ってくると、手のひらの上で混ぜ合わせて、魔力を流して色を固定したスライム粉が水に溶けない事を確認した。よし、これで思ってた通りのものが作れるわ!


「どうしてこんなに便利な色素が色スライムから採れるって知られてないのかしら。安いし、こんなに色も鮮やかなのに」

「うーん。姉さんはこれ、無色の魔力で減圧状態を作って……スライムの体液の水分を飛ばして、そこにまた強い魔力を流して作ったでしょう? 僕では色が変わらなかったし、魔力に属性がないのも関係してるかもしれない。そんな事出来る人も、試した人もいなかったんだと思うよ」

「なるほど」


 確かに、私の魔力の量は教会の人が騒ぐほどの量らしいものね。それに、属性のない魔力の人ってこれまた相当珍しいみたいだったし。と言う事は、現状この色粉は私しか作れないって事かしら?!


「この事……作り方とか材料は内緒にしておいた方がいいと思う」

「そうね。そうしておくわ」


 ジークさんの妹さんのために色白粉は作るけど、製法なんかはわざわざ伝えなくても良いだろう。


「あら、なぁにこれ。ティナ? 薬草か何か? 今日はマーサがいない日よ。お夕飯は?」


 そこにお母様が帰ってきて、ダイニングで取り分けた色粉を覗き込んで実験に熱中していた私は夕食の準備をしていなかった事を叱られてしまった。


「あ! ごめんなさいお母様。ちょっと化粧品づくりに熱が入っちゃって」

「すごく興味深いものが出来たから、僕も一緒になって見てたんだよ。ごめんなさいお母様」

「もう、ティナは女の子なんだから、家の事はちゃんとしてくれないと」


 お母様は仕方ないわね、と言いたげに台所に向かう。私も慌ててその後を追った。

 まぁ、こういう区別、記憶を取り戻してからはどうしても釈然としない気持ちになる。もちろん、分かってるわよ? この世界ではお母様の感覚の方が多数派で、家事をしなきゃいけないのは私だけとか、女の子だからこうしろ、って言われていちいちモヤッとする今の私が異質なんだから。

 クリスの方は逆に男だからって剣術の稽古で青あざ作ってたり、畑仕事だって私より多いし、来年からは夜の見回りの仕事もある。それが普通だから。

 でも知っている分、前世の方が良かったなってどうしても思っちゃうのよね。似たような考えの人はやっぱりいたけど、ここまで酷くなかったし。


 ひとまず私は現実に目を向ける事にした。お母様の前なので、自分の両手を使って芋の皮をむく。

 とりあえず、ジークさんの妹さんに渡す白粉が完成しそうで良かったわ。


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