差し伸べるということ Ⅴ
◆
翌朝。
昨日は結局、色々もらってハイになったラッチナがテーブルに突っ込んできて、気分良く語っていたルーバをぶっ飛ばし、壁に激突させ気絶させてしまい、そのままお開きになった。
「気になる話はしてたんだけどな……」
元々強い興味があったわけではないが、あそこで引かれると続きも気になるというものだ。吟遊詩人の金の稼ぎ方を身を持って知った。次に顔を合わせて、続きは有料ですと言われたら、酒の一杯ぐらい奢ってしまいそうだ。
さておき、ギルドに行って、クルルから預かった発令書を提出し、報酬を受け取って、《冒険依頼》を見繕い終える頃には、ギルク達との約束の時間になるだろう、という計算で外に出たのだが。
「ハクラ、ちょっと確認したいことがあるんですけど」
「ん?」
歩いている最中、足を止めたリーンが、不意に言った。
「クルルさんから預かった《大型冒険依頼》の発令書なんですけど」
「おう、ちゃんと持ってるぞ」
宿に忘れていないかを確認されたのだと思い、荷物から書簡を取り出すと、リーンはまじまじとそれを見つめ。
「それって提出せずにバックレたら駄目ですよね」
「当たり前だろ馬鹿野郎!!!!」
とんでもねえことを言い出すので、反射的に怒鳴ってしまった。
この《大型冒険依頼》は、パズの冒険者がラディントンに流れてしまった事への対策として発令されるわけで、恐らくレレントのラディントン辺境伯とも、きっちり打ち合わせた末に作られた書類に違いない。
クルルは当然、それを前提に諸々の準備を進めているだろう、それをもしばっくれたら最後、俺達は『ギルクを助けたヴァーラッドの恩人』ではなく『多大な被害を出したお尋ね者』になってしまう。大体、俺達がこいつを出さなかった所で、時間が立てば他の代理人がまた書簡を持ってくるか、あるいはヴァーラッド辺境伯が直接発令してしまえば済む話だ。
「ですよねえー……んー……」
クルルの屋敷でも、《大型冒険依頼》の発動に、一応は納得していたはずのリーンが、何故今更そんな事を言い出すのか。
「……一応確認したいんだが、お前の中で何が引っかかってるんだ?」
「その、これなんですけど」
俺が問いかけると、リーンは自分の道具袋を開いて、手のひらに乗るぐらいの大きさの、白い布を取り出した。ゆっくりとその布を解いていくと、途端、ツンとした嫌な臭いが漂ってきた。
そこにあったのは、グズグズに腐った、細長い肉の塊だった。元々はピンク色だったはずの肉は、紫色に変色し、カビに覆われていた。溶けた肉の間から、黒ずんだ骨が見える。
「…………………………………………………………ナニコレ」
「ワイバーンの指です、前も見せたじゃないですか」
「ああ、ファイアを助けた時の………………何でそんなもん持ち歩いてんだよ!」
久しぶりに、リーンの奇行を見た気がする。何やってんだ。
だが、リーンは至って真面目な顔で。
「おかしいと思いませんか?」
おかしいのはこんなモンを持ち歩いてるお前だ、という言葉を飲み込んだ。
「…………何が?」
「あの戦いから、まだ四日ぐらいしか経ってないのに、こんなに腐っちゃってるんですよ。色も変だし、臭いもただの腐臭じゃありません」
「…………ううん?」
そう言われると、まぁ確かに違和感と言えば違和感があるかも知れないが……。
「それが、何か問題なのか?」
「問題ですよ、《大型冒険依頼》で大量にワイバーンやリザードマンが狩られて、死体が全部この速度でこんな腐り方したら、川も大地も生息してる他の動物も、全部まとめて汚染されちゃいます」
「あ」
俺は、再度、リーンが持っているワイバーンの指を見た。
紫色に変色し、カビが生え、グズグズに溶けて、異臭を放つ肉の塊だ。
指一本でこの有様なのに、ワイバーンがまるまる一匹、この状態になられたら、溜まったもんじゃないだろう。
「それに、今思うとあのワイバーン、気になることを言ってたんです」
「気になること?」
オウム返しに尋ねると、リーンは腐肉を布で包み直しながら。
「ハクラに足を切り落とされた後、リザードマンを連れて撤退したでしょう、あの時の鳴き声は、『諦めて逃げるぞ』、っていう意味でした」
そう言えば振り返ってみると、ワイバーンが鳴いた直後に、リーンは即座に俺に対して『逃げそうだ』と忠告していた。あれは鳴き声から意図を読み取っていたのか。
「でも、何かおかしいところがあるか?」
「その時は、そんなに気にしてなかったんです。単に餌を捕らえそこねたっていう意味だと思って、気にしてなかったんですけど」
「…………」
「逃げるだけなら、〝諦めて〟は不要じゃないですか、だったら、何を諦めたのかなって、考えてたんですけど」
そう言われてみると、途端に引っかかる部分が出てくる。
例えば、ワイバーンに捕らえられたファイアは、あの時、傷一つなかった。
運良く爪が食い込まなかったのだと思っていたが。
わざわざ傷つかないようにしていたとしたら。
そもそも最初から、ワイバーン達が襲いかかった理由が、ファイアだったとしたらその意味は。
――――ファイアを捕えることを諦めて、撤退する?
「なんだか、嫌な予感がしませんか? 例えば――――」
その予想を最後まで言い切る前に。
カランカランと、各所で一斉に鐘が鳴る。昼の合図じゃない、これは――――。
「家の中に入れ! 絶対に外に出るな! とにかく建物の中だ!」
誰かの叫び声、状況がよくわからないのか、困惑する街の住人達。
「っ! ハクラ――――上!」
リーンの声で、俺も空を見た。
無数の影があった。大きく翼を広げたシルエットが、太陽光を浴びて、黒く空に焼き付いている。
『ギィ――――――――!』
数にして、五十は下らないワイバーンが、一斉に、レレントの街目掛けて、降ってきた。
☆
「ん、ぅ……」
私が目を覚ますと、身体がぎゅうと締め付けられていることに気づいた。
力は強くなくて、むしろ心地よいくらいで、全身が温かくて、むにむにと柔らかい。
「むにゃ……ううん、駄目だよ、イルニース……それ以上食べると……死ぬ……」
「…………ど、どんな夢を……」
そこでようやく、私は昨日、ギルクさんのお屋敷に泊めてもらって、ギルクさんのベッドで、一緒に眠ったことを思い出した。目を閉じる前は、抱き枕には、されていなかったはずだけど。
「…………ご、ご迷惑を……」
かけてしまった。ヴァーラッド辺境伯は、事前に聞いていたよりも輪をかけて素晴らしい方で、パズでの経緯を聞いて、私の境遇を話すと、涙まで流してくださるようなお方だった。ギルクさんはたくさん叱られていたけど、それはきっと、愛情の裏返しだ。
「……頑張らないと」
気合を入れ直す。色んな人が、色んな縁で、私をここまで連れてきてくれた。
それはきっと、何物にも変えられない幸運だ。
ルーヴィ様を支えられる私になるために、今度こそ。
そんなことを思った時。
パリンッ、となにかが割れる音がした。部屋の外、窓の向こうだ。
きゃあ、とか、わあ、とか、悲鳴も一緒に。
なんだろう? と思って、私を抱くギルクさんの腕からそっと抜けて、窓に近寄って、外を見た。
「――――――え?」
空の向こうから、何かが飛んできた。
ガラスを突き破って、身体をどん、と強く押された。
何が起きたかわからなくて、あれ? と思った。
なんだか、胸がじわりと熱い。体が思ったように動かない。
起きたばかりのはずなのに、とても眠い。
ベッドから身体を起こしたギルクさんが、私を見ていた。
とても、驚いた顔をしていた。
ああ。
ギルクさん、起こしちゃったら、ごめんなさい。