救うということ Ⅱ
◆
なんだかんだ言っても、あの姉は妹を溺愛しているのだということがよく分かった。
リーンが宿に戻った時、既に馬車には新しい食料の類の他に、温かい羊毛のカーペットが荷台の床に敷かれ、それとは別に人数分の毛布が積まれていた。これから北上していくことを考えると、防寒具はとにかくありがたい。
旅の最大の敵は、魔物ではなく夜の寒さである、という言葉すらあるほど、寒さというのは身も心も削ってくれるが、荷台の幌を閉めてこの毛布に包まれば、よほどのことが無い限り凍死とは無縁で居られるだろう。
「お待たせ、色々持たされたよ」
一晩経って、パズの街壁の前で、馬車を待機させていた俺達の下にやってきたのは、ギルク一人だった。服装はパズに来る前と同じ装いの旅装束だったが、大きな革のバックパックを背負って居る。
「クレセンは?」
「私が姉様の家を出た時には、見当たらなかったけど、そっか、来てないか」
新しく提示された道は、あまりに整えられすぎている。そして、そちらを選べばもう引き返せない。身を寄せ合い助け合ってきた仲間とも離れ、尊敬する恩人とも別れ、一人で戦わなければいけなくなる。
たった一日で選べと言うには、あまりに酷だ。
「まぁ……いつまでも待ってるわけにゃ行かないし、行くか」
そもそも、今すぐ決めなくても良いのだ、レレントに行く手段は、俺達と一緒に行く以外にもある。クレセンの意思が固まったら、改めて護衛を雇えばいい。それぐらいは、クルルもやってくれるだろう。
「意外です」
リーンがニコの頭をなでながら言った。
「何が」
「クレセンさんが来るまで、待つって言い出すと思って、ニコちゃんに蹴ってもらう準備をしてたんですけど」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
そして俺に何をするつもりだったんだ。
「何って、お人好しでしょう?」
「……………………」
「あ、遂に否定しなくなった」
「今は説得力がねえなと思っただけだ……受け入れたわけじゃねえからな! オラ行くぞ!」
『きゅぐ』
俺に出発の号令をされるのは不満らしく、ニコが詰まったような声を出した。そして、ぶるぶると首を振って動かない。
「……おい、リーン、なんとかしろ」
「はいはい。ニコちゃーん、出発しますよー」
『きゅぃ』
だが、リーンが言っても、ニコは一向に進みだそうとはしなかった。きゅいきゅいと鳴くのみだ。その意味が理解できるのは、リーンしか居ない。
「なんて言ってる?」
「『来る』って言ってます」
「来るって――――」
誰が、と問うより早く。
「ちょっと、待ってください!」
という、聞き覚えのある声がした。
ギルクのものと同じ、大きなバックパックを背負ったクレセンだった。呼吸が荒いのを見ると、走ってきたという事がわかる。
「学校、行くんですか?」
リーンが尋ねると、クレセンは首を――横に振った。
「……まだ決めてません」
「? どういうことです?」
「私は、ルーヴィ様に会いに行きます」
はっきり言い放ったクレセンだが、よく見ると、目の端が赤く、少し腫れている。
昨晩、何があったのかは想像に難くない。こいつはこいつなりに、ちゃんと別れを済ませてきたのだろう。
「どんな形になるにせよ、ちゃんと話したいんです。今までのことも、これからのことも」
すうはあと呼吸を整え、クレセンは顔を上げ、俺と、リーンの顔を交互に見た。
「お願いします、レレントまで、私を連れて行ってください」
そう言われて、腰を折って頭を下げられれば、断る理由は無い。そもそも、毛布は人数分積まれているのだ。
◆
どこまでも続く高低差のある丘を、登ったり降りたりを繰り返しながら、馬車は整えられた道を行く。
そのルートを整備したのも、ヴァーラッドの開拓団だと言うから、北方大陸に来て以来、俺達は常にその恩恵を授かっている事になる。土を固め、砂利を敷き詰め、脇道には芝を植え付け、溝を彫り込み、泥濘まないように工夫された街道は、ただの荒れ地を行くのとは雲泥の差だ。
『きゅいきゅい』
おかげで、ニコの足取りも軽かった。ここまで登り降りが激しいと、馬も馬車も疲弊するものだが、ニコには無縁な要素だ――いや本当に凄いなこいつ。
「すごいすごい! あははは! グイグイ引っ張られますよ!」
ニコの背中に腰掛けて、坂を下る時は加速を、登る時は落ちる感覚を楽しんでいるリーンはかなりご機嫌だった。勿論、その重力による負荷は普通に荷台に乗っている俺達にもかかるわけで、備え付けの手すりに捕まっていないと、下手すると転げ落ちてしまいかねない。
『お嬢、落ちるなよ』
「だーいじょうぶですよー、あはははははは」
「げ、元気ですね……」
そんな環境なもんだから、冒険者でないギルクやクレセンは、若干辛そうだった。秘輝石があればいわゆる〝乗り物酔い〟をすることはほぼ無くなるので忘れがちだが。
「ちと早めに休憩するか」
俺が言うと、ギルクが苦笑しながら賛同した。
「だったら、もう少し先に進むと、開けた窪地があるんだ。近くに川もあるし、丁度いいと思う」
勝手知ったる地元民の意見を採用し、ご機嫌なリーンに伝えると、はいはーい、と軽い返事が帰ってきた。
「んー、ニコちゃん、ちょっとゆっくり目でお願いします、荷台を揺らさない感じで」
『きゅい』
「いいこいいこ、あとでニンジンをあげますからね」
『ぎゅげっ』
ニコに指示を出すと、動く馬車の上を器用に伝って、リーンも荷台に戻ってきた。
「今、なんかゴブリンを踏み潰したみたいな声が聞こえたんだが……」
「ニコちゃん、野草は食べるのに野菜は嫌いみたいです」
進行速度が緩やかになれば、荷台の中も多少は楽になる。揺れを吸収してくれる特別性の車輪でこれなのだから、通常の荷馬車や馬車に予算をかけない商隊は大変だろう。
「しかし、学費を全部持つとは太っ腹なことですねー。いくら妹の恩人でも、ポンと出すにはためらう金額なのでは?」
不意にリーンがクレセンにそう切り出した。こいつがクレセンに話しかける事自体が結構珍しいが、多分、気を紛らわせてやろうというつもりなのだろう。それにしちゃ話題のチョイスが重たいが。
「それは……そう思います。何で私なんかに」
ギルクも同じようで、すぐさま会話の輪に加わる。
「姉様は、別に冷酷無比ってわけじゃないけど、ただ施しをするような人でもないよ。要するに、投資さ」
「投資、ですか?」
「ロスロ神父はもう六十を過ぎてる、どれだけ頑張ってもあと十年もしたら引退だよ。そうすると、新しい責任者をパズに迎えなきゃいけなくなる。そこで、ちょうどいい時期に、パズに縁のある、優秀な司祭が居たらどうだい?」
適切な人材が居ないのならば、育ててしまえばいい。
そこにちょうど、行く当てがなく、それでいてサフィア教に関する知識を有しており、先の見通しが立たない修道女が居たわけだ。
「わ、私は……そこまで、期待されるような人間じゃありません」
「けど、姉様はそれだけのものをクレセン君に見たんだよ、きっと」
「……ラーディアが余計な事をいうからです」
「あはは、それに、オルタリナ王国では顕著だけど、教会とギルドの間に挟まれる領主は本当に大変なんだよ。クレセン君は、冒険者を嫌ってない珍しい修道女だからね。もし司祭になってくれたら、これほどありがたい人は居ないと思うよ」
「いや、俺こいつに滅茶苦茶嫌われてたけどな……」
そこでようやく、俺が口を挟むタイミングが出てきた。
「過去形にしないでください! 私はあなたに脅されたことを忘れてはいませんよ!」
「………………脅したっけ?」
「エスマの教会で、私に刃を向けたじゃないですか!」
「いや、確か鞘から抜いてはいないぞ」
「覚えてるではないですか! 女神は嘘を悪徳であると説いています!」
しまった、誘導尋問だった。
「俺だったら、金を積まれても学校なんか行きたくねえけどなぁ」
話題逸しにそう言ってみたものの、実際、俺が知っている勉強というのは、一度言われたことを暗証し、間違っていればゲンコツが飛んでくる類のものだ。流石に神学校とやらがそこまでするとは思わないが、かといって知識を詰め込む場所ということに変わりはない。
「えー、そうですか、楽しいですよ、勉強」
意外なことに、リーンが口をとがらせて言った。
「お前、不真面目の権化じゃなかったのか……」
「しっつっれっいっなっ! そもそもリングリーンの継承者というのは一番知識を蓄えた――――――あ?」
怒りのままに暑く語ろうとしていたその言葉が途切れ。
「――――ニコちゃん!」
『きゅう!』
突如、リーンが叫ぶと、ニコが一気に速度を上げた、いくら上等な馬車といえ、いきなり急加速すれば身体が引っ張られる。
「きゃっ」「わっ」
と、転げるクレセンをギルクが受け止め、俺も手すりを掴んでなんとか転ぶのをこらえたほどだ。
「どうしたリーン! いきなり――――」
「ハクラ、戦闘準備!」
理由より先に、指示が飛んできた。
「――――誰かが襲われてます!」
火の山からラディントンに向かった時もそうだったが、ニコが本気を出すと、馬車を引きながらでも、馬による全力疾走と同等の速度が出るようだ。
勿論、長時間これを続けられると荷台に乗ってる人間も荷物も無事では済まない。ギルクとクレセンは、お互いしがみつくようにして、衝撃を吸収しきれず、激しく揺れる荷台になんとかすがりついている有様だ。
だが、その加速のおかげで、見えた。上り坂に入った所で、そいつがぬっと現れた。
「ぐぃ、ぎゃああああああああああ!」
若い冒険者の背中を、鋭い足の爪で掴み上げ、空中に持ち上げたそいつは、足から頭まで、三メートルを超える。尾を含めればもっと長い。
ギィ、ギィ、という空気が裂けるような鳴き声、翼が空中を叩く音。
「――――飛竜!」