さよなら、かき氷
煙を辿るように歩みを進めれば、そこには当然、かき氷の屋台が佇んでいた。
「…ミカゲに、食材を扱う屋台の人が煙草をふかすなんて感心しない、と怒られただろう。」
「…ほう、奴の本当の名前か。」
「…いや。……まあ、そうかな。」
屋台の青年が、煙草盆の灰落としへ灰を捨て、煙管を片付ける。
「…美味しいかい?それ。」
「…いいや。」
「そうだよなあ。僕、煙草は吸わないもの。」
「形だけさ。心が落ち着く気がするだろう。」
「なんだい、まるで薬物だな。」
「…そんなものさ。」
そしてゆったりと立ち上がると、腰掛けていたパイプ椅子に立て掛けてあった日本刀を手に取った。
「…良かった。殺さずに済んで。」
「…うん。あんまり大きいもので、少し怯んでしまったけれど。」
「……申し訳ない。あれを、あそこまで肥大させたのは、俺だ。」
「分かってる。…でも、全部僕の為だった。僕を生きやすくする為。」
青年が俯いて、目を逸らす。彼はまだ、自責の念に囚われているのだ。
「確かに、貴方には随分苦しめられた。貴方がいなければ、僕はもっと自分らしく生きられたのかもしれない。
…けれど、貴方がいたから、僕は最低限、社会的存在でいられたんだ。貴方は僕を抑制するもの。僕をいつだって冷静にしてくれた存在。全ての感情を、一時的に抑え込める。…だから貴方には、神をも殺す力があった。」
そっと、青年が顔を上げる。屋台という檻から離れる時の彼らはどこか壊れそうで、この檻が僕の代わり、つまり彼らの器のようになっていたのだと思った。
「…ねえ、もし、僕が自分を…、神さまを許せなくて、受け入れる事が出来なくて…、貴方が神さまを殺すことになったら、僕はどうなっていたんだろう。」
「…さあ。来た道は前より随分帰りやすくはなっているだろう。ただ、帰ったとして、お前がまともに生きられたかは別だがな。」
その言葉にぞっとする。自我のない人間。社会的には生きやすいのだろうか。ただそれは、言われた通りに動く事しか出来ない、ロボットのようなものでしかないのだと悟った。
「…そこまでして、生きる理由はあるだろうか。」
「どうだろうか。そもそも、生きる理由を明確に持って、それを叶えて死ぬ事が出来た人間は、どのくらいいるんだろうな。」
その言葉に成る程、と思えば笑ってしまう。人間とはそんなものなのだ。
「ああ…僕の人生、本当にくだらなかった。」
笑う僕とは対照的に、彼は至極苦しげに、俯いたままでいる。
「……仲直り、しようよ。」
躊躇う彼を、抱きしめた。その戸惑いからか、僕らは中々一つに戻れない。
「帰って来て。…許してあげる。皆で行こう。もう、それだけが僕の救いなんだ。」
青年が、恐る恐る僕を抱きしめた。僕は優しく背中を撫でる。すると、冷たい風が僕の心を吹き抜けて、感情を掻っ攫っていくような感覚に襲われた。それと同時に、彼も、かき氷の屋台も姿を消す。煙草の残り香と、氷が落ちて湿った土だけが、今の今まで此処に彼がいた事を指し示した。
「……寒い。」
提灯の灯火は心もとない。寒いのは、裸足だけのせいじゃあない。
確かに僕の心は満たされていくのに、どこか寂しさを感じた。