トレーニング階層(強制)
11階層は、10階層ができた数日後にはすでに作られていたのだが.
実際に発見されるのは、かなり後になってからの事であった。
マスターが懸念した通り、効果不明の湯にわざわざ最下層まで入りに行く者は皆無に近かった事と。
初日に500名近い騎士が、隅々まで探索を終えている直後に、わざわざ温泉がある場所以外のルートを探る必要性もない。
9階層の、歪んだ身体が治る湯に入りに行くついでに、10階層の効果不明の湯にとりあえず入りに行く者が、全くいないというわけでもなかったのだが。
あえて、温泉から離れた別ルートを探しに行く者は誰もいなかったからだ。
そもそもユーザ女王陛下も、一ヶ月に一度、新しい階段が出現してないか探索に行くだけで良いと命令していたのだ。
そんなわけで11階層に向かう階段が発見されたのは、1ヶ月後の再調査のときであった。
「温泉から階段までの距離はかなり近いようですね、これでしたら一応、毎回10階の温泉に寄ってからの進軍で問題はなさそうですね」
「効果は、あいかわらずわからないがな……」
「だからこそ入る必要があるのですよ、そうしないと、いつまでたっても効果はわかりませんし」
「だいたいここに来るまでにすでに汗だくなのですから、正直ただのお湯だっていいくらいですよ……」
……隊長は少々不気味な予感がした。
何の効果があるのかわからない温泉に、何度も何度も入らせる、普通なら罠を疑ってかかるべき内容だ。
ただ明らかに悪辣な効果を出せば、ダンジョンに対する信頼が失われ、探索者が激減する。
人の欲を満たすダンジョンは、基本的に人を呼び寄せたがる存在なのだ、流石にこの温泉が毒だったりするようなことはありえないだろう。
多少の不気味さは感じつつも10階層の温泉に、皆で入って休息を取ったあと、本格的な11階層の攻略準備に入った。
11階層はとにかくしんどかった。
全身を使わないと登れないような巨大で長い階段を登らされ、重たい扉を何十枚も担ぎ上げくぐらされ、天井に掴まり腕の力だけで移動しなければならない箇所など。
とにかく身体をメチャクチャに使わされ続けた。
まるで騎士になるための訓練生の時代に味わった、地獄の特訓を思い出す内容だ。
険しい山中で大荷物をかつぎ、ひたすら何十キロも不眠不休で行軍し続ける、極限状態を想定した、あの悪辣な地獄の訓練の日々を……。
すでに全員、汗まみれで、顔も虚ろで息もあがっている。
数名は壁に身体をついて、ゲロを吐き戻している始末である。
「これはいかんな、予定外だが一度休息を挟む! この状態で敵に出くわすのはまずい!」
これが実戦さながら地獄の訓練なら、へばっている者に激を入れ、さらに極限まで肉体と精神を追い込むわけだが、それは敵に襲われない訓練の状況だからこそできる行為である。
本当の実戦では、極限まで体力を使ったりせず、緊急事態に備えしっかりと休息を取って動くべきだ。
「はあ……はあ。 ひどい階層ですね……? 隊長。」
「ああ、なんなんだ、このダンジョンは……? 9階層で急にメチャクチャな広さを用意してきたかと思えば、10階層は拍子抜けの普通のダンジョン」
「そしてこの11階層の、トレーニングを強いてくるような階層……ですか、たしかにあまりにもメチャクチャで何がしたいのかよくわかりませんね。
……ですが」
「ですが……。 なんだ?」
「……アウフお嬢様が言っておりました、このダンジョンは人間が作っているような意志を感じる。 と」
「……最近提唱され始めた、一部のダンジョンに人間の意志が乗り移ったのではないか、という説か?」
ダンジョン研究家達の中で提唱されはじめた珍説だ。
どう考えても人間が作っているとしか思えないようなダンジョンが、一部で出現しはじめている、と。
「はい……。 この温泉ダンジョンは明らかに、雑な報酬を出す一般的なダンジョンとは違い。
人が何を喜び、その報酬を与えられた人は、のちにどう行動するか? といった人間の文化風習まで踏まえた欲の刺激をしてきているタイプのダンジョンです」
「ふん、たしかにこのダンジョンは報酬である温泉効果による、欲の刺激に関しては申し分ない内容だと思う。
だが、このヘンテコなダンジョンそのものの作りは、一体なんなのだ?
たまには9階層のような広々とした空間が欲しいでしょ? たまにはしっかり運動もできて楽しいでしょ? というダンジョンの意思が、こんな馬鹿げた作りにしているとでもいうのか?」
「……ですよねえ。 人を呼び寄せたいなら、こんな変なダンジョンにはしないでしょうし、私達を殺して贄として吸収したいのであれば、それはそれで、こんな疲れるだけで安全な作りにはしないはずですよね?」
隊長達はダンジョンについて、あれこれ考えるが。
9階層は、ダンジョンコアの話をそらすため、ご機嫌取りに適当に作った階層であり。
11階層は、女騎士をレベリングするために作られた階層である、という真相にたどり着くことは出来なかった。
もっとも現段階の情報で、そんな馬鹿な答えにたどり着く事ができたら変人である。
「よし……。 みんな息は整ったか? ……では、行くぞ」
「「「……はい」」」
隊長の出発の号令に対する部下の返事には、もはや元気も覇気もまるでなかった。
それからも地獄のような運動を強いられ続けること3日、騎士たちはようやく11階層の温泉を発見することが出来た。
「あ、……あああああああああ。 温泉です……隊長。 温泉ですうううう!!!」
「そ……そうか、みんな……よくやった。 よくやったぞ」
「は……はは。 ははあ~~~………」
騎士団員は皆、薄い笑いを浮かべながらへなへなとその場に崩れ込んだ。
温泉! 美容! 効果は何? 早く入りたいっ!
いつものような、温泉を発見した時ににじみ出る、そんな喜びがまるで感じられない。
今の騎士たちの心にあるのは、やっとこれで帰れる、という安堵の気持ちである。
美容も美しさも、もうどうでもいい……早く帰りたい。
そう思わされたのは、このダンジョンを探索して初めての経験である。
9階層はまだ、いつか見つけてやるという気持ちが心に残っていた。
「では、ルミドス……頼んだ」
「……はい」
ルミドスと呼ばれた騎士は、鎧を脱ぎ捨て裸になり、発見した温泉に入っていく。
彼女は32歳の、この第2騎士団では最年長の騎士である。
見た目こそ4階層の3歳若返る湯で若返っているため、20代後半の外見をしている。
過去に4階層の3歳年齢が若返る湯に、最年少の16歳の騎士団員が入ってしまい、幼い子どものような見た目になってしまって以来、新規の湯はまず最年長の者が入ることになっている。
いきなり10歳若返る湯などに10代の騎士が入ってしまうと、とんでもないことになってしまうからだ。
「はああああ~……。 気持ちいい~~~、やばいわ~~~。ああ~、生き返るわ~~~」
ここまでの道中、体力と気力を限界まで使わせる、アスレチックじみたダンジョンの探索を3日も強いられて、体中疲労と汗でガタガタである。
そんな彼女にとって、この温泉は本当に心の底から染み渡った。
「ルミドス……何も無いな? 大丈夫だな? 私達も入っていいよな??」
隊長ですらもう、我慢できない、早く入らせろという気持ちが抑えられない様子だ。
「はい、大丈夫です……隊長。 しかも、この温泉の効果……はっきりとわかります。6階層の潤い湯の強化版ですよ、これ。」
自分の肌を見ればわかる。
これまでも6階層の湯に何度も入り続けている私は、30代の女性が持てる限界レベルに美しい肌が手に入っている。
だが、この11階層の湯は、次元が違った。
10代の乙女にしか許されない、若さという特権でしか得られない肌質にまで、自身の肌が改善されているのがわかる。
たとえどれほど狂ったように、美容に気を使い続けている貴族や王族であろうと。
30代で、この肌を維持できている者は絶対に存在しないと断言できる。
それほど劇的なる肌の改善。
ルミドスは立ち上がり全身を騎士団に向けて見せる。
年齢が若返ったわけではないが、その肌から醸し出すされる若々しい雰囲気は、まるで18歳の少女の裸体のようであった。
しばらく、仲間の騎士達は呆然と言葉をなくし、その若々しく生まれ変わった肌を眺めていたが。それはほんの一瞬。
彼女の肌を見た途端。
消えた。
これまでの苦労や疲れなど、いっぺんに消えてなくなった。
そして皆一様に、鎧を脱ぎ捨て、我先にと温泉へと向かっていった。
「「「「ああああああああ~~~~~~」」」」
温泉広間に女騎士達の嬌声が響き渡る。
異常な探索で溜まった疲れと汚れを洗い落とす事と同時に、己の肌が信じられないレベルに若返っていく2つの喜びに、彼女たちの精神は喜びの絶頂に達した。
「ああっ……。ああっ……。 来て良かった、来て良かったよおおおおおお!!」
「はぁ~……。 退却の決断をしなくてよかったですううううう!!」
「そうよ! これ! これよこれ! こういう効果をずっと待っていたのよ!」
「わたし骨折で肩が少し変な方向に曲がってたから、9階層の歪みが治る湯もすご~く助かったけど、でもやっぱりこれよね~~~、お肌もちもち~」
「ああ……幸せ……。 幸せだわ」
「んあああああああ、疲れが、疲れもすっ飛んでいく……」
「はぁ~、ほんと、このお湯、疲労回復効果もありそー」
「ホントだ、疲れもすうっと消えたわ、嬉しすぎて疲れが消し飛んだのかしら?」
ちなみに、これは気のせいではなく、この階層の湯には肌改善以外にも、疲労の回復効果も混ぜ込んである。
そのほうがトレーニング効果が高くなるだろうとのマスターの考えからだ。
11階層の温泉にはいつまでも女騎士達の幸せの声が鳴り続けた。
「はぁ~……最高。この湯の報告なら、ユーザ陛下も満足なされるはずよ………」
「………あ!!」
しかし、その言葉とともに、みんなあることに一斉に気がつく。
そうだ、この階層の温泉は最高だ、あまりにも最高すぎる。
ゆえに、絶対に、是が非でもここの湯には入らねばならない。
効果を報告するまでもなく、私達の肌の状態を見ただけで、目ざとい陛下なら「今すぐ、11階層の湯までわらわを連れて行け!」と騒ぐ。
絶対にだ、間違いない。
そうなると、陛下をお連れして、護衛しながら、この地獄のような階層を、また、制覇して、ここまで来る……????
いや、陛下だけではない。
一体どれほどの、貴族の淑女たちが、この階層までの案内を希望することか。
そして……。 わたしたちは……。 これから、何回……。
いや……。何十回、この階層を登ったり下りたりしなければならないのだろうか?
「…………………………。」
そのことに気がついた途端、騎士団員全員青ざめて、絶望状態になり。
全員無言になって固まってしまった。
先程までの喜びの声はどこにいったのか、皆、お通夜のように押し黙ってしまった。
ナマリのように重苦しくなった空気の中。
騎士たちは、とても美しくなった自分の肌を眺めることで、自らの精神をなだめ。
気分を落ち着かせていた。