終章
白い光のその先の世界は、窓から射しこんだ朝日が照らす、六畳一間のアパートの一室だった。床で眠っていたようで、節々が痛む。起き上がると、ずきんと頭にも痛みが走って、また床に倒れ込んだ。
大の字になって天井を見上げる。床はこんなに散らかっているというのに、天井は真っ白で、病室みたいに綺麗だった。横に目を向けると、錠剤がいくつか転がっている。もう一度身体を起こすと、テーブルの上には酒瓶が無造作に転がっていた。
「…よく、生きていたな。」
ゆっくり立ち上がると、まだずきずきと痛む頭を片手で押えながら、洗面所へ向かう。よれたスーツ。ボサボサの髪。僅かな顎の無精ひげ。真っ青な顔。鏡に映った自分は、随分みすぼらしい姿になってしまっていた。
携帯電話を見れば、今日は日曜と知ってほっと胸をなで下ろす。もう随分長く眠ってしまっていたように感じたのだ。そのまま電話帳を開けば、数少ない知り合いの名が並ぶ。そこから”母さん”という連絡先を選び、電話番号に触れた。
「……もしもし。母さん。…うん、僕だよ、トウヤ。……いや、近いうち、そっちに帰ろうと思って。…違うよ、帰省じゃなくて。
……うん。また、そっちに住みたいと…思ってさ。母さんが迷惑なら、その近くで部屋借りるし……、わっ、な、なんで泣くの。………家が、嫌いな訳じゃ、無いよ。…怖かっただけなんだ、町や、海が。……ううん。気にしないで。
…これからじゃ、遅いかもしれないけど、親孝行したいって、考えているんだ。今まで寂しい思いをさせて、ごめんね。帰ったら、父さんの墓参りに付き合ってくれるかな。…うん、……うん、ありがとう。…え?あはは、いや、夢の中に、父さんが出てきてさ。…まあ、会って、ゆっくり話そう。帰る日にまた、連絡するよ。…うん、うん。ありがとう、母さん。それじゃあ。」
電話を切ると、未だ僕の部屋を白く照らし続ける太陽から目を逸らす。その視界の先、テーブルの下には、何かを掻き殴った紙がいくつか散らばっていた。それは紛れもない、僕の遺書となるはずだったもの。
僕はテーブルの酒瓶を隅に寄せて、散らばった錠剤もゴミ箱へ放ると、掻き集めたそれをテーブルへそっと置いた。それから押入れを開けて、引っ越しの際一応持ってきたものの、使わず仕舞いだったものを詰めたダンボールを取り出す。薄く積もった埃を払うと、思いの外舞い上がって咳払いした。
「……あった。」
開いてすぐに見付けたのは、錆びた缶の入れ物。錆が引っかかって開けるのに幾分か苦労はしたが、なんとか開けてみれば、そこには経年やけの目立つ手紙と、王冠が四つ入っている。
「父さん。ヨル。…ミカゲ。」
僕はその缶へ、僕の書いた遺書を入れた。
「…僕にとって、神さまが何か、君は聞いたね。…僕はね、神さまって、自分にとって愛しくて、尊敬する人の事と思うよ。
…僕は、少なからず神さまに救われたんだ。……僕は君を、救えたのかな。」
彼の数年前の問いかけに、今更返答してみる。僕は缶の蓋を閉じて立ち上がると、窓際まで歩いた。見下ろせばアスファルトには、昨日の雨が残していった水たまりが、ぽつりぽつりと伺える。今日は、昨日の明日だった。
「何が変わったなんて事はないさ。今日はいつもと同じ日曜日だ。…それでも、少しだけ寂しくて、歩き出そうと思える今日なんだ。」
窓を開けて、生温かい風を受ける。
そうだ、きっともう明日には、夏が来る。
完
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。登場人物全てにおいて、個性豊かなキャラクターに仕上げたつもりだったのですが、やはり私の語彙力では伝わりきらない所もあると思われましたので、最後に僭越ながら挿絵を描かせて頂きました。勿論、読者様方の中で想像するキャラクター像があれば、そちらで思い浮かべて頂いて構いません。
また、ヒトとダレカのお話をさせていただきましたが、結局誰がヒトで、誰がダレカか。それには正解も事実も無く、読者様の中で推理したその答えが真実となります。救いのある話では無かったかもしれません。それでも、この話を読んだ皆さまの明日というものが、少しだけ美しく見えるよう、祈っております。
また、この話はこれにて完結となりますが、番外という形で、語られなかったある一人の登場人物の過去を載せさせていただきたいと思っております。お時間ございましたら、そちらもお付き合いください。
本当にここまで読んでいただき、ありがとうございました。