カオス
ここしばらくのセパンス王国の状況は、言葉にするとカオスという他なかった。
飯困らずダンジョンに突如現れた、パンやはちみつやコショウの取り扱い、9階層に突如現れた大量の農作物。
温泉ダンジョン11階層の、極上の肌が手に入る湯と、そこに行き着くまでのアスレチック運動場。
冒険者や商人のみならず、平民に至るまで、飯困らずダンジョンの中は、人がごった返しになり、獲物のモンスターを奪い合い、低層エリアでは喧嘩や暴動が発生し続けた。
王宮近くの広場に作られた運動場では、騎士のみならず、貴族の娘や富豪の娘、中年の貴婦人から女王陛下に至るまでが、わけのわからないアスレチック遊具を狂ったようにぐるぐる回り続ける特訓をしている奇っ怪な光景があった。
パンやはちみつの売上でそれなりの収益を得た貧民たちが、新しい服や靴を買い揃えだし。
ある程度、戦闘力のある者は、コショウを求めて、さらに地下に潜るための武具を買い始める。
突然の需要拡大に、服も靴も武具も供給が追いつかず、どの店でも売り切れが続出した。
服や武具が買えないなら、酒だ、女だ、温泉ダンジョンの1階層の湯だ、とみんな好き放題に手に入れた金を使い回った。
セパンス王国の歓楽街は日夜、満員御礼の大騒ぎ状態となり、まさに超好景気のバブル状態となり、とうとう酒も供給が追いつかず不足しはじめ、街でも暴動が発生しはじめた。
「暴動鎮圧は将軍直属の騎士団に任せる! あと買い集めたはちみつとコショウを他国に売りさばいて得た金で、大量に布や武具を買い集めろ、今後いくらでも需要は増える、瓶は他国に売るな!別の容器に詰め替えて売れ! わかったな、以上!」
ユーザ女王陛下は、アスレチック場を汗だくで回り続けながら、そう命令した。
「えー……それで、9階層に大量に現れた農作物の数々は」
「うるっさいわ! 知らん知らん! なんでもかんでもわらわに聞くな! よきにはからえじゃ! そんなことは農業担当の大臣にでも言え!」
陛下が投げやりに叫ぶその周辺では、アスレチック場を一周も出来ずに、疲れ果ててへたばった貴族の娘や、貴婦人のおばさんが汗だくでトドのように転がっている。
本来ならば、護衛たち!何をしているのです? 私達をもっとサポートするザマス! と、グダグダ文句をつけてくるような手合いなのだが。
すぐそばで女王陛下が文句を言わずに、汗だくで動いているため、傲慢な貴族たちも文句を言える状況ではなかった。
ユーザ陛下としては、こんな足手まといのゴミどもをいちいち深い階層まで連れていけるか!
11階層へ連れて行く合格基準は厳しくしておけ! と事前に命令をくだしていたのだ。
なにしろ、今の温泉ダンジョンの探索費用は、こいつら貴族共から相当の額が捻出されている。
女王が温泉に入りに行く際の、大規模な護衛団に私達も付き添わせてくださいと言われると、もはや断れない状況にある。
6階層の潤いの湯まで連れて行くだけでも、足が痛いもう歩けないとピーピー泣き叫んで、へこたれて進行を妨害するような連中だ。
11階層の温泉まで、こんな奴らを連れて行かねばならぬなど、考えるだけでゾッとする。
ゾッとするが出資金を出してもらっている以上、無下にすることも出来ない。
だからこそアウフ嬢が提案した、その階層の湯に行けるまでの体力を持たないものは連れていけないという許可制を認めたのだ。
そんなわけで今、周りの貴族を納得させるためにも、女王陛下みずから、汗だくでぐるぐるとアスレチック場を回って見せているのである。
結局、11階層を実際に回る時に必要になる技能だ、なんにしろ、やるしかないのだ。
そのついでにこいつら、足手まといを置いて行けるのなら願ったりかなったりである。
「はあ はあ はあ……30周、回ったぞ! これで、11階層にわらわは挑んでも良いのだな?」
「は……はい。 大丈夫かと思われます、陛下」
「ふう……手に豆ができて潰れるなど、いつ以来か。 だが、1階層の湯を張った浴槽に浸かれば、こんなものすぐきれいに治る、いい時代になったものじゃ。
そこで転がってる者たち! いつも通り、6階層の湯にまではついてくることは許可する。
だが11階層の湯まで行きたければ、ここを30周できる体力をつけてからだぞ! よいな!?」
汗だくでへたばってる、足手まといの貴族の娘達にそう告げると、ユーザ陛下は満足げに、城に用意されている浴槽へと向かっていった。
公爵邸ではアウフ嬢が、コショウ瓶の上に付けられた未知の材質で作られた蓋を興味深く眺めていた。
粉一つ漏れることのない、その精密な作りの蓋をうっとりと観察していると。
ヴィヒタ副隊長が、飯困らずダンジョンの9階層から採取されたという、数々の作物を持って、公爵邸に帰ってきた。
「これが、9階層で穫れるという作物の数々ですか? ヴィヒタ」
「はい、アウフお嬢様、いくつかは見知った穀物や果物ですが、見知らぬ作物が多いようです」
麦や米はわかる、わかるが一房についている穀物の量が非常に多く、粒立ちもとても大きい、普段見慣れているものより、はるかに品質が良さそうに見える。
芋類は芋類だというのはわかるが、見慣れない品種が多く、食べてみないことには味の想像がつかない。
トウモロコシなどに至っては、彼女たちにとって、全く見たこともない未知の作物である。
「味は?」
「食べた者からの話によれば、どれも非常に美味しいということです、もしこれらを地上で栽培できたなら、確実に農業に革命が起こるとも言っております」
「ふーん……。 でもダンジョン産の植物は地上では育たないのよね」
ダンジョンの中に咲いている綺麗な花や、素材になりそうな植物を持ち帰って、地上で育ててみる、という実験は世界各地で行われている。
しかし、ダンジョンの瘴気が生み出した植物は、どうにも地上の土と水では育たないようで、地上での栽培に成功した例はない。
「そうですねえ、一応、例外が起こる可能性も考えて、一度、栽培の実験はしてみるようですが、おそらく無理でしょう」
「…………………。」
「お嬢様?」
アウフは芋を手に、じっとそれを眺めながら何かを考えていた。
「……あのさ、ヴィヒタ。 この芋、温泉ダンジョンの9階層に植えたら育つと思う?」
「……え?」
「同じようにダンジョンの植物を、別の国のダンジョンに植えての栽培実験をしてみたケースはあるみたいだけど、それもうまくいった試しはないわ、他所のダンジョンの植物は異物とみなされて吸収されてしまうの。
でも、飯困らずダンジョンと温泉ダンジョンは、何かしらの繋がりがあるダンジョンだと思う。
その場合でも、同じ9階層の作物は異物として取り扱われるのかしら?
もし異物扱いされずに栽培が成功したのなら、温泉ダンジョンの9階層にも食料調達を可能にするエリアを設置できるということよ」
「はあー……。 それがうまく行けば、携帯食をずいぶん減らせますのでありがたい話ですね」
「ヴィヒタ、11階層の再調査は来週の予定よね?」
「……はい。 大所帯で全フロア虱潰しの探索予定です。 今から気が重くて仕方がありません」
「じゃあ、苦労ついでに悪いんだけど、この芋とか種をいくつか、9階層に埋めてきてくれるかしら?」
「埋めるだけでよろしいのですか?」
「ダンジョンの植物って、水まきとかのお世話が必要とも思えないから……。 埋めるだけでいいんじゃないかしら?」
「たしかに、ダンジョン内部は雨など一生降らないのに、草原エリアならあたりまえに草が茂っていることを考えると、常識的な農法で考える事に意味はないのかもしれません」
「逆に言えば、埋めるだけで勝手に育ってくれなきゃお手上げね、どうお世話すればいいのか見当もつかないから」
ダンジョンの超常現象は、人間が理解できる範疇を超えている。
埋めて育つのなら育つだろうし、埋めてどうにもならなければどうにもならないだろう。
おそらくこの件に関しては「ダンジョンの中の意思」の気分次第だと、アウフは考えている。
故に、こちら側のアプローチは芋を埋めることで、こちらのダンジョンでも食べ物を育てたいという私達の意思をダンジョンに示すだけだ。
ダンジョンの目的で、確実に一つはっきりしていることは、より深い階層に人を呼び寄せたがっているということ。
温泉ダンジョンの9階層で食物を栽培するという計画は、深い階層まで人を呼び込みたがっているダンジョンの目的と利害が一致する。
この計画にダンジョンが応えてくれるのならば、そして応えることが可能なのであれば。
温泉ダンジョンの意思は、作物が育つように、とり計らってくれることだろう。
そうアウフは考えていた。