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公爵令嬢アウフ

「湯を持ち帰るわけにはいけないの? 私に薄暗いダンジョンの奥まで行けと言うの? 一階の湯は、今や平民にすら販売されているでしょう?」


セパンス王国、ナウサ公爵家のご令嬢であるアウフは、不満そうにそう言った。


「はい……。お嬢様……。たとえ地下の湯を持ち帰っても、地上ではダンジョンの魔力が抜けてしまい効力が失われてしまうのです。

地上から近い1階層の湯のみ魔力が抜けず、持ち帰ることができるのではないかというのが現在の説でございます。

ゆえに、2階層以降は現状では直接現地に赴いて、入っていただく以外に方法はありません」


「ちぇっ……。

1階の湯を一度使うと、誰もが魅了される……。そして誰もが深層を目指しだす……か。

随分と狡猾でいやらしいダンジョンよね……」


爺やの説明を聞いた彼女はそう毒づく。





公爵令嬢の3女として生まれたアウフは、幼き頃美しい少女であった。

しかし、全身におびただしい水疱ができる病にかかり、一命こそとりとめたものの、全身に痛ましいまでの強い跡が残る結果となってしまった。


公爵という高い身分にあるため、いじめられたりすることこそなかったが。

周囲の可哀想なものを見るような視線や、ひたすら気を使わせてしまう腫れ物扱いに、すっかり心を閉ざしてしまい。

以降10年以上の長きにわたり、自室に閉じこもり続け、社交界はおろか、人前にも出てくることはなかった。


ただ彼女は閉じこもった部屋でも、後に国や家の役にはたてるよう勉強は続けていた。

専門は主にダンジョンについてである。


国の主要産業になり得るダンジョンについて造詣を深めるのは、何も不自然なことではなかったし。

彼女自身も、ダンジョンの生み出す超常現象に近い利益に、自身の肌を治す望みをかけていたという事もある。


そして今、何の因果か。

この国に、私が待ち望んでいた奇跡がおこるダンジョンが、偶然にも生まれたのだという。


お父様は、私のために騎士団に命じ、1階の湯を大量に運んでこさせた。

これまでも、肌が治りそうな薬の噂を聞くたびに、お父様はそれらを取り寄せてくれていた。

そのために、いつもとんでもない額の資金を払っているという噂も、耳にしたことがある。

そして結果はいつも同じ……何も変わらない。

……絶望と失望を再認識して、さらに周りに気を使わせ惨めな思いをするだけ。

今回も同じに違いない……。


そう思うと正直気が乗らなかった。

でもお父様の厚意を無下にも出来ない……。

そして私のために用意された浴槽に全身を浸す。



初日から効果は感じられた。

明らかに昨日までとは違う肌の状態に私は目を見開いた。


そして、一週間のあいだ何度も繰り返し入り続けた結果、手足の状態が綺麗とは言わずとも、一般的とよべる状態にまで戻った事が確認できた。

そして、私は恐ろしくて、今まで何年も近づくことさえ避けていた鏡の前に立ち。

自分の顔を映し出した。




私は泣いた。




何年もの間心の中に詰まっていた何かが弾け飛び。

私は長い間、本当に長い間。

鏡の前で大声を上げて泣き続けた。






お嬢様……本当によかった。

よかった……今回は本物だったんだ……よかった。

お父様……本当にありがとう。

アウフ!本当に治ったんだ!おめでとう!

ありがとうお姉様。


そんなこんなと繰り返される、お涙頂戴な家族愛、感動シーンの連続も。

まあ、当然のことながら数日もすればすっかり落ち着く。


今のアウフお嬢様は、やっぱりまだお姉様と比べると肌ボコボコじゃないの……。

みたいな感じに不満を漏らし。

2階層の湯は持ち帰れないの? と、爺やに問うていたのだ。


持ち帰るのが無理だと知るやいなや、ダンジョンの奥に今すぐにでも行きたい! と、思ってしまうのは山々だが。

10年近く引きこもっていた深窓のご令嬢には、さすがに少々ハードすぎる案件だ。


ダンジョンの2階層までなら比較的安全と言われているとはいえ。

めちゃくちゃ好戦的に噛みついてくるタヌキやイタチが何匹も襲ってくる、ろくに整備もされてない標高200メートルくらいの、山の頂上まで登ってこい。

と、言われるのと同じくらいの難易度と危険度はあるのだ。

武装した護衛数名程度は連れていかないと普通に死んでしまう。


そんな様子を使用人たちは心底嬉しそうな目で見ている。

10年近く心を閉ざし塞ぎ込んで、自室に閉じこもっていたお嬢様が、人前に平然と姿を現し、室外で使用人と会話を交わし、お肌のためにダンジョンの奥に行こうか行くまいか、などという可愛い内容で悩んでいるのだ。

微笑ましい光景以外の何ものでもない。



しかしこの時アウフは、周囲が思う以上に深く温泉ダンジョンについて思考していた。


ダンジョンとは人間の欲を刺激し人間を深部に誘い込み殺す存在。

この温泉ダンジョンも、ご多分に漏れずそういったたぐいの物ではあるのだが、このダンジョンはあまりに人間の欲の操り方が巧みすぎる気がしたのだ。


明らかな効果のある美をばらまき、さらなる美を求めるにはダンジョンの奥に、効果を求める者みずからが行かなければならない。

そして奥で手に入れた美を、淑女たちは社交界で見せびらかし、さらに多くの貴族をダンジョン奥地に取り込ませる欲を煽る。


この手の意識誘導は、服飾や装飾の世界でも似たようなものではあるが。

このダンジョンのいやらしいところは金や権力だけで解決できないことだ。

すばらしい服や宝石が手に入るようなダンジョンなら、ただ金で買えばいいだけのことだ、危険は冒険者に丸投げできる。

しかし、このダンジョンは本来安全な場所に引きこもっている淑女……。

いや、この国の女王陛下でさえも、危険なダンジョンの奥まで引きずり込んでしまう。


まるでお父様にインチキな薬を売っていた、やり手の悪徳商人たちのように。

欲しいを通り超えて。

これがないと困るから買わざるを得ない。

これを娘さんのために手に入れようとしないなんてひどい人だ。

といった具合に、世間体という名の強迫観念で、相手の心を縛っていくように誘導し、大金をせしめていくような欲の捕らえ方だ。

今はそこまででもないが、いずれそうなる未来が見える。


このままではいずれ、美しくなりたいから奥へ行くのではなく。

美しくなっておかないと、貴族の令嬢として恥ずかしいから奥へ行かねばならない。

といった風に、人の意識が塗り替えていく時代が来ることだろう。

まさに悪徳商人のやり口である。



普通世界に点在するダンジョンの大半は。

俺のダンジョンは金が出るぞ宝石が出るぞ。

だから来いよ?

といった程度の、頭の悪い意思しか感じられないのだ。


ピカピカの石があるぞ~、お前らこれもらうと嬉しいんだろ?

とでも言わんばかりに、適当に透明なだけのクズ石ばかり出てきて、時々いい宝石が出ないこともない。

そんな、アホが考えたような報酬内容が、一般的なダンジョンなのである。


この国に昔からある 飯困らずのダンジョンも。

一般的なダンジョンに、ごはんもあるよ!だから来いよ!

くらいの、幼稚な工夫がつけたされただけのように思える。




しかしここ50年ほどの間に新しく生まれたダンジョンのうち、いくつかは明らかにおかしい。


ケンマ王国に近年生まれた、宝石ダンジョンから産出される宝石は、従来の綺麗に見える石を適当に出しているだけのようなものとは違い。

明らかに、宝石の価値を理解している存在が、モンスターからドロップする宝石の内容を設定しているのではないか? と思うような内容だ。


ドルピンス王国に生まれた、糸ダンジョンのように。

地上ではどうやっても作ることの出来ないレベルの質で作られた、糸や布といったドロップ品が産出するダンジョンもある。


この国の布から作られた衣服は、現在ではもはや王侯貴族のステータスとなり、手放せない存在となっているうえ。

このダンジョンから産出された布から作られる船の帆は、質も強度も格段に向上し、ドルピンス王国の交易能力は跳ね上がった。

そして、ここの強靭でしなやかな糸で作られた弓から放たれる矢は、従来の弓の2倍近い飛距離を叩き出す。


糸ダンジョンは現在では。

文化、交易、そして戦争においてさえも、恐ろしいまでの利益と結果をもたらしている。

今では毎日のように商人が押しかけ連日高額の取引が止まらない状態だ。




このように「ダンジョンの中の意思」とでも呼ぶべき存在が、人間の習慣や文化などを理解した上で、得られる報酬を決めているとしか思えないようなダンジョンが、最近は多々生まれ始めているのだ。


おそらくこの温泉ダンジョンもそういった類の、人の文化を理解できる知識と知能を持ったダンジョンなのだろう。

……そしてこういったダンジョンは必ず国に莫大な利益をもたらす。


そして…莫大な利益をもたらす代わりに、その欲に心を囚われた人間が暴走し、巨大なゆがみも産み出し始めるのだ……。


不安な未来の想像にアウフは軽く震えた。



……それはさておき。

大事になる前に、早く2階層までは行っておくべきかしら?

それとも、整備が整って2階の奥まで誰でも気軽に行けるようになるのを待つべきか。


「……とりあえず身体は鍛えないとダメよね」


いずれこのダンジョンは厄災をもたらす。

だからといって自身の美容の欲を止めるという決断もできなかった。



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