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救うということ Ⅴ

 ファイアが、脱いだローブを着込むと、不思議なことにあれだけ目立つ蒼い頭髪と衣装がすっぽりと隠れ、不思議と外見の特徴が印象に残らなくなってしまった。

 ギルクは感心したように息を吐いて、まじまじと見つめてから、やっぱり、と呟き。


「これ、影纏いのローブだ」

「なんだそりゃ?」

「服の上から着込むと、外見の特徴が外から見えなくなる魔法のローブだよ。貴族の子女とかが、お忍びで街に行くのに良く使うんだけど……」

「…………魔法具(マジックアイテム)の一種か」


 行方不明になった聖女様が、サフィア教のお膝元であるオルタリナ王国に居て、騒ぎにならなかった理由はそういうことらしい。

 ファイアの衣装はかなり物量がある様に見えるのだが、あの上から更にローブを着込んでたとすると、いくら北方大陸とはいえ、暑かっただろうに……。


「まぁ……間違いなくサフィアス諸国連合側の誰かの差し金だと思うよ」


 流石に五人が荷台に乗っているとスペースも狭くなる。ニコが俺を背中に乗せてくれれば一人分スペースが空く上にこの空間から逃げられるのでいい事ずくめなのだが、あの馬は断固拒否の姿勢を崩さなかった。

 クレセンは流石に服を着替え(同じ修道服を何着か持っているらしい)て、身体を拭ったものの、血生臭さは取れないようで、時折腕の臭いを嗅いでげんなりとした顔をしていた。


「こいつが大司教になったら、パワーバランスが崩れるって?」


 サフィア教の細かい上下関係に関しては知らないが、そういやルーヴィに招集をかけたのも大司教だったか。

 特級騎士を命令一つで動かせる権力者が対立している国に増えるとあらば、そりゃあサフィアス諸国連合は黙ってないだろう。


「でも、ファイアさんは〝女神の再来〟なんですよね?」


 リーンが納得いかなそうに手を上げた。


「髪の毛も蒼いし、奇跡も起こせるし、サフィア教の新しいシンボルじゃないですか、殺して得することってあるんですか?」

「……お前、本気で言ってる?」


 俺が一応尋ねると、リーンはへ? と間の抜けた声を上げた。


「本気も本気ですけど……」

「あのな、ただでさえオルタリナ王国とサフィアス諸国連合は喧嘩別れしてんだ。あっちからしちゃ面白く無いのは当然だろ」

「けどサフィア教は国じゃなくて宗教ですよ、国単位で争うのはおかしいじゃないですか」

「建前上はそうなってるけど、現実はそうじゃねえんだろ。女神様だのサフィア様だのの教えがマジで清く正しいと思ってるのはこのド真面目シスターぐらいのもんだ」


 ぽんぽんとクレセンの頭を叩くと、凄まじい勢いで手を弾かれた。表情を伺ってみると、俺を睨んでグルルと牙を剥いている、理由はわからんが見事逆鱗に触れてしまったらしい。


「あのハゲ神父を見りゃわかんだろ。いくらサフィア教の教義が綺麗事を並べ立てた所で、結局どいつもこいつも自分が得かどうかで判断してんだ。じゃなかったら洗礼なんてシステム、そもそも要らねえんだから」


 教会が認めた者が洗礼を受け、正しき信者の仲間入りが出来る。

 女神を信じる権利は誰にもあるが、その信仰を受け入れるかどうかは、教会が決めることが出来る。

 だから教会の(、、、、、、)権力が強いのだ(、、、、、、、、)。言い換えるなら、教会の権力を(、、、、、、)維持するために(、、、、、、、)洗礼というシステムが存在する。

 むしろ、世界中に支部を持ち、物流と武力をほぼ支配しているギルドが、徹底的に中立を保てているのがおかしいのだ。


「……それが何でファイアさんを暗殺しようという話になるんですか?」

『小国家の集まりであるサフィアス諸国連合が〝連合〟として成り立っているのは、サフィア教最大の聖地、ルワントンを有しているからだ』


 リーンの疑問に応じたのは、俺ではなくスライムだった。ファイアが何故かまあ、と嬉しそうに手を合わせた。粘体生物がサフィア教の知識を有しているのが嬉しかったのかも知れない。


『だが、ファイア嬢は明確に生きてそこにいる奇跡の体現者である。大司教の地位を得れば、立場は盤石となろう』

「……く、詳しいですね」


 クレセンが驚いたような声を上げた。クレセンやギルクがいる間、スライムは意図的に発言を抑えていた節があるので、世情に詳しいとは思ってなかったんだろう。


『すると一般の信者の大多数はこう思うであろう。聖女のおわずミアスピカこそが、正しき女神サフィアの信仰の在り処である、と。お嬢が言う〝新しいシンボル〟というのは、人々の信仰を一身に集める、という意味である』


 そう、つまり。


『そうして発言力を強めたオルタリナ王国派の教会はこう主張できるようになる。〝サフィアス諸国連合はかつて誤った判断で北方大陸を二つに分けてしまった。今こそ女神の再来の名の下、元あるべき姿に戻すべきだ。――新たな女神の舞い降りた地に、聖地ルワントンを取り戻せ〟と』


 かつて、レレントの竜骸とやらがそうだったように。

 ファイアの存在は、オルタリナ王国とサフィアス諸国連合の戦争の火種(、、、、、)になりうる。

 そこまで聞いて、リーンはすぅー、と大きく息を吸い込み、はぁー、と数十秒時間をかけて、たっぷりと吐き出して。


「………………人間ってほんとわかんない」


 と、吐き捨てた。

 ……なんか懐かしいな、それ。


「わたくしは、そんなに大した人間ではないのです」


 俺達の会話を聞いていたファイアは、苦笑しながら言った。


「確かに、わたくしには、人より少しだけ、恵まれた力があります」


 死の淵にいた人間を一瞬で完治させられるような女が〝少しだけ〟というのは、流石に謙遜を通り越している気がするが。


「それは、争いを産むためではなく、人々を助け、救い、困り事があれば手を差し伸べる為に、女神様が与えてくださったものです。誰かの利益のためや、誰かの私欲のために、この力が使われることは、あってはなりません。わたくしが争いの火種となるのならば、わたくしはこの地を去るだけです」

「……ファイア様」


 クレセンがファイアを見る目は、薄っすらと潤んでいた。


「………………」


 考えてみれば――クレセンには、同じ女神を信じる仲間は、いなかったはずだ。

 ルーヴィはさておき、【聖女機構(ジャンヌダルク)】の少女たちは、望んでサフィア教の信者になったわけじゃない、他に行く所がないから、そこにいるだけだ。

 むしろ、自分たちを救わない女神だ、信じて居ない可能性すらある。

 クルルが各々に特技を聞いた時、誰も彼も出来ることがバラバラだった。元々の暮らしで身につけた能力で、サフィア教絡みの能力を持っていたのは、クレセンだけだ。

 邪険にされるのは慣れていると、ラーディアは言っていた。

 多分、ファイアはクレセンが初めて出会った、〝正しい信仰〟の持ち主だ。それも、自分以上に純粋で敬虔な、規範とすべき存在。


「んっ。……何するんですか」


 さっきと同じ様に頭を軽く叩いてみると、軽く睨まれはしたものの、今度は振り払われなかった。


「よかったな」

「……主語を明確にしてください! なんなんですか一体!

 相変わらず爆発が早いが、それも勢いはなく、もう一度ぐりぐりと頭を撫でると、そのまま黙って受け入れた。


「………………てい」

「あだっ!」


 急に馬車の中が無言になったので、しばらくそうしていたら、リーンの拳が突如、俺の頭を叩いた。


「不意打ちをするな!」

「んっ!」

「…………ん?」

「んーっ!」


 ずい、とむくれながら頭を突き出すリーン。ああ、と俺は納得して。


「ほら」

「むぎゅっ!?」


 お返しとして叩き返した。


『小僧……』

「いや、やられたらやり返さねえと……」


 次の瞬間、今度は明確な殺意を持って杖を叩きつけてきたので、慌てて受け止める。


「ストップストップストップ! 荷物が崩れる!」

「ぜぇぇぇぇぇったいに許しませんっ!」


 あまりに無意味な争いを横目に、ファイアが言った。


「あの、お二人は、いつもこうなのですか?」

「うん、だいたいこんな感じ」


 ケラケラ笑いながら、止めようとしないギルクと、何故か不満げに頭を抑えているクレセンの姿が目に入った。


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