差し伸べるということ Ⅲ
☆
「私はっ! 【聖女機構】の人間じゃ、ありませんっ!」
多分、人生で一番、大きな声を出したと思う。抜けてしまった腰に力を入れて、立ち上がる。
立ち向かうのは、私が手を伸ばしても、胸の高さまでしか届かない大人の男性だ。ロスロ神父よりも地位も、力もあって、不敬を働けば、殺されるかも知れない相手だ。
でも、今は何でだか怖くはなかった。
ルーヴィ様が、目を丸くしていた。
ごめんなさい、いつもいつも、迷惑をかけてしまって。ルーヴィ様を助けられる私になろうってラディントンで決めたのに。
リーン・シュトナベルがファイア様に言った言葉は、今の私にもきっと当てはまる。
自分のことばかりで、私がパズを離れたら、ルーヴィ様にどんな迷惑がかかるか、考えてなかった。考えないようにしてた。きっと、いつもの通り、仕方ない子だって微笑んで、頭を撫でてくれると思ってた。
それは間違いだった。甘えちゃいけなかった。失敗してしまった。
だけど、今の私には、一つだけルーヴィ様の役に立てる手段がある。クルルさんには、どれだけ感謝しても、したりない。
……パズは、素敵な街だった。教会では辛い目にあった皆も、夜になれば、あんなことがあった、こんなことをした、力になれた、役立てたと、クルルさんが紹介してくれた職場であったことを、楽しそうに語り合っていた。
そして、よかったら、ずっと働いてくれないかと、言われた子も居た。それを望むなら、最初のうちは、生活を支援してくれるだなんて、信じられない事を言ってくれる人だって。
【聖女機構】から人が減るのは、珍しいことじゃない。故郷を追われて、旅をして、時折、暮らせる場所を見つけて、離れていく子がいる。
私達からルーヴィ様を解放できるのは、きっと今しか無い。
荷物から書簡を取り出して、私は勢いよくドゥグリー特級騎士に突きつけた。
「私は、ヴァミーリ神学校に入学するために、レレントにきた学生ですっ! クルルギム・ヴァーラッド様署名の、推薦状もありますっ! 【聖女機構】は――――」
【聖女機構】はもう。
「――――私の居場所じゃ、ありませんっ!」
◆
がたがた足を震わせて、泣きながら叫ぶクレセンの言葉に説得力なんてものは欠片もなかった。
あらゆる話が寝耳に水であるはずのルーヴィは、間の抜けた顔をして、クレセンと、俺を交互に見ていた。
「……俺は何もしてねえぞ」
クルルが推薦状をクレセンに与えたのは、クレセンがギルクを、自分の信仰を曲げてまで助けた報酬で、あいつが自分自身で手に入れたものだ。
だから、それをどう使うかも、クレセンの自由だ。
「………………ふむ」
そして神学校の生徒となる子供は、将来有望な女神の信徒であり、未来の同胞だ。ドゥグリーに裁く権利も理由もない。
「………………了解しました、非礼を、お詫びしましょう」
丁寧に腰を折る仕草は何とも似合っており、それがまた腹立たしい。
「ルーヴィ特級騎士の……信仰と忠誠は本物であり……あなたもまた、良い信仰の持ち主であろうとしているのならば……この剣を抜く意味は……ええ、ありませんね……」
そして、つかつかと歩む先。
「お待たせいたしました…………ファイア・ミアスピカ司教」
からん、と言う音は、剣が床に落ちて、転がった際に生じたものだ。
俺が驚いたのは、ドゥグリーがファイアの名前を呼んだこと以上に、剣を落としたのがルーヴィだったからだった。
「――――どうして?」
その言葉の意味を測りかねて、口を開くその前に。
祈りを捧げる姿勢のまま、一連の騒動に対しても微動だにしなかったファイアが、ゆっくりと立ち上がり。
音もなく、影纏いのローブを脱ぎ捨てた。蒼い長髪が、いつかのようにふわりと広がった。
竜骸の前に立つ聖女の姿を、天井から差し込む夕焼けが照らす。
それは一つの絵画のようですらあった。
「――――出迎え、ありがとうございます。ドゥグリー・ルワントン特級騎士、そして」
蒼い瞳が、星紅を見据えた。
「ルーヴィ・ミアスピカ特級騎士」
「――――どうして、貴女が、ここにいるの!?」
ルーヴィがファイアに詰め寄って、小さな手で細い肩を掴んだ。
「…………ん?」
俺はその時、初めてファイアの笑顔を見た時に感じた、違和感の正体を知った。
髪の色も長さも違うし、言葉遣いや物腰も別物だし、影纏いのローブを常に纏って致し、何よりファイアの方が前髪が長く瞳が隠れていた為に、今の今まで気づかなかった。
二人が並んで、ようやくわかった。顔がそっくりなのだ。
今まで空気を読んで黙っていたリーンも、同じタイミングで気づいたらしい。
「あれ、双子ですか?」
「おや…………ご存知ない……?」
返答は、意外なところから来た。ドゥグリーが、並ぶ二人を示して告げる。
「〝聖女の再来〟ことファイア司教、そして【聖女機構】のルーヴィ特級騎士……コーランダ大司教が産み落とした……双子の姉妹……ふふふ」
何がおかしいのか、笑うドゥグリー。一方、肩を掴まれたファイアは、前髪で瞳を遮ったまま告げた。
「ルーヴィ特級騎士。手を、離しなさい。不敬です」
それは、ファイアという聖女が発するには、あまりに温度のない、冷めた言葉だった。
「――――っ」
ファイアの言葉は拒絶のそれだ。ルーヴィが返事に詰まる間に、更に続ける。
「ミアスピカまで、わたくしの警護と世話役を命じます。よろしいですね?」
「………………失礼、致しました。ファイア司教」
表情を取り繕って、膝をつき、そう言うまでの時間が短かったのは、褒めるべきなのかも知れない。同じ顔をした、対極の色を持つ姉妹は、見下ろす側と、頭を垂れる側にはっきりと分かれていた。
「レレントまで、わたくしを送り届けてくださって、ありがとうございました」
ファイアは、俺達に向き直ると、丁寧にお辞儀をした。傍らで膝をつくルーヴィにはそれ以上目もくれない。
「……そいつらがお前の言ってた〝守ってくれる人〟か?」
「はい。特級騎士は、サフィアの正しき信徒です」
ファイアがそういうのであれば――俺達が止める理由は、まったくない。
「みなさまのことを、わたくしは、決して忘れません。どうか、今後の旅に女神の加護があらんことを」
「では…………参りましょう。ご案内致します……」
ドゥグリーが手で促しながら先導すると、ファイアはその後ろを歩きだし、ルーヴィが更に続く。無関係で何も知らない人間が見れば、姉妹を引き連れた父親に見えるのだろうか。
「あ……」
すれ違うルーヴィに、クレセンは手を伸ばしかけて、止めた。
「クレセン」
その姿を見て、ルーヴィは。
「驚いた。でも、よかった。どうか元気で」
微笑んで、そう告げて、すぐに姿が見えなくなった。
「………………ぅ、ううううう」
「……頑張ったね、クレセン君」
クレセンの背中に手をおいて、慰めるように撫でるギルク。
「………………なんつーか、あれだな」
どう言葉をかけていいかわからず、ついでに色々ありすぎて、展開に追いつけなかったのが正直な所だ。
この後、ファイアとルーヴィがどうするのか、どうなるのか、俺達が知ることはない。知らない所で何かが始まり、知らない所で何かが終わる。
俺達は流れでその過程に少し関わっただけだ。面倒事に巻き込まれないのはありがたいし、望む所……なのだが。
「なんだか…………不完全燃焼です!」
こういう時、代弁してくれるやつがパートナーだと、実にありがたい。