アウフお嬢様大興奮
「お帰り、ご苦労さま、ヴィヒタ」
「はい、只今戻りましたお嬢様」
11階層の探索から帰るとアウフお嬢様が庭でお茶にしておりました。
見慣れない四角いパンがテーブルには置かれています。
「……それが、飯困らずダンジョンで新しく出てくるようになったというパンですか?」
「ええ、ヴィヒタも食べてみる?」
「はい、ありがたく頂かせてもらいます」
一口食べたそのパンは、信じられないほどにふかふかで、とても奥深い味わいで……飲み込むと同時に、芳醇なパンの香りが鼻腔を抜けます。
「はあああ~……。たしかに……これは、美味しいですね、みんなが騒ぎにしているのもわかります」
「ヴィヒタの方も随分成果があったようね、肌がおかしいくらいに、綺麗になってるわよ」
「え? ああ……ははは……。 みんな……行きたがりますよね、これ」
「ユーザ陛下なら、即、お動きになられるでしょうけど、その様子だと11階層はしんどかったのかしら」
「ええ、それはもう……しんどいなんてレベルではありませんよ」
私は、11階層のひたすら疲れるエリアについてお嬢様に話しました。
アウフお嬢様は、ダンジョンの研究者でもありますので事細かに詳細を聞かれます。
「……なるほど。 女王陛下を連れていけるのはかなり先になりそうですね」
「わかってくれますか。 まず大勢連れていくことになるであろう、他の護衛たちも、下見として一度完走させねばなりません。
そして安全の確保のために、11階層周辺はしっかりと調査しきらねばなりません。
11階層はまだ温泉を見つけただけで、我々は体力の限界ゆえすべてを調査しきれず帰還したため、周辺の調査はまだ終わっておりませんから」
「その運動の強制地帯は、護衛対象もある程度の運動能力が必要なんじゃないかしら……?」
「サポートはしますが、限界はありますからね……。 ユーザ陛下ならばそれなりに武道の心得もあるお方なので問題はないと思うのですが」
「私みたいに、ちょっと走るだけで息切れするような、か弱い護衛対象じゃ無理よね。
……とりあえずダンジョンの構造を模した運動遊具を広場に作って、護衛者のサポート訓練をすることと。
あとは、護衛対象も、その遊具を基準値以上に動けない者は除外する、許可制にしておいたほうがいいんじゃないかしら?」
「……納得しますかね?」
「命のかかっている場所なのですから、納得させるしかないでしょう、文句があるなら鍛えればいいだけです。
私だって今、鍛えているのですから」
「おお、進捗はいかがですかお嬢様」
「そろそろ、2階層になら行ってもいいかなって……」
……つまり数時間ほど歩いていられる程度にはなってきたと。
自分の体力を理解せずに、欲望のまま6階層を目指して、足が痛いもう歩けないと、4階層で座り込んでしまうような、軟弱な護衛対象が多い中。
アウフお嬢様は非常に聡明なお方ですので、謙虚な自己判断をされるので助かります。
ええ、それはもう、本ッ当に助かります。
数日後。
広場に木造りの巨大階段や、腕でぶら下がって移動する遊具などが建設されはじめました。
その様子を見ていたユーザ陛下がおっしゃられます。
「これを、どのくらい動ければ11階層に挑めるのだ?」
「たとえば、あの巨大階段などは、我々が木箱で補助の足場などを準備するなどして、なるべく楽に攻略していただくカタチになるかと思われますが……。
そういった補助をした上でも、ここを半日ほどぐるぐる回り続ける程度の体力は必要になるかと思われます。」
「…………半日」
陛下がうんざりした顔になられました。
うんざりとした表情の中にも、わかったよ、その肌を手に入れるためならやってやるわ!クソッタレ!!
といった気概も見えるので、無理無理、やめじゃやめじゃ、とは絶対言ってくれなさそうです、護衛確定です。
「ユーザ陛下!ユーザ陛下はおられますか!」
遠くから伝令が、慌ただしくかけつけてきました。
「なんじゃ、何があった」
「はい、飯困らずダンジョンの方から、また新しい食材が出現しました」
そういって伝令は、綺麗なガラス瓶を取り出しました。
綺麗です……綺麗すぎます。
全くの無色透明で、何一つひずみのないその瓶は、それそのものが一つの芸術品のようです。
「……中身は、なんじゃ」
「はちみつでございます」
陛下が、ものすごい複雑な顔になられました。
はちみつという、高級な嗜好品が、今後バンバン出てくるようになるであろうという、単純な儲けの算段と。
究極の甘味として商人たちと結託し、製造秘匿や販売制限をして、王家が管理する貴族の超贅沢な嗜好品としての既得権益を得ていた構造が、音を立ててぶっ壊れたことに対する憤り。
とにかく、喜べばいいのか、嘆くべきなのかよくわからない感情になっておられるようです。
しばらく頭を抱えて5分ほど押し黙ったあと。
「護衛はもうよい、わらわは少し王城に戻る……。 おい!伝令、商人共を城に呼び出せ!」
と言って、城に帰ってしまわれました。
護衛する陛下がいなくなってしまわれたので、私もナウサ公爵邸に戻ることにします。
館に戻るとアウフお嬢様が興奮気味に、先ほど見せてもらったはちみつの瓶を眺めておられました。
「ああっ!ヴィヒタ! みてよこれ!この瓶!」
「ええ……私も先程見せていただきましたが、瓶の方ですか?」
「そうよ! みてよこれ、上の蓋の部分に、ガラスでネジ状の出っ張りを作って、そこに精密に噛み合うように薄い金属の蓋を回して閉じてるんだけど! どうなってるのこれ? こんなシンプルな構造でどうやってここまでの密封性を? 水を入れて閉めてひっくり返しても、一滴もこぼれないレベルなのよ?
構造や理論上ではわかるけどありえない! この機構を実現するのは、もはや精密さの芸術よ?」
お嬢様が早口でまくし立ててきます。
学者気質のお嬢様にとって、蜂蜜は蜂蜜でしかなく。
フタ部分の精密な構造こそが興奮材料のようです。
手元にはフタ付近の出っ張り部分や、蓋の裏側などを丹念にスケッチした絵すらあります。
私は、無色透明で、歪みのないきれいな瓶だなー、くらいにしか思っていませんでしたが。
「先ほどユーザ女王陛下が、その中身の件で話し合いに向かわれましたが……」
「え? ああ、中身ね、うん、あれは王家がそれなりの金額で買い取る事を、貧民たちに素早く知らせておくべきね」
「どういうことです?」
「そうしないと、間違いなく貧民を騙し脅して、安価で買い叩こうとする輩な商人が大勢発生するわ。
それを放置してると、蜂蜜の価格信用が揺らいで、いずれ価値が暴落するから、王家が最低価格を保証して価値を保っておかないと……。
商人には、安く買い叩こうとするんじゃなくて、しっかり高級品としての価値は保ったまま、他国と交易して外貨を稼いでもらう思考に誘導しなきゃダメよ。
まあ、それはいいんだけど、この瓶の口の滑らかさと出っ張りの丸み、この丸さでこの蓋の密着性、気密性……。
すごいわ……。何度、開け閉めしても飽きないわ。 本当にすごい、素敵。
瓶よ、この瓶を大量に回収するためにも、王家が総出でこの瓶を買い取らないと……ブツブツ」
うっとりと蓋を眺めながら、はちみつについての取り扱いは、とりあえず言っておこう、と、いった感じで、お嬢様はご指摘なされました。
お嬢様のご指摘は、のちほどユーザ陛下にも進言しておくことにしましょう。
「私の勘だけどね、ヴィヒタ。
おそらく温泉ダンジョンの意思と、飯困らずダンジョンの意思は、密接に連絡を取れる関係にあるんだと思う。
そして、温泉ダンジョンの意思が、飯困らずダンジョンの意思に指示を始めたんだと思うわ。
この急激な変革はそのせいよ」
「ダンジョン同士が連絡を?」
「どういう関係性なのかはわからないんだけど、親子とか、兄弟にしては変なのよ……。
今のところ彼女と彼氏が一番適切な気がするのよね……? だから9階層もそのせいで……。
でもダンジョンに、人間の関係性を当てはめて考えるのも早計だしなぁ……ブツブツ」
「????」
お嬢様が何を言っているのかわかりません、ダンジョンですよ? 彼氏彼女?
何を言っているんですか?
「とにかく! 温泉ダンジョンの意思があちらに介入してきた以上、近いうちにまた新しい食材が出てくるようになると思うの。
温泉ダンジョンのこれまでの思考の方向性から考えると……社会が根底から変わるようなものを平気でね。
これから、はちみつなんて目じゃない騒ぎになっていくと思うわよ」
「はあ……」
なんだか、お嬢様の思考は、あまりにも遠くを見ているせいで、時々何をおっしゃっているのかわからなくなります。
そして、広場に建築中の、11階層探索練習アスレチック場が完成しかけた頃に。
また新しい食材が、下層でドロップするようになったという報告があがりました。
今度は、塩コショウが出てくるようになったという話です。
はい、やばいです。
ちょっとどころじゃなく、近隣諸国を巻き込んだ話し合いになりそうな予感がしてきました。