帰路
「ジーク様! 心配しておりました、ご無事で良かったです……!」
翌日の午前中、お父様と一緒にジークさんのお家の方がジークさんを迎えに来た。
「すごい、竜車よクリス。私初めて見たわ」
「僕もだよ……」
私はクリスと一緒に、そのジークさんを迎えに来た竜車を思わず仰ぎ見る。
真っ黒でシンプルなデザインの車体だけど、絶対超高級車よね。それに何たって竜で牽いてるんだし。我が家は当然普通に馬車(しかもかなり古い)を使ってるし、普段は二頭とも農耕馬として働いてもらってる。ちょっと珍しい魔物を使った獣車くらいならエルテの街でも見た事あるけど……竜車とは……。
……はっ。口が開いてたわ。
「怪我をしたとお聞きして気が気でありませんでした……! 森の中でルミリエ様のご息女と出会っていなければどうなっていた事か……!」
御者席に乗って竜の手綱を握っていた人が焦ったように降りて来ると、ジークさんの目の前にシュタッと跪いた。安堵で感極まっているようで、今にもジークさんの足に縋りつきそうだ。
二人が感動的再開をしている後ろで、居心地の悪そうな顔をしたお父様がそーっと竜車から降りて来たのに気付く。
「あ……お帰りなさい、お父様」
「ただいま。いやぁ……こんなすごい車乗ったの初めてだったから、乗ってる間気が気じゃなかったよ……」
まぁ、それはそうよね。土足で入るのが……いいえ、この服であの高そうな座席に座って汚しちゃわないかしらとか、色々な事が気になってしまいそうだわ。
「ライ、大げさだよ。ルミリエさん達がびっくりしているだろう」
「……失礼いたしました」
我に返ってちょっと恥ずかしそうにしたその男性は、ジークさんの言葉に従って立ち上がると私達に向き直って挨拶をする。
ジークさんの前で膝をついている時は分からなかったけど、すごく背の高い人ねぇ……。
褐色肌に黒髪。異国情緒のある侍従服がとても似合っている。それにしても、この人も美形だわ。常識離れの美形は、従者の方まで美形なのかしら。
切れ長で力強い目……カラーマスカラが映えそう。目元にビビッドで明るい色を差したらそれだけで絵になるわね。反面リップは思い切りダークな色にしてコントラストを……。
……はっ! いけない。また脳内で、勝手に人をメイクしてたわ。
「オレはニール狼族のライ。ジーク様の従者です」
丁寧な自己紹介に応えるように、こちら側の三人とも順番に挨拶を行う。知識としては習ったけど、本当に獣人さんの名乗りはこっちの国と違うのね。種族も最初に言うんだ。
「この度はオレの大切な主人が怪我をしている所を助けていただき、誠にありがとうございました」
「いえいえ、そんな。何度も言いましたけど、領主の娘として当然の事をしたまでですし……」
ライ、と名乗った褐色の男性は私に改めて体を向けると一層深く頭を下げてきた。頭の上にピンと立った狼の耳の向こうにふさふさの尻尾が覗くくらいに深々と。
大人の男の人にこうしてはっきり頭を下げられるなんて、なんだか落ち着かないわ。
「すいません皆さん。私の従者が騒がしくして」
「ジーク様。オレはジーク様の命の恩人に正当な感謝を口にしただけです」
でもジーク様の事を本当に慕ってるんだなって事がよく分かって、嫌な気分にはならなかった。
「あの、こんな所で立ち話もなんですし、良かったらお茶でもいかがですか」
「お気遣いありがとうございます、ルミリエ夫人」
お母様の声で一旦話をする場を屋内に移した後しばらく歓談して、陽が暮れる前にとジークさんとライさんはメイソン領に戻って行った。
ちなみに、お父様が乗って行ったうちの馬は後日ライさんが届けてくれるそうだ。余程、何を置いてもジークさんを最速で迎えに来たかったらしい。
こうしてこの村に不釣り合いな、高そうな竜車が家の前から遠ざかるのを見送った私達家族は屋敷の中に入る。途端四人とも気を抜いたようで、弛緩したいつもの雰囲気が戻って来たのだった。
「いやぁ……ティナはどうやらすごい方を助けたみたいだぞ。別荘がとんでもない豪邸だった」
「そんなに?」
「ああ。エルテ子爵のお屋敷があるだろう。それより大きかった」
「別荘が?!」
「家具も調度品も見た事のないような高級品ばかりで、昨日は生きた心地がしなかったよ」
「ジークさんを手当てして一晩面倒を見たお礼だって、結構な額を包んでいかれたものねぇ」
とんでもない大金持ちね……!
ジークさん、ただ者ではないとは思っていたのよね。なんか喋ってると……礼儀正しいんだけど、「ああ、傅かれて生きるのが当たり前の人なんだな」ってよく分かるというか。偉そうにしてるとは違うのよ? 貴族なのは想像ついてたけど、何だか貴族の中でも格が違う気配がする。
え、私何か失礼なことしちゃったりしてないかしら。途端に心配になって来ちゃうわ。
「それにしても、ジークさん相手にちゃっかり商売してるなんて知らなかったわ。恥ずかしい」
「違うの。話のついでに見せたらジークさんが欲しいって言ったのよ」
私はさっきライさんから支払われた千五百エメルを手の中に握り込む。これも「素晴らしい商品だから是非相応しい金額を支払わせて欲しい」だなんて言われて、正規料金を受け取るのに大変だったのよ。
「来週クリスとあちらのお宅にお邪魔する時はくれぐれも失礼のないようにね」
「分かってるわ、お母様」
クリスに託すように視線を向けるお母様。残念な事に、それに行う反論は何も思いつかなかった。
「まずは話し相手に……って言われたけど、出来たら会いに行く日までに新しい白粉を試せる状態にはしたいのよねぇ」
ジークさん達が保養地に戻って行った翌日。私は早速、新しい白粉づくりに着手するための材料集めに森の中に入っていた。
私が助けられそうな困り事で悩んでるなんて聞いてしまったら、何とかしてあげたいじゃない。
当分色付き白粉は作るつもりはなかったけど、そうとなれば話は別だ。材料については色々考えていたので一人が使う試作品くらいの量なら何とかなると思う。
何故作るつもりがなかったのかと言うと……絶対売れる商品になるだろうけど、またすぐ街の薬師にアイディアを真似されるのが分かっていたからだった。
でも今回は商品じゃなくて、ジークさんの妹のために特別に作る訳だからね。
ハンドクリームは大きな薬店が真似して売り始めたせいで大して売れなくなってしまってるし、今残ってる在庫で十分だから、白粉についての研究を始めよう。
「まずは白粉の基材にする予定のソラメ石ね」
私は自分の頭の中で整理するために確認しながら、森の中に流れる沢に向かって歩き出した。
安全な白粉、って前世の知識で一番に思い浮かぶのは酸化亜鉛なんだけど……別に、わざわざ同じ成分の物を探したり開発しようとしなくても良いだろう。せっかくこの世界の薬師の知識があるんだからね。第一前世と同じ物質がちゃんとあるかどうかも分からないし。
私が白粉の粉にしようと考えてるソラメ石って言うのは川の底に沈んでいる灰色の石っぽいものの事で、傷薬を作る時に使われている。とは言っても薬みたいな効果があって用いられている訳ではなくて、何て言うのかな……傷口から出て来るジュクジュクした液を吸わせるために混ぜてある感じ。昔は擦り傷切り傷の薬によく混ぜてあったらしい。ただ、近年はこういった軽い傷口は化膿しないように気を付けた上で保湿した方が治りが早い、という事が判明して手当てがアップデートされたので、現在はトトラさんの所では常備されてない素材だ。
実は石じゃなくて魔物の骨が綺麗な水の流れに長い間洗われる事で出来るものなのだが、まぁその辺は別に良いだろう。
大事なのは、傷薬に使われるくらいだから「傷口、肌に塗っても大丈夫」って実証がある事だ。
このソラメ石はそのまま粉にすると灰色なので、当然そのままでは白粉には使えない。だけど私、昔何かの材料と間違えて……確か炭と一緒に小さな鍋に入れて火にかけちゃったのよね。半日ほど経って、入れるものを間違えたと気付いて蓋を開けたら、ソラメ石が真っ白になってたの。あの時は「意味のない事に燃料の薪を無駄遣いしてしまった」という失敗としか思わなかったけど。今は「あれ、白粉の代わりに使えるんじゃないかしら」と気付いた訳。
乳鉢や石臼じゃなくて、魔法を使えば前世の機械で作ってたような細かい粒子の粉末も作れるはず。
私は川の縁に立つと、魔力を練って「見えない手」を作り水の中にザブンと突っ込んだ。ソラメ石は川の中央の深いところに沈んでいる。普通なら、平たい籠を持ってこの寒い時期に川の中に入って、底を攫って探す……という重労働をしなければいけなかったところだが。ほんと、魔力が手に入って良かったわ。
川の底から他の砂利ごと持ち上げて自分の前に持ってきては、その中からソラメ石を選別する。その作業を繰り返して、何とか両手いっぱいくらいのソラメ石を集める事が出来た。
何回か失敗するだろうけど、ひとまずこのくらいあれば十分だろう。
「あとは色スライムね。赤と黄色……」
正式な魔物名もあるんだけど、ちょっと長すぎて覚えていない。薬師の間では「色スライム」で通じるから……。
この色スライム、薬師にとっては「薬に色を付けるための素材」としてたまに使われている、それだけの存在だ。ラベルも付けるんだけど、この世界字が読めない人も多いから。
赤いポーションは旦那様の心臓の薬、黄色いポーションは頭痛の薬です、間違えませんように、そんな感じで使われる。
やはりこれもポーション……内服するものに使われているので、安心して化粧品にも用いる事が出来る。飲めるなら、肌に塗っても安全でしょ。前世でも、医薬品に使われてる添加物は全部化粧品でも使えたしね。
ソラメ石で作った安全な白粉に、赤と黄色の粉末を良い感じに混ぜれば肌色の、今までにない白粉が作れるだろう、という構想だ。簡単に言ってるが、上手くいくかどうかは分からない。それをこれから試す訳である。
「水場の近くの岩の陰に……いたいた」
私は見つけたスライムを「見えない手」で拾い上げると持ってきた壺の中に入れていった。
ああ、毒がある訳じゃなくて、単純にぬるっとしてて素手で触るのが嫌だからよ。
毒がある色スライムももちろん存在するんだけどこの森には生息してないし、薬師の知識のある私は見分け方も知っているので大丈夫だけど。
「色スライムも、とりあえずこのくらいでいいかしら」
道中、トトラさんが買い取ってくれるような素材も一緒に収集していたその日は、材料を集め終わった頃にはもう家に戻る時間になっていたので、色白粉を作るための色々な実験はまた違う日……明日は薬師見習の仕事があるので、明後日から行う事にした。