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救うということ Ⅰ


 ◆


「貴方達に頼みたい仕事があるの」


 教会での騒動から三日後、俺とリーンは朝から領主宅に呼び出され、部屋に案内されると、机に座って、山積みの書類に目を通し、ペンで書き込んでは次の書類に、という作業を続けていたクルルは、俺達を一瞥するやいなやそう言った。


「予想はしてたでしょう?」

「まぁ、そりゃあな」


 何せ、パズにいる間の滞在費を何故かクルルが全て持ってくれたのだ。おかげでリーンは好き放題暴食をしてご機嫌だったが、代わりに俺達はギルドで依頼を受ける事を禁じられていた。

 それはつまり、クルルが個人的に頼みたい特別な依頼があり、その為の準備をしている間の拘束期間を保証していた、ということだ。


「正直な所、今のパズは冒険者不足なのよ。ほとんどがラディントンの調査に向かってしまっていて」

「ああ、昨日ギルドで受付の人も言ってました。おかげで普通の依頼に人が回らないって」


 リーンの話は、俺も暇な時間に聞いていたが、確かに俺だって何も知らなかったら小銭稼ぎで依頼を受けていたかも知れない。

「ヴァーラッドは山が多いのよ、そして山には飛竜(ワイバーン)が住み着く。そこを中心にリザードマンやラミアなんかも湧いてくる。パズの冒険者は基本的にその相手をするのがメインだったんだけどね」


 それを、戦わずに儲けられて、その上温泉まで入れるラディントンに、需要を一気に持っていかれたわけだ。


「特に最近は、活動が活発でね。普段なら連中も近寄らない、明かりの絶えない街道でさえ、襲われたという被害報告が相次ぐぐらい。護衛の冒険者の数が減れば流通も滞る。困りものだわ」


 定期便を護衛する専属の冒険者はそりゃ居るだろうが、個人で動く行商人や、メンバーに冒険者を伴わない商隊などは確かに迷惑しているだろう。

 大きな街ならまだいいが、例えばライデアみたいな小さな村々は、そういった商人達がいないと生活が成り立たなくなる。


「でも、この手の儲け話ってそうそう続かないですし、そのうち落ち着くんじゃないんですか?」


 リーンの疑問はもっともだ。需要がある場所に人が集まるのは当然だが、集まりすぎれば飽和して、やがて供給のほうが多くなる。

 美味しい儲け話なら特にそうだ。情報を手に入れて、慌てて行ってみたらもう何も残ってなかったなんてことは多々ある……が。


「逆よ、これからもっと忙しくなるの」


 クルルが、手にしたペンの背で、書きなぐっていた書類をトントンと叩く音が鳴る。内容を自分で再度確認しているらしい。


「冒険者達に安全な調査ルートを開拓してもらったら、今度は学者や魔術師、錬金術師を連れて本格的な調査に移る事になるけれど、再噴火の危険や、有毒ガスの有無が判別できるまでは報酬に危険手当も盛り込まないと行けないし、その移動の護衛にも冒険者を雇わないと行けないし、滞在期間が伸びれば伸びるだけ費用がかさむわ。それだけの人間が集まると、今度はどうしてもラディントンに調査団の拠点が必要になるし」

「その手の仕事を、何でパズにいるあんたがやってんだ?」

「貴方達が行ったラディントンに統治者がいたかしら?」


 言われて考えてみると、居なかった気がする。少なくとも顔を合わせては居ない。強いて言うなら、ラディントンで一番偉かったのはギルクだ。


「成り立ちのせいもあるけどね、開拓団の人間は全員罪人扱いだから、外交の必要がある役職にはつけられないし、かといって噴火目前の罪人街をわざわざ取り仕切ろうなんて人もいなかったし」


 つまり、ラディントンの管理もパズ……というかヴァーラッドを代表してクルルが行っているらしい、そりゃ忙しくなるはずだ。


「……実際の所、どうなんだ、もっかい噴火する可能性は」


 隣のリーンに尋ねると、んー、んー、と二度唸った。


「吐き出すだけ吐き出して火の精霊はだいぶ落ち着いてるはずなので、噴火そのものは向こう数十年ぐらいは大丈夫だと思いますけど、ガスやら二次災害やらは流石に私も専門外なので何とも」

「まぁそれ自体はいいのよ、パズの現金をラディントンに移動できるから。でも人手不足は如何ともし難い。そこで」


 机の引き出しから立派な筒を取り出し、丸めた中に収めて封をすると、クルルはそれを俺達に向けて差し出した。


「これをレレントのギルドに届けてほしいの」


 リーンが肘で軽く小突くので、とりあえず俺が受け取った。当たり前だけど非常に軽い。

 元々レレントへは向かう予定だし、当然ギルドへも足を運ぶので、それ自体は別に構わないのだが。


「…………中身は聞いてもいいのか?」

「《大型冒険依頼(クエスト)》の発令書よ」

「はぁ!?」


 あまりにあっさり言うので、受け取ったばかりの筒を思わず落としかけてしまった。


「その書類には、レレントのギルドを中心に、一定範囲内の魔物を掃討する《冒険依頼(クエスト)》を出すように書いてあるわ」


 需要がないなら、需要を作る。

 パズの冒険者達がラディントンに行ってしまうなら、レレントの冒険者にパズの分の仕事をやらせてしまえということだ。

 確かに、問題を一気に解決する策ではあるし、〝継続的に同じ仕事がある〟という状況は冒険者にとってありがたい話だ……が。


「つっても……一攫千金狙いならともかく、割の良い仕事を出し続けないと冒険者なんて動かないだろ」

「いいことを教えてあげるわ冒険者。税金というのは使う為に集めているのよ」

「………………」

「割のいい《大型冒険依頼(クエスト)》を出せばまず冒険者が儲かる。その冒険者の儲けは食事や宿代として、彼らが居る街や村に暮らす民に支払われる。民の収入はやがて税金となって戻ってくる。なにか問題があって?」


 ぐうの音も出ないほど、貴族視点の正論だった。


「むむむむむむ……」


 一方、リーンは不満げだった。〝魔物使いの娘〟としては納得しかねるところがあるらしい。


「おい、リーン、暴れるなよ」

「暴れませんよ! ちょっと釈然としないだけです……むむむむ」


 一度《大型冒険依頼(クエスト)》がでてしまえば、たとえ魔物達の活動が活発になった原因をなんとか出来たとしても、それでハイ終わり、というわけにはいかなくなる。

 かといって、状況が状況だ、リーンが発令を止めようとした所で止まるものでもないし、本人もそれがわかっているから、あまり大きく出られないのだろう。


「報酬は八万エニー、これはギルドに書簡を届けた時点で支払われるわ。それと、レレントで良い依頼を優先的に受けられるよう、私から手を回しておくわ」

「いたれりつくせりでおありがたいことで」

「足りなければお父様に交渉して頂戴。それと、ついでにあの子も運んでいって」


 あの子、が誰を指すのか、いちいち確認するまでもない。ちょうどそのタイミングで、コンコン、と部屋の扉がノックされた。


「姉様、お待たせ」


 返事も待たず部屋に入ってきたのは、部屋着に大きめの上着を羽織っただけのギルクと、


「ギルクさん! ……し、失礼します」


 その不作法を咎めつつ、おずおずと一礼する、こっちはかっちりといつもどおりの修道服に身を包んだクレセンだった。


「あれ、ハクラにシュトナベル君。君たちも姉様に呼ばれたの?」

「朝っぱらからいきなりな。お前らも?」


 ギルクはわかるが、何故クレセンがいるのだろうと目線を下げると、


「……おはようございます」


 とだけ言って、ぷいと顔を背けた。よし、それでこそ生意気の国出身の小娘だ。


「おはよう、クレセンさん。…………さて、ギルク?」


 到着早々名指しで呼ばれたギルクは、その声のトーンが真面目な話をするものだと即座に理解したらしい。


「はいっ、何でしょう姉様」

「貴女が昨日私に提示した対価に関して、話があるわ」


 対価とはつまり、ギルクがどこに嫁ぐかをクルルが決めて良い、というあれである。昨日は勢いに任せて言ってしまった部分も多いのだろう、若干の後悔がでてきたのか、ギルクの額に冷や汗が浮かんだ。基本的に俺のせいなので罪悪感が凄い。


「………………お、お手柔らかに……あの、昨日はああいったけど、できればシホンワフルのディブリーデだけは勘弁してほしいな……私、あいつの顔を見ると蕁麻疹が出るんだ……気持ち悪いから……」


 そこまで言い切られてしまう、見も知らぬ貴族に少しだけ同情心が湧いた。いくら何でもひどすぎる。


「そんなに気持ち悪いんですか」


 気になりすぎて、リーンが俺が聞きたかったが聞けなかったことをあえてぶっこんでしまうほどだ。よく尋ねてくれた。


「脂肪を溜め込んだら、人間は豚じゃなくて化け物になるという見本みたいな男だよ……美貌で有名な桃色の双子姫なんか、足繁く劇場に通われて、しつこすぎる求愛に心が砕けて、三日三晩床に伏せってしまって、それが民の暴動を引き起こしたなんて逸話があるほど……」

「そんな逸話が残る人生嫌だな……」

「…………あの、その人、婚約者候補に入ってるんですか?」


 リーンが尋ねると、クルルはふ、と息を吐いて。


「残念だけど求愛の書簡が来る度にお父様が焼き捨ててるそうよ。それはともかく。まずこれからの貴女の行動を指示するわ」


 確認を取らない辺り、決定事項らしく、ギルクもそれに異論を唱えたりはしなかった。


「……この冒険者達を、貴女の護衛に雇います。共にレレントへ向かい、まずお父様に今回の経緯と事情を説明し、謝罪なさい。早馬で無事は伝えてあるけれど、どれだけ心配をかけたか、わからないわけじゃないでしょう」

「………………うん、それはちゃんとわかってる」

「その後は、別途護衛を雇い直し、ラディントンヘ向かうこと。流石に復路まで彼らを付き合わせるわけには行かないから、信頼できる冒険者をちゃんとお父様から紹介してもらいなさい」

「え……ラディントンに行ってもいいの?」


 てっきり、父親の元で嫁ぎ先の話が出ると思っていたのだろう。


「ええ。これからラディントンはもっと人が押し寄せて、私一人で管理と制御をするのは難しくなる。貴女がラディントンに滞在して、領主として取りまとめなさい」

「……!? 姉様、それは……」

「結婚は、ラディントンをちゃんと治める事が出来てから考えます。まずは貴族としての務めを果たす事、いいわね」

「……はいっ!」


 有無を言わさず突きつけられた決定事項だが、ギルクにとってもそれは望む所の様だ。目を輝かせて、大きく頷いた。


「……そして、クレセン」

「は、はい」


 何故自分がこの場に呼ばれたのか、未だわかっていないだろうクレセンは、些か緊張した面持ちで返事をした。


「ラーディアから聞いたわ。貴女、リリエットの神学校に通っていたんですって?」


 びく、と体を震わせるクレセン、リーンがつま先立ちになって、俺の肩を掴み、耳元に口を近づけて訪ねてきた。


「神学校ってなんです?」

「俺も詳しくは知らんが……確かサフィア教の信者を育てる為の学校だった気がする」


 リリエットという街には、俺も前の仲間と共にしばらく滞在したことがある。教会の代わりに、大きな壁に囲まれた巨大な聖堂があり、そこでは各地から集った有能な若者が、女神サフィアについて学んでいるとかいないとか。


「神学校は、卒業した時点で洗礼を受けられるんだ。同時に、各地の教会で司祭として務める権利も得られる、教会組織の幹部候補生を育てる、エリート養成機関だよ」


 ギルクが補足してくれた。なるほど、道理でこいつは、やたら女神女神と言う訳だ。


「……そう、ですけど、その……辞めてしまいましたし。親とも、もう繋がりはないので」


 肩を落とすクレセンを他所に、クルルはもう一つ、書簡を取り出して、机の上に置いた。


「レレントのヴァミーリ神学校の推薦状よ。貴女の名前を書いておいたわ」


 全く想定していなかった所から、全く想定していない物が出てきて、今度こそクレセンは目を丸くした。


「えっ?」

「全寮制だから住居の心配はないし、編入するなら、費用は卒業までの分を先に払っておくわ。ただし留年は考慮していないので、単位は落とさないこと」

「その、えっ、何、何で……?」


 一番困惑しているのは、当然クレセン本人だろう。


「…………なぁ、その神学校とやらはどれぐらい金がかかるもんなんだ?」


 小声で尋ねると、ギルクも驚いた様子で、右手を大きく広げた。


「ヴァミーリ神学校で、一人を入学させてから卒業させるまでだと、大体九年間で二、三百万エニー……かな。ざっくりだけど……」


 二百万エニー、小さな村なら一年間、村人全員が働かなくても、三食腹いっぱい食べて、何不自由無く暮らせる額だ。俺らが書簡を届けるのが八万エニーで、クレセンが二百万エニーとは随分差がついたもんだ。


「妹の命を助けてくれた、敬虔なる神の信徒だもの、これぐらいはさせてもらってもいいでしょう。それに、これから先もロスロの様な意地汚い物欲に塗れた小物に舐められていて良いわけ?」


 この女、あっさりとんでもないことを言いやがった。


「で、でも、私は、そんな……【聖女機構(ジャンヌダルク)】の私を、受け入れてくれるとは……」

(ヴァーラッド)という後ろ盾があるのだから最大限に活用しなさい。【聖女機構(ジャンヌダルク)】の最大の欠陥は、権力が一人に集中しすぎていることよ」

「ううっ」


 まさしく図星を突かれ、怯むクレセンだった。

 例えば誰か一人でも洗礼を受けている修道女が居たら、ロスロ神父だってあそこまで横柄な態度は取れなかっただろう。ルーヴィの負担を減らす、という意味でも、誰かがしっかりとした立場を確立し、動けるようにしておくのは理にかなっている。


 今までは、それがわかっていてもどうしようもなかったのだが、目の前にある書簡の中身、たった一枚の薄っぺらい紙に、今までは眼前に立ちふさがるだけだった現実という壁をぶち壊すだけの力がある。


「で、でも、そうしたら、私は【聖女機構(ジャンヌダルク)】には……」

「居られなくなるわね」


 あっさりとクルルが言うもんだから、つい、は? と言ってしまったのは俺の方だった。


「いや、じゃあ無理だろ。こいつ、ルーヴィ信者だぞ、離れねえって」

「何で貴方にそんな事を決めつけられなきゃいけないんですか!」


 常に爆発する危険性のある発火物は、俺が喋った時の起爆率がやたらと高い。


「よし、いつもの調子だ、その勢いで行け」

「貴方は私のなんなんですか!?」


 それは俺にもわからん。


「とにかく! 私はルーヴィ様のお側を離れるわけには――」

「側に居た所で、貴女に出来ることなんてないでしょう」


 バッサリと、今まで誰も言わなかったことを、クルルは断じて言い切った。


「――――――――」

「貴女は無力な子供。出来ることは〝守ってもらうこと〟だけよ」

「ね、姉様、いくらなんでも――――――」


 思わずギルクが口を出すが、それで止まる理由も、意味もない。


「だから言っているの。学びなさいと。大人になった時にどんな力を手に入れられるかは、今無力な貴女が、どれだけ足掻くかで決まるの」

「貴女が洗礼をうけて、ヴァーラッドの推薦で、名門を卒業したという箔をつけた司祭として独立すれば、その立場から【聖女機構(ジャンヌダルク)】を支援出来る。故郷を追われた少女たちの受け皿になれる。簡単な道ではないけれど、このままじゃ、また別の所で、同じことが起こるだけよ、違う?」

「それ、は…………」


 違わない。俺ですら言い切れる。今回は、たまたまクレセンにとって巡り合わせが良かっただけだ。


「…………無理強いはしないけれど、ハクラさん達には今日の昼前には出発してもらうから、一緒に行くなら悩む時間はあまりないと思って頂戴」

「……………………いや急だな!?」


 いきなりこっちに話題が飛んできたので、焦った。馬車にはまだ食料も水もそれなりに残っているとは言え、パズにもう少しは滞在するつもりだった為、消耗品の買い替えやら、荷物のまとめやら、旅支度は何も整えていない。


「だから朝早くから呼び出したのよ。すぐに準備して頂戴、貴方達が使ってる部屋、午後から人を入れたいの」

「だったらもうちょい早く説明しとけよ! さっさと宿引き払わねえと……」

「わかりましたハクラ、食料調達は任せてください!」

「ああ頼――――いやまてお前に任せると高いもんばっか――――」

「それじゃあ失礼します! クルルさん、色々ありがとうございました!」


 風のような速さで、リーンは飛び出していった。あの野郎。


「どういたしまして。……話は以上。わかったら準備をしなさい。時間は有限よ、大事に使うこと」


 そして最後に、とびきりの冗談を思いついた時の様な顔で、笑いながらこういった。


「貴方達の旅に、女神の加護がありますように」



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