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救うということ Ⅳ


「アドム様、ラディ様、エンネ様、ここまでの道中、ありがとうございました。どうか、お体にお気をつけて。あなたがたの旅路に、女神の加護がありますよう」


 自分の護衛を務めていた冒険者達に別れを告げる少女の仕草も、これまた様になっていた。

 命拾いした冒険者達は、結局パズに引き返すことになった。傷は癒えたが体力は戻っていないらしく、レレントまでの強行軍は難しいと判断したらしい。

 馬車に乗せてやりたいところだが、スペース的な都合で七人は流石にすし詰めになるし、こっちもそこまで面倒を見る義理はない。


「申し訳ありません、後をよろしくおねがいします」


 腹を貫かれて死にかけていた冒険者、アドムが右手の甲にある薄黄色の秘輝石を俺に向けて差し出したので、俺も自分の秘輝石を見せて、石同士を触れさせ合う。


「………………よし、確かに引き継いだ」


 接触した時点で、お互いの秘輝石がかすかに発光し、十秒程度で消えた。

 これは秘輝石の持つ機能の一つで、《冒険依頼(クエスト)》を他の冒険者に引き継ぐ際に行う儀式のようなものだ。

 ギルドの施設で秘輝石を調べれば、誰から誰に依頼が引き継がれたのかがすぐに分かる様になっている。


「…………なーんで引き受けちゃいますかねえ」


 リーンがムスッとした顔で言った。


「仕方ねえだろ、足手まとい連れてまたワイバーンに襲われたら、連中、今度こそ死ぬぞ」


 彼らは地元パズの冒険者で、パズからレレント間の護衛を主にこなして来たパーティだそうだ。時折出てくるワイバーンも、普段なら問題なく処理できるらしいが、


「リザードマンと一緒に出てくる奴なんて、居なかった」


 とのことで、護衛をしながら、いつもと違う戦い方をしてくる魔物相手に隙を突かれてしまった、とのことらしい。

 リスクとリターンを秤にかけて、決断するのも冒険者の仕事の一つだ。

 依頼を他人に委ねて引き返すことは信頼を損なう事に繋がるが、それでも連中は安全を優先し、撤退を選んだ。尊重すべき判断だろう。


「つーか、お前は引き継ぎを手伝わずに何してたんだ」


 向こうが持っていた《冒険依頼(クエスト)》の概要書の確認だとか、細かい作業はいくらでもあるんだが、全部俺がやったんだぞ。


「これを見てたんですけど」


 そう言って、リーンが包んだ布から取り出したのは、俺が斬り落とした足から、更に切断してきたらしい、ワイバーンの指(、、、、、、、)だった。


「何持ってきたんだお前!?」

「気になることがあったんです! それよりも、あなたです、あなた!」


 リーンがビシッと指差す先には、問題の少女が、のんびりとニコの身体を撫でていた。


『きゅい』


 リザードマン相手に怪我一つなく奮闘したニコは、戦闘後だと言うのにかなり上機嫌にスキンシップを受けいれていた。随分態度が違うじゃねえか。


「………………あ、わたくしですか」

「あなた以外に誰がいるんです! あの後、結局どーしたんですか」

「あの後?」


 俺が尋ねると、リーンはほら、と指を立てたまま手をブンブン振った。


「ギルドで変な子が居たーって言ったじゃないですか。結局教会騎士が乗り込んできたので、そのままほったらかしてきちゃったんですけど」

「ああ、そういや言ってたな……最後まで面倒見ろよ」

「誰かさんが変なことをしなければそうするつもりだったんです!」


 そうか、俺のせいか。

 まぁ、ギルドでたまたま出くわしただけの相手にそこまで付き合う義理は確かにないっちゃないんだが。


「あのあと、親切なお方が、宝石をお金と取り替えてくださったのです。困っている時は、助け合わねばと。感謝しても、したりません」

「……………………」


 こいつの様子を見るに、誰が換金したにせよ絶対に適正レートではなさそうだが……。

「そのお金で、〝くえすと〟を出させていただきました。アドム様達も快く引き受けてくださったのですが……」

「結果、危うく半壊しかけてこの有様、と」

 肝心の、アドム達から預かった少女をレレントまで護衛する《冒険依頼(クエスト)》、その報酬自体は適正だ。俺達が代わりを引き受ける事自体は全く問題ない。目的地が同じなのだから、むしろ降って湧いた儲けだ。

 だが、それ以上に聞かねばならん事がある。そして珍しく、俺の疑問をリーンが代弁してくれた。


「で――――あなたは一体何なんですか」


 血の一滴で、ユニコーンに匹敵する“治癒”を引き起こしてみせたこの少女は、どう考えても只者じゃない。リーンによれば、あの光の余波で、負傷していた他の二人の傷もすっかり癒えてしまったらしい。

「申し遅れました。わたくしも、名乗らねばなりませんね」

 フードを静かに脱ぐと、今まで、なんでそれが今まで気にならなかったのか、疑問に思う程の蒼い髪の毛が、視界に広がった。

 腰まである長い髪が、同じ長さのベールに包まれてさらりと広がる。瞳を塞ぐように伸びる前髪の隙間から見える瞳も、深い深い蒼の色をしていた。

 リーンが魔を虜にする翠色であるように、人を惹き付ける、海の底のような深淵の蒼。


『――――サフィアリス?』


 その顔を見て声を発したのは、意外なことに、リーンの腕に収まっているスライムだった。


「アオ?」


 名前を呼ばれても応じず、目(?)を大きく見開いて、少女から目を離さない。

 本来、そこに絶対にあるはずのない何かを、そこに見ているかのように。


「まあ、駄目ですよ、スライムさん。女神様の真名(、、、、、、)は、みだりに口にしてはならないのです」


 まるで子供の悪戯を咎めるように、めっ、とスライムに言うと、それが癖なのか、再び両手を組んで、柔らかく微笑んだ。


「人からは、恐れ多くも女神の再来などと言われますが、わたくしは単なる一人の信徒に過ぎません。ですから、どうか名前でお呼びください」


 無垢な笑顔であるはずなのに、俺は何故か強い違和感を感じた。

 なんだろう、例えるなら辛い甘果実(エリシェ)というか、記憶と現実が一致しないと言うか、絶妙に噛み合わない歯車が噛み合ってしまった時のしっくりこなさというか。


「ファイア・ミアスピカ。若輩の身ではありますが、サフィア教の司教の一人として、名名を連ねさせていただいております」


 そんな失礼な事を考えている間に名乗られてしまった。

 聞き覚えはある、俺にその名前を最初に教えたのは、確かクレセンだったはずだ。

 こいつはどんなリアクションをしているのかと横目で見ると、あろうことかギルクのローブの裾を掴んで、後ろに隠れてしまっていた。


「ク、クレセン君?」

「こ、このままで居させてください、このままで!」


 というか、クレセンは応急処置の際に返り血をべったり浴びており、真っ白だった修道服が猟奇的な赤に染まっている為、外套にじわじわ血の染みが滲んでいく。

 茶色いからまだ目立たないものの、取り返しがつかない汚れになるのは間違いない。というか絶対高価だけど弁償出来ないだろ。


「……何やってんだアイツら」

『クレセン嬢からすれば、雲の上の存在なのだろうなぁ』

「パズのハゲだって上役だろ」

『あの神父が家の長とするなら、司教は〝誰がどの家に住まうか〟を決める地位であるからな』

「はぁん」


 文字通り、身分が違うわけだ。ある意味じゃ平民と貴族よりもその格差は激しいのかも知れない。


「改めて……この度は、わたくしを助けてくださり、ありがとうございました」


 丁寧にお辞儀をするファイア。それから、顔を上げて、俺の顔をじっと見つめてきた。


「………………な、なんだよ」

「ああ、やっぱり、炎の様な赤い瞳に、風の様に空を舞う人」


 舞うというか、ジャンプして落下しただけなのだが。

 顔というより、瞳を見られている。リーンとはまた違う視線の強さに、なんだか落ち着かない気分になる。そして背後から、何故か俺に向けて殺意を感じる。

 俺の流す冷や汗など、全く考慮せず、ファイアは体を少し傾けた。


「あなた様が、わたくしの騎士様ですか?」


 あまりにも邪気のない瞳でそう言われて、思わずたじろいだ。何言ってんだこいつ。


「わーたーしーのーでーすー!」


 とうとう我慢できなくなったらしい、リーンがきしゃあ、とワイバーン顔負けの威嚇音を出しながら、俺とファイアの前に割り込んだ。

 モノ扱いするなという当然の主張すら、今するとやぶ蛇になりかねないので大人しくしておく。


「まあ、そうですか。それは失礼いたしました」


 別に威嚇に気圧されたわけでも無いだろうが、あっさりと引き下がるファイア。柔らかい物腰と仕草から、温厚な性格であることはわかるが、それ以上にマイペースが過ぎる。


「…………クレセン」

「は、はいぃ?」


 俺がいきなり話題を振ったからか、クレセンが奇妙な声を上げた。ギルクが無言で横に移動し、隠れていた長身の壁が消え失せる。


「こいつの世話は、お前に任せた」

「……………………ちょっ!?」

「いや、俺らとは根本的に生活と文化が違うから……お前のとこのお偉いさんだろ、任せたぞ」

「………………待ってください待ってください無理です出来ません恐れ多いです!」

「じゃあ俺達が失礼を働いたらお前は女神サフィアになんて申し開きをするんだ!」

「失礼を働く前提で女神様の名前を使わないでください!」

「俺にできる最大限のファイアに対する配慮だろうが!」

「何でこういうときだけそんな配慮ができるのですか! そ、それに、ちょっとまってください」


 両手をわたわたと振って、クレセンが吼えた。


「ファイア様! ファイア・ミアスピカ司教様!」

「はい、何でしょう」


 焦りと緊張で声を強張らせるクレセンと対象的に、穏やかに微笑むファイアの姿は、迷える子羊を導く女神そのものに見えた。


「その……ファイア様は、エリン・メリンでの儀式以降、行方不明になったとお聞きになっていたのですが……」


 ただし迷わせているのが自分の存在である場合、これは誰が救済できるのだろうか。


「それに、何故、護衛に冒険者を……? ファイア様なら、教会の騎士団を動かせるのでは……?」


 それに関しては、俺に一つ予測がある。横を見ると、ギルクも眉をしかめて、多分俺と同じ表情をしていた。


「ああ、そのことでしたら……」


 ファイアは、微笑みを崩さないまま、こともなげに言った。




「実はわたくし、命を狙われているのです」




「…………ハークーラー」


 リーンがどこか、諦めたような声で言った。


「厄介事ー、増えちゃいましたねー」


 俺は、心から反論した。


「なあ……………………これは俺のせいじゃないよな?」


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