アウフの功績
7階層のシワ消えの湯は、明確に肌の老化が減るだけで、入浴を否定する理由が何も無いのでトウジ隊長も文句なく入ります。
8階層の傷あと消えの湯も同様に、痛む古傷が消える事はメリットしかないのでこちらも文句なく入ります。
……というあくまで耐用年数が伸びるという理由がトウジ隊長の入る理由になるのでしょうか。
周りの第1部隊の騎士団は、顔や身体の凄まじい傷痕が消えてなくなった事で、もう隠すこともなく皆、感涙していたのですけど。
何しろ顔も身体も、消えない傷とアザだらけでしたからね。
我々第1部隊は戦いに生きて戦いの果てに死す。
そんな矜持を心にみんな持つのは、自分を騙してでもそんな矜持を持たないと心が保たなかったのだろうと考えられます。
中には本当に、心の底からその矜持を持っている人もいるようですけど……。
「はあ……。 これからは、国に戻るたびにどんな傷を負っても死ななきゃきっちり消えるってことだね、今後はより遠慮なく戦えるだろ」
とりあえずといった感じで、トウジ隊長は部下の皆さんにそう言っていました。
綺麗になった身体が傷つかないように、恐れて戦うようになるんじゃないよと、周りに理解させているのでしょう。
「は、はい!」「そうですね隊長!」「そうよね……うん、また顔を怪我しても……大丈夫よ、大丈夫」
周りの一部もハッとした様子で、まあ、また傷ついても治るなら大丈夫か、と思い直したようです。
この様子では、言われていなければ無意識に綺麗になった顔と身体を守る消極的な戦いをするようになっていたかもしれません。
「ん、左手の小指が少し動くようになったね、怪我で千切れてた部分が少しくっついたのかな」
「ええ、完全に治るのは次の歪み直しの湯になりますね、あの湯は本当にすごいですよ、怪我の後遺症も鎧や装備に圧迫されて歪んだ肉も骨も全部治りますから」
そんな隊長は相変わらず、仏頂面で傷が消えた身体の感覚を、腕を上げたり下げたりして冷静に確認していました。
本当に、どこまでも隊長は隊長です。
「それでは9階層へ向かいます」
あいかわらずひたすら長い階段を下りていった先には、どこまでも平坦な草原が広がっています。
「……飯困らずの8階みたいな階層だね、広さは?」
「一周あたりにかかる時間は、約9日です、温泉までの道のりは、飯困らずダンジョンに生えていた作物を植えることで目印にしていますので、草原に生えている草以外の植物の道に沿って進めば2日でたどり着きます」
……まあ上空から見渡した高度と角度と壁までの目算から算出してもらった距離で言っているだけで、実際に一周してみたことはありませんが、たぶん9日で回れますよ、たぶん。
こんなこと正直に言ったら怒られそうですが、実際に一周する意味は全くないじゃないですか。
「なんだって? その広さで、この草原の辺鄙な場所にあった温泉をどうやって最初に見つけたんだい?」
「私が仕えているナウサ公爵家のご令嬢であるアウフ様が、ここで気球を組み立てて上空から望遠鏡で発見する方法を提案されました」
「気球か! はー、たしかにここはダンジョン内で風も吹いていないし、上空もたっぷりある、その娘……やるねぇ」
「飯困らずダンジョンの作物をこちらに植えて、温泉までの目印にすることを提案したのもアウフお嬢様です」
「へえ……」
トウジ隊長が、素で感心したような顔をするのは初めて見ます。
「気球の製作には、過去に第1部隊が持ち帰った、強靭な糸ダンジョンの耐火性の布と糸を大量に使わせていただきました、この階層の温泉を発見できたのは皆様のおかげでもあります」
「ふふふ……いいねいいね、そうやって有用に戦利品を役立ててくれていると私達も仕事のしがいがあるというものさ、ナウサ公爵殿のご令嬢さんだっけ? いいお嬢さんだ、礼を言っておいてくれ」
アウフお嬢様の能力がトウジ隊長にも認めていただけたようで何よりです、私も嬉しいです。
「ではここで一度食事にいたしましょう、索敵が容易で比較的安全な階層ですし、何よりここから温泉まで2日かかりますから」
戦闘は第1部隊の方々に任せていますので、私達はほとんど荷物運びと道案内みたいなものです。
水風呂から汲んだ水の重さを減らすためにもだいたい、9階層入口付近で食事にする事が多いです。
入口付近に植えてある作物で実っている物から、適当に煮込めば美味しいものを選び、ざく切りにしたあと無造作に鍋に投げ込みます。
そこに米と水を入れて、コショウをうんと利かせた干し肉も細かく刻んで入れて煮込みます、はちみつ瓶につめこんできたラードも入れます。
ダンジョン作物はとにかく成長が早いのです、植えてから数週間ほどしかたっていない作物でも、もう十分食べられるサイズに実っていますので探索中の食料として十分に使えます。
「こちらは生でも食べられますので、煮込み終わるまでこれを食べているのもよろしいかと」
「なんだい、このまっ黄色なブツブツまみれの気味の悪い実は……?」
隊長はトウモロコシの事を言っているのだが、この場にいる誰もトウモロコシの事など知りはしないし、ヴィヒタも説明のしようがない。
これは、ダンジョンで取れる謎の黄色いつぶつぶの実であってそれ以上の事は誰にもわからないのだ。
「……わかりません。 でも、美味しいですよ」
みんな訝しげに口をつけますが、一口食べただけで、一気に全員の目が見開きました。
そうなんです、美味しいのです、おかしいくらいに。
今の飯困らずダンジョンに生えていた作物で作った料理は、これまで人生で食べた美味しいものの順位を毎日のように塗り替えてきて怖いのです。
早々と食べ終わったあと、自主的にもう一本もいできて二本目を食べ始めている人がたくさんいます、あの、煮込み料理を今作ってるんですけど……?
「私達が戻ってきた時の歓待パーティでも、新しく飯困らずダンジョンから取れたという作物で作られた、恐ろしく美味しい食事の数々が出てきたが……こんなものが見渡す限りに実っているというのかい」
「そうですね、飯困らずダンジョンでは今は、美味しいパンやはちみつやコショウなども出てきて、9階層にはこういった謎の美味しい作物がわんさかと生えていますから」
「その無尽蔵の食料を国を支えるほど大量に持ち帰るには、あの長い階段がどうしても問題になるね……あんたのところの賢いお嬢様は何かアイデアは出していないのかい?」
……ユーザ陛下と同じ事を言っています、この無尽蔵の食料が生み出すであろうわかりやすい巨大な国益の前には、この絶対的な合理主義者であるトウジ隊長ですら目が眩んでしまうもののようです。
というか、アウフお嬢様以外に、無限の食料の存在を国家の未来の危機と捉える人間がいるのかという気もしますが……。
「ええ……お嬢様はこう言っておられました」
私はお嬢様のお考えをトウジ隊長に話しました。
無尽蔵の食料を手に入れ、農業という研究を放棄してしまったセパンス国のはるか未来の予想を。
説明を聞き終わったトウジ隊長は、しばらく唖然とした顔になり、そしてしばらく考え事をしたあと、こう言いました。
「……ヴィヒタ、あんたが公爵邸でそのお嬢様をお守りしていると言ったね?」
「え、はい、アウフ様以外にもナウサ公爵家のご令嬢は基本私が担当ですが……」
「そのアウフ様とやらを最優先で守りな、その娘は絶対にセパンス王国に必要な存在だ」
トウジ隊長は真面目な顔でそう言いました。
……なんてことを言うんですか。
それってアウフ様か、アウフ様の姉上様のどちらを救うか秤にかける決断を迫られる状況になった時、躊躇せずアウフ様を選べってことでしょう?
私はその冷たく冷酷な考えに、ムッとした気持ちになるのを抑えられませんでした。
ですが、強く反発することも、反論をすることもできませんでした。
これまでの実績を踏まえて合理的に考えてしまうと、それがセパンスの国益に繋がるのは、私自身否定することはできないのですから。