助けるということ Ⅵ
◆
パズの教会の聖堂には、かなりの人数の人間が集まっていた。俺とリーン、ギルク、クレセンやラーディアを含む【聖女機構】の修道女十五名、ギルドに乗り込んできたらしい教会騎士が総勢八名、教会で元々暮らしていた修道女達も両手の指では足りない。そこに領主であるクルルが加わる。ちょっとした立食パーティでも開けそうな状況だが、空気はそりゃあもう殺伐としていた。
「……………………」
「……リーン?」
俺の隣に居るリーンが、ぎゅっと手を握ってきた。
何だと思って目を向けると。
「すやぁ……」
「…………」
あまりに話に興味がないのか、夢の世界に旅立っていた。この野郎。
「これはこれは、皆様お揃いで」
最後に現れたのは、ロスロ神父だった。恐らく何かしらの不幸な事故があって腰を負傷したのだろう。
修道女二人に支えられて、怒りに満ちた笑みを、主に俺達に向けた。人間は笑顔の仮面を被りながら激怒出来るという、証明のような面だった。
「申し訳ありません、ロスロ神父、お忙しいところを」
クルルが言うと、ロスロ神父はいえいえ、と首を横に振った。
「こちらこそ、女神の意思に背いた不届き者をこの場につれてきてくださって、感謝致します。拐かされた修道女も、ええ、無事で本当に良かった」
クレセンとラーディアを睨めつけるその視線は、とても無事で良かったと思っている様には見えなかったが、誰も何も言いはしなかった。
戸惑い、怯え、身を寄せ合う【聖女機構】の少女達が、身を竦めた気配を感じる。クレセン達が危惧していた通り、二人が居なくなった後もそれなりの扱いを受けていたのだろう。
「ですが……そこの冒険者が、事もあろうに帯刀したままそこに立っているのはどういうことですかな? てっきり、拘束した上で引き渡してくださるものと思っていましたが」
「事情を伺ったところ、その必要はないと判断致しましたので」
きっぱりと言い切るその口ぶりは、味方になるととたんに頼もしい。ぴくぴくと、ロスロ神父のこめかみが細かく上下した。
「それは……一体……つまり、クルル様は冒険者をかばい立てするおつもりなのですかな?」
「いいえ、私は、どちらにも属しません。ただの仲介役です」
「……? どういう意味で――――」
「ギルク」
返答の代わりに、クルルは妹の名前を呼んだ。入れ替わるように、ギルクが前に出る。
「後は貴女に任せます」
「は……?」
「お久しぶりです、ロスロ神父」
スカートの代わりに、裾の広いコートを摘んで一礼する仕草は、まさしく優雅な貴族のそれだ。顔見知りと言っていたから、当然向こうもギルクの事は知っているだろうが、何故この場に出てくるかまではわかっていないだろう。
「……申し訳ありません、少々混乱しているのですが、つまり?」
「この一件に関しては、私が一任されたということです、ロスロ神父」
ギルクが笑みを崩さず言うと、ロスロ神父の表情が面白いように変化していく。
困惑から動揺へ、動揺から怒りへ。ギルクに話を投げたクルルは、そのまま腕を組んで動かない。パズの立場は完全に、ギルクに委ねられた。
「何故、そのようなことに?」
「今回の一件は、そもそもの発端をたどれば私が原因だからですよ」
それは突き詰めれば真実だが、この場に置いては偽りで構わない。
交渉のテーブルに立ち、言葉さえ通るのであれば。
「私が友である修道女、クレセン君を教会に連れて行ってほしいと、冒険者であるハクラに依頼したのはこの私、ギルクリム・オルタリナレヴィス・ヴァーラッドなのです」
それを聞いたロスロ神父の動きが、ピタリと止まった。
そう、冒険者と修道女に交友関係があれば、ロスロ神父は難癖をつけることが出来た。サフィアの信者ともあろうものが、という風にだ。
しかしギルクが噛んでくれば話が変わる。貴族と修道女の交流は咎められるものではないからだ。
「もし彼女に何かあったら、私のもとに連れて戻ってきてほしいとお願いしていたんですよ、そうだよね? ハクラ」
「ハイソーデス」
強引な展開だが、辻褄だけあってればそれでいい。予想通りロスロ神父は、とうとう笑顔を取り繕うことができなくなる。
「――――いい加減になさい!」
怒声が聖堂に響き渡った。ひ、きゃ、と小さな悲鳴が上がる。
「これ以上の茶番を続けるつもりなら、私にも考えがありますぞ。ギルク様。ええ、パズの街に私は正しい信仰を広めてきたつもりでした、ですがこの扱いはどうだ。ヴァーラッドの名が聞いて呆れますな! 私情に流され間違った判断をしている! 大体、妹君を矢面に立たせるとはどういった了見ですか、以前の町長ならこのような無礼な真似は絶対に――――」
あ、とギルクが口を押さえた。理由は明らかで、背後に居たクルルの眉が〝以前の〟の辺りで急激に釣り上がったからだ。
どうやら、クルルの逆鱗だったらしい。その威圧は俺達を前にしていた時とは比較にならない。執務室で相対した時は、全く本気ではなかったのだ。
要するに、本人が言った通り、妹に甘かったということなんだろう。
「今は、ギルクと教会の間での話し合いのはずですが――――」
ただ、その変化は、激昂したロスロ神父を、眼力と言葉で黙らせるには十分だった。
「――――夫が、何か?」
人間の声はこれほど冷たく、そして臓腑に突き刺さるものなのかと、俺はその日初めて知った。
「あ、いや、その……し、失礼した、決してその、侮辱や侮蔑の意味では、ええ、無いのです。私も、少し冷静ではなかったようだ、申し訳、ない」
その破壊力たるや、クルルより二回りは年上であろうロスロ神父が、まるで叱られた子供も同然だった。援護射撃を受けたギルクは、そのまま畳み掛けるように告げる。
「……ロスロ神父、それが務めであるとは言え、降って湧いた大司教の指示によって、急遽、修道女達の保護をしなければならなくなったお立場、お察し致します」
だから、ギルクの交渉の成果を打ち込むのはこのタイミングだ。
「ですので、如何でしょう。【聖女機構】の修道女の皆様は、我々の方で面倒を見させていただくというのは」
え? と声を上げたのは、当事者の修道女達だ。事前に話を聞いていた、クレセンとラーディア以外、お互いに顔を見合わせている。
最も、一番意表を突かれたのはロスロ神父に違いない。あんぐりと口を開けて、思わず『は?』という音が漏れ出た。
「教会が困っているのであれば、助けるのが貴族の務めです。こちらのラーディア君から伺いました。ロスロ神父が『突如押し付けられた十五名もの修道女を賄う余裕など、ありはしない』と仰っていたと」
ステンドグラスに女神像が飾られ、教会騎士をこれだけ常駐させ、でかい指輪をつけた神父が駐留している教会の財政状況が悪いはずがない。
だが、それはロスロ神父が同胞であるはずの修道女に語った言葉であり、この場では真実として扱われるだろう。故にパズの教会はこの申し出を断る理由がない。
「あ、いや、その…………なんだ、そのような、ヴァーラッドの方に、ご迷惑をかけるわけには……」
「女神サフィアは、困った時こそ助け合えと仰っております。元はと言えば、私の過ちから始まってしまったすれ違いです、未熟なこの私に、信仰を育む機会を与えてくださいませんか?」
「ぬ、ぐ、お、む、むう………………」
【聖女機構】の少女たちが、どんな扱いを受けても逆らえなかったのは、教会以外に寄る辺がなかったからだ。
もしヴァーラッドという後ろ盾が出来れば、修道女達はどの様な扱いを受けていたかを訴えられるようになる。
洗礼を受けていない修道女達の訴えであっても、貴族経由でサフィア教の本部に伝われば真実味を帯びるだろう、そうすると、今度は街の教会の主という立場が危うくなりかねない。
「ああ、勿論」
言いよどむロスロ神父に畳み掛けるように、ギルクは言葉を重ねた。
「彼女達は敬虔な女神の信徒ですから、きっとこの街の教会を誇らしく思うでしょう。きっと、ルーヴィ特級騎士にもその様に伝えるかと」
直訳するとこういうことだ。
〝大人しく言うことを聞けば黙っててやるぞ〟。
「さあ、ロスロ神父」
ギルクは、白い手を差し出し、微笑んだ。
「〝立場の違う私達が、手を取り合い歩めること程、素晴らしい事はない〟そうですよ?」
それが聖句の一節であることを、後で聞くまで、俺は知らなかった。
◆
結果から言うと、俺の首は無事に繋がった。ロスロ神父はギルクの提案を飲み、【聖女機構】の修道女たちはしばらくクルルの下で保護される事になった。
迷惑をかけたのは事実なので、後でギルドに謝罪に行く必要があるが……。
勿論、一番割りを食うのは、これから十五人の少女達を食わせねばならないクルルだが、領主邸にぞろぞろと並んで戻って早々、広いロビーに関係者を集めて言った。
「今回は成り行き上、私が貴女達の面倒を見ることになりました。あえて言うけれど、ロスロ神父の言うことにも一理あるわ。働かないものに与える食事は、我が家にはありません。しっかりと働いてもらうわ」
ラーディアを右端に、横一列に並んだ少女達を一瞥したクルルは、
「貴女、読み書きは出来る? 計算は?」
と、左端から尋ねてゆく。問われた方はピンと背筋を伸ばして、大きな声で言った。
「は、はい! 汎用語と旧西方大陸語が出来ます! 計算は四則演算までなら」
「それなら書類仕事を任せても大丈夫ね、貴女は? 出来ることは?」
「そ、その、針仕事でしたら……ぬ、布も、簡単なものなら、織れます」
「なら針屋の組合に連れて行ってあげる、貴女は?」
「村に居た頃は、家畜の世話をしてました、牛の扱いなら……」
「そう、そっちの貴女は?」
「パ、パンを焼くのが得意です、薄いパンも、膨らむパンも」
「なら厨房にまわってもらおうかしら、一人、結婚して辞めてしまったのよね。貴女は?」
「こ、子供の世話なら……兄弟が多かったので、とても」
「そう。丁度いいわ、子守をしてくれる人が欲しかったのよ」
一人ひとりの得意分野を聞き出して、仕事先を割り振っていく。パズの最高責任者だけあって、仕事の伝手などいくらでもあるのだろう、次々与えられていく役割に、修道女たちの表情は、意外な事に喜びの色が強くでていた。
「貴女は?」
質問が回ってくると、クレセンは少しだけ黙って、それから。
「……読み書きと計算なら。あとは……聖句を暗唱出来ます、祝福の言葉も知っています、洗礼は、受けていませんけど」
と、申し訳無さそうに言った。それは教会においては有用な技能だが、まさにその教会から飛び出す形になった現状では、活かすのが難しい能力ではある。
「そう、じゃあ貴女にも書類仕事を手伝ってもらおうかしら」
特に落胆するでもなく、クルルは仕事の割り振りを続ける。ラーディアまで一通り聞き終えると、あらかた考えがまとまったらしい。
「今日はもういいわ、夕食は日が落ちてから、部屋に運ばせます。とりあえず休んで頂戴」
緊張が解けない修道女達に向かって、クルルは、ニコリと微笑みかけた。
「明日から、ちゃんと働いてもらうから、堂々と食事を摂りなさい。後ろめたい想いをしながらする食事ほど、意味のないことはないわ。わかった?」
初めて、この領主がギルクに似ている、と思った。
安堵からか、泣き出す娘まで居る始末だ。
「では、本日は解散とします。わからないことがあったら使用人に聞きなさい。ギルク、あなたはちょっと私の部屋まで。話があるわ」
「あ、うん、はい………………確認したいんだけど、お説教だよね、多分」
「理解の早い素敵な妹で、私は嬉しいわ」
クルルに連行されながら、こちらに仕草で『また明日』と告げるギルクを見送ったのを合図に、それぞれ割り振られた部屋に、修道女達は荷物を持って移動を始めた。これでようやく、一段落だ。
「あの」
その内、クレセンとラーディアが、俺達の下にやってきた。まず口を開いたのはラーディアで、俺を見て、静かに頭を下げた。
「……ありがとうございました、ご迷惑を、おかけしました」
「全くだ、もうこんなのはゴメンだぜ」
肩を鳴らしながら呟くと、リーンが俺を横目で見ながら、呆れたように言った。
「何をやり遂げたみたいに言ってるんですか。ハクラ、何もしてないじゃないですか」
ん? と、全員の視線が、リーンに集まった。
「いや、そんな事は…………」
「教会と話をつけたのはギルクさんで、皆さんに住居を提供したのはクルルさんです。ハクラはただ、問題を起こして後始末を投げただけです」
本当だ。
やばい、ずっと現場に居続けたからすっかり何かした気でいた。
「…………いや、でもほら、やっぱあそこで助けてなかったら、不味かったろ?」
クレセンに助けを求めるように目を向けると、あろうことかこの髪の毛ツイストパンは、顔をぷいっと背けて、生意気に言い放った。
「助けてくださいなんて、頼んでませんっ」
「………………あぁ、そうだったな、そうだったよ」
「あーっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」
リーンはまたも大爆笑していた、今回は笑ってばっかだな、お前。
「………………最悪だ…………」
自分の尻を拭えなかった冒険者ほど情けないものはない。
「……ん?」
肩を落とす俺を、くい、と引っ張る感触があった。
クレセンの指が、マントの端をつまんでいた。
「…………助けてくださいなんて、頼んでません」
ひまわり色の瞳を、逸しながら、同じ言葉をもう一度言って。
「…………けど、助けてくれて、ありがとうございました」
ぷいと体ごと顔を背けて、ラーディアの手を引いて、割り振られた部屋に向かっていく。
「……素直なとこあるじゃねえか、なあ?」
俺が言うと、リーンは先程の大爆笑はどこへ行ったやら、むむ、と納得行かなそうな顔をしていた。
「ハクラの、ばぁーか」
べー、と舌を出すリーンを見て、とりあえず今夜はリーンの機嫌の取る為に、飯を豪華にしないといけないのか、と思うしかなかった。