お、おかえり……
誰かいっそ私を殺してください。
そんな気持ちになったのは騎士訓練時代の一番過酷だった時以来でしょうか。
私達は第1部隊の方々と共に、ダンジョンの11階と10階と9階をひたすらグルグル走らされています。
10階の湯でパワーアップ効果をつけ、11階の湯で体力を回復させ、9階の作物で食事をして、作物をひっかき集めて8階層までの長い階段を駆け上がり、階段の上で待機している第3部隊、第4部隊に荷物を渡して寝る。
ひたすらそれの繰り返しです。
ちなみに第3部隊と第4部隊は、年や怪我によって激しい現役からは退いた、元、第1部隊や元第2部隊の騎士たちなのですが。
怪我による引退者は、担いで9階層の歪み直しの湯まで運びましたので怪我の後遺症が治り、第1部隊、第2部隊に復帰させられ……いえ、めでたく復帰なされた方々もおられます。
中には復帰した途端に、この地獄の訓練にいきなり叩き込まれて、なんで私を復帰させた! なんで復帰させた! と叫んでおられる人もいます、あーあー聞こえません聞こえません。
時々、他国からのお客様が9階層の湯に入りに来るのを希望されてくるので、タンカを使って客をテキパキと運ぶように走りぬいて、1日で往復させるサービスも行っております。
正直な所、ただの平坦な草原でのマラソンですので、あのふざけた11階層を何度も駆け抜けるよりはこちらのほうがずっと楽です。
血反吐を吐くようなペースで、そのような運動の繰り返しを一ヶ月もさせられていたら、10階層の湯の効果もあってか、さすがにだんだんと慣れて来ました。
慣れてきたとたん、第一部隊による実戦訓練が追加されました。
ボコボコです、毎日毎日ボコボコに殴られ続けました。
「怪我しても骨が歪んでも、湯に入れば治るなんて最高の訓練環境だな!」
と、第1部隊の方々は笑っていましたが、私達は何も笑えません、というか第2部隊の顔からだんだん表情と感情が消えてきました。
ダンジョンの意思さん、見ているなら疲弊した精神を治すお湯をください、もう私達はダメかもしれません。
そして、一体何日たったのでしょうか……?
ダンジョンの中でも一応、昼夜っぽい変化はありますが、真っ暗にはなりませんから時間の感覚がだんだんあやふやになってきました。
いつものように、今日も死んだ顔で11階層を全部回ります、11階層を回ってる時間はもはや気楽な方です。
今では11階層のエリアには第1部隊の方々はあまり下りてきません、ヌルすぎるので部隊内で稽古していたほうが効率がいいらしいです。
時々、体力回復の湯に入るために来るくらいです。
一通り回り終えましたので、9階層に戻って食事の準備をしましょう、食べ終わったらまた剣術訓練でボコボコにされると思うと今日も憂鬱です。
あれ? 今日は9階層に見慣れない方々がいますね、誰でしょうか。
「伝令です、新しい武具が完成しましたので、全部隊地上に戻って来るようにとの事です」
武具ですか、そういえばそんなことを昔、ユーザ陛下は言っておられましたね。
武具ができるまでの間は住み込みで訓練をしてこいと……あれ?
「え?」「ってことは……」「帰れる?」
「帰れる!!」「帰れるんだ!!!!」「やったああああああああああ!!!!」
みんなが大喝采で、泣きながら抱き合い訓練の終了を喜び合います。
まるで戦争が終結して、生き延びた仲間同士が喜びあっているかのようでした。
「はー、パワーアップ期間はこれで終わりかい、もう少しやりたかったねぇ」
「しかし、十分に特訓の成果は感じますよ、トウジ隊長」
「力を比べられるモンスターがいないので、実際どのくらい強くなったのかがイマイチわかりにくいですがね」
第1部隊は、訓練期間が終わったことを逆に残念がっているようです、どういう神経をしているのでしょうか。
「飯もうまけりゃ、毎日風呂に入って清潔になれるとか、他所のダンジョンに比べたらまるでリゾート地だよここは」
なるほど、あの簡素でまずい携帯食で食いつないで、風呂もないダンジョンに年単位潜ってる事に比べたら、ここでの半年なんて天国というわけですか……。
「よし、飯を食ったら急いで戻るよ、なぁに今なら、あんた達でも1日で全速力で走って王宮まで戻れるさ」
……なんかとんでもない事を言われていますが、今ならたしかにできそうだなぁと思ってしまうから困ります。
「おそらくだけど、今のあんた達なら20階層くらいまでなら十分通用するから、しばらくの間は私達がいなくともここのダンジョンが大幅に拡張しても平気だろうよ」
20階層……ですか。
20階層以下から男女含めて世界レベルの精鋭の仲間入りとは聞きますが、もうそんなところまで私達の強さはたどり着いたのですか?
あまり実感はありません、なにしろ毎日ひたすら吐くまで走り回って、日々タコ殴りにされていただけですから……。
そんなことより、早く帰りたいです、ああ、地上の光が、街並みが、王宮が、ナウサ公爵邸が懐かしいです。
「あら! おかえりヴィヒっ……タ!? ……ひ、久しぶりね、すっごく肌が綺麗になってるわよ、肌は……」
アウフお嬢様が私を見るなり絶句して、そうおっしゃられました、肌はってなんですか肌はって、他がなにか変なことになっているんですか。
「目つきと雰囲気が、帰還したての第1部隊の方々に近くなってるわ……」
「ダンジョンの奥底で暮らしているとそうなるんでしょうかね」
私はお嬢様に対して、ピクリとも笑わずにそう答えてしまいました、どうにも笑顔が出てきません、笑うってどうするんでしたっけ?
「なんで途中で何度か帰ってこなかったのよ!?」
「地上に戻ると10階層の湯の効果はおそらく消える、いちいち戻ってたら特訓の時間がもったいないってトウジ隊長がですね」
ああ、また、目の焦点が合わない感じの視線で、抑揚無く答えてしまいました。
ダンジョンから帰還したての第1部隊の方々って、たしかにみんなこんな感じでしたっけ。
……なるほど、人は長らくダンジョンに住み着くとこうなるのですか。
幼い頃からダンジョンで生きてきた第1部隊の強さの境地に、少しは近づけたということでしょうか。
あ、お嬢様が引いておられます、これはいけません、ここは安心させるためにもどうにかして笑わなければ。
「あはははははははははは」
私が笑うとアウフお嬢様が本格的にドン引きした青い顔になられました。
「うん……ヴィヒタ……休んで。ぐっすりと一晩……いえ、疲れが取れるまでしっかり休んで」
そうですか、たしかに私は疲れているようですからお言葉に甘えましょう。
新しく新調された武器と防具をユーザ陛下から受け取ったトウジ隊長達は、また新たに、他国の巨大ダンジョンへと向かっていきました。
つまり今日から私達は休めるのです、休めるのです、休めるのです。
そうなんですよね、お嬢様、私は、休めるのですよね、休んでいいんですよね。
そう思うと、途端に涙が溢れ出してきました。
「休みます、休ませていただきます~、あああああ~~あああああん」
大声で泣きながら部屋の方に向かっていく最中。
館の人たちはなんて声をかければいいのかわからなかったのでしょう、みんな困ったような顔をしてこちらを見続けていました。