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助けるということ Ⅴ


 ◆


 質実剛健、華美な要素はすべて削ぎ落とし、使い勝手が何より優先される。

 つまりこの部屋の主は徹底的な合理主義者であることが、嫌でも伺える空間だった。冒険者でも、ここまでやりはしないだろう。

 ヴァーラッド辺境伯の長女、クルル・ヴァーラッドは、前・パズの町長の息子に嫁ぎ、そのまま仕事を奪い実権を握った、バリバリの実業家だそうで、俺の知っている範囲で言うと、エリフェルをもっと真面目方向に尖らせたような女だった。


 ギルクの髪の毛を腰まで伸ばし、もう少し印象をきつくした感じの外見をしている。若く見えるが、二児の母で、二ヶ月前に三十歳を迎えたばかりらしい。


 椅子に座っていても背筋がピンとしているので、体躯の小ささを感じさせない。片眼鏡(モノクル)越しにイライラとした素振りを隠さず、トントンとつま先で床を叩く音が響く。


 俺とリーンは窓の一つもない四角形の部屋の、唯一の出入り口の前に立ち、数歩前に居るギルクの背中を見ていた。


(まずいですよハクラ)

(何がだよ)

(私が一番苦手なタイプです!)

(奇遇だな、俺もだ)

「そこ」

 ひそひそと言葉を交わす俺達を、ぴしゃりと一刀両断する鋭い声。


「冒険者に礼儀を求めてはいないけれど、言いたいことがあるならはっきり言いなさい」

「「すいませんごめんなさいなんでもないです」」

 俺とリーンの声が揃った。仕事という関係性があったエリフェルと違う〝貴族〟が放つ凄まじい威圧感。

 何せ、実の妹であるギルクの背中が、俺達が見ていてもわかるぐらい縮こまっている。


「…………さて、ギルク。ギルクリム・オルタリナレヴィス・マルグレヴナ・レレント・パズ・ククルニス・ラディントン・ヴァーラッド」

 貴族は、自らの家系が統括する領地が出身地名の前に入るため、本名を正式に名乗ると非常に長くなる。なので個人で呼び合う時は、基本的に愛称や略称を使う。

 そんな連中が、わざわざ相手のフルネームを言い放つ時。それは極めて真面目な、〝洒落の通じない〟会話である事を示す、というのをラモンドから聞いたことがある。


「先程、耳にしたのだけど、何でも冒険者が、礼拝時間外の教会に無許可で立ち入り、修道女を拐って逃げたそうね」

「は、はい」

 応答するギルクの声は、上ずっている。確か末っ子だから甘やかされてるとか言う話を聞いた記憶があるのだが、少なくとも目の前にいる長女はそうではなかったらしい。


「大変な問題だわ。ただでさえ考えることが多いのに、頭が痛くなりそうよ、耳の穴から木の杭をねじ込まれている気分」

「わ、私もそう思うよ、うん、とても大変だ――――――」

「何より、一番私の頭を悩ませるのは、いつも貴女なのよね、ギルク、ギルクリム。ラディントンには向かうなと、私も、お父様も、厳しく言い含めたつもりだったのだけど、それは私の記憶違いだったかしら」

「―――――き、記憶違いでは、はい、ないです……」

「なのにあなたは少し前から行方をくらました。どれだけ心配したかわかる? ええ、ラディントンからこちらに向かっていると聞いた時は、耳を疑ったものよ。まさか、と思ったわ」

「その節は、大変その、ご心配をおかけしたかな……という気持ちは、あります……」

 ギルクがどんどんとしぼんでいく。ラディントンで見た、快活で、強い意志に満ちた貴族の子女はそこに居ない。ただの叱られている子供だった。


「だと言うのに、パズに戻ってきて早々、あなたはこういうのね。――そこにいる冒険者の起こした不祥事をなんとかしてくれと」

 そこでクルルの視線が、ギルクから、その背後に居る俺に移った。


「はぁ………………………………………………殺してもいいかしら?」

「姉様!?」

「全部すっ飛ばしてきたな……!」

 長い沈黙の後に放たれた、容赦なしの死刑宣告だった。


「私がパズの統治者としてこれからすべき最適解は、そこの冒険者を拘束して、秘輝石を抉り取ってロスロ神父に引き渡す事よ」

 それは有り体に言って、俺の持っている全てを根こそぎ支払わせて手打ちとする解決法だった。

 町長兼領主と謁見するのに武器を持っての入室は当然許されていないので、〝風碧〟もないし、リーンも杖を持っていない。その上、ギルクのコネでとった宿屋は姉であるクルルもその把握しているわけで、馬車と、ついでにクレセンとラーディアまで事実上、抑えられている。

 なんとかこの場を切り抜けて町の外に逃げおおせても、それはそれで貴族の面に泥を塗ったことになるわけで、無事に逃げおおせるのは不可能だろう。

 つまりここに来た時点で、ギルクがなんとかクルルを説得出来ない場合、俺達は詰む。


「ま、待って姉様、ハクラのやり方は問題があったかも知れないけど、でも修道女達の受けていた扱いは酷――――」

「働くということは大なり小なり、不合理や不条理と向き合う行為でしょう。その扱いの正否を問うつもりはないわ。仮に私が教会に物申したとして、今度はヴァーラッドとサフィアの争いになるわ。冒険者に――ギルドに加担したことになるのだから」

「そ、それは…………」

「今の世の中、ギルドの持つ戦力――冒険者を当てにせずに、民を守ることは出来ないわ。かといってこの土地では、サフィア教が及ぼす力もまた大きい。だから私はそのバランスを取っているの。それが北方大陸(オルタリナ)南部の入り口である、パズの領主としての私の役割」

 バランスを取る、と口で言うのは簡単だが、それは並大抵の苦労ではない筈だ。

 どちらにも極端に与さず、しかし手放さず、利益を調整し、お互いの存在を成立させる――それも、目に見えない、人や組織の感情を相手にだ。


「冒険者一人と修道女二人を守る為に、このバランスを崩すことは出来ないわ。それとも」

 片眼鏡の向こうで、冒険者なんぞより、よほど合理的な現実主義者の瞳が細められた。


「それを飲み込んで私を動かせるだけのメリットを、提示できるかしら」

 それから十秒ぐらい、室内を沈黙が包み込んだ。


「…………姉様は、何が欲しいの?」

「それを交渉相手に聞いてしまう時点で、貴女は貴族失格よギルクリム」

「……っ!」

 やがて、口を開いたギルクだったが、クルルはそれをバッサリと斬り捨てる。

 妹だから、家族だから、といった情は、そこにはなかった。机の上にあるのは常に物量の決まった現実であり、そのパイをどうやりくりするかが領主の仕事だ。


「んー…………………………」

 不意に、リーンが首を傾かせて、眉根を寄せ、ギルクの肩をとんとんと叩いた。


「ギルクさん、ギルクさん」

「っ! な、なんだい、シュトナベル君」

 振り向いたギルクに、リーンは指を立てて。


「ギルクさんらしくないじゃないですか。私に啖呵切った時の貴女はどこにいったんです」

「……そう、かな?」

「はい、私は、ギルクさんの美点は手段を選ばないところだと思ってます」

 仮にも、本人の姉が目の前にいるにしては、あまりにもあまりな事を言った。


「手段を、選ばない……」

「ついでにいうと、私、一つ嘘を吐いていたんですけど」

 悪戯を思いついたような顔で、リーンが、そっと耳打ちすると。

「実はあの本、()()()()()()()()()

「――――――!?」

 ギルクの目が、大きく見開かれた。俺でギリギリ聞き取れる程度だったので、クルルにはわからなかったのだろう、怪訝そうな表情を浮かべた。

 もっとも、驚いたのは俺も同じだった。あの女デタラメとかほざいてたくせに。


「ギルクさんは、ラディントンの為に何をしようとしましたか? 何を思ってましたか?」

「それは…………」

「大体ですね、ギルクさんは、お姉さんへの甘え方が間違ってるんですよ」

「…………甘え、方?」

「はい。私も妹がいるからわかります。もっと、()()()()()()()()()()()()()()よ」

 交渉相手を目の前に、よくもそこまで言えたものだと言いたげに、クルルの視線がリーンを追い、リーンはべー、と舌を出した。相手が既得権益の権化のような貴族だったら首をはねられそうな無礼だった。


「…………はは、そうだった」

 こわばっていた身体から力が抜けて、ギルクは大きく深呼吸した。


「忘れてた。私は一度死んだも同然で、二度も、君たちに助けられていたんだった」

「そうですよ、大恩人ですよ。感謝してください」

 この局面でこのセリフをぶっこめるのが、リーンという女だった。


「だから、ちゃちゃーっと私達を助けてくれると嬉しいです」

「簡単にいうなぁ」

 それから、ギルクは頭をガシガシと掻いて、両頬をぱんと叩き、もう一度、大きく大きく深呼吸して。

 姉に向き直って、言った。


「交渉がしたい、クルル姉様。クルルギム・オルタリナレヴィス・マルグレヴナ・レレント・パズメリナ・ククルニス・ラディントン・ヴァーラッド」

 対して、クルルもまた、大きく息を吐いた。リーンから、ギルクへ視線を移す。


「…………いいでしょう、聞くだけは聞くわ」

「まず第一に、ハクラを助けて欲しい。彼の行為は問題だったけど、正当性もあるものだ。彼がやらなかったら私が同じことをしていた、それぐらい、ロスロ神父の行為は悪辣だ」

「その対価に、貴女は何を払えるの? 私の知る限り、ギルク、貴女には資産も何も無いはずだけれど」

「いやだなあ姉様、この体があるじゃないか」

 ギルクは、こともなげに言ってみせた。


「姉様の都合がいい、姉様の望む家に嫁ぐよ。ファイクでもシホンワフルでもいい、なんならサフィア教に入信して修道女になってもいい」

 それを聞いて、驚いたのはクルルも、俺も同じだった。リーン一人だけ、うんうんと何故か得意げに頷いていた。


「お、おいギルク、いくら何でも――」

「ハクラ、ちょっと黙っていてくれないかな。これは私と姉様の話だ」

 ギラギラとした焔を目に宿らせて、俺の言葉を遮った。


「そもそも悪魔に純潔を捧げようとした私が、今更相手を選ぼうなんて笑える話じゃないか。使えるものは何でも使うべきだったんだ」

「――――!? ギルク貴女!」

 悪魔に純潔を捧げる、即ち魔女になろうとしたという事は、流石に知らなかったらしい。もし知っていたとしたら、何が何でも止めていただろう。貴族の身内から魔女を出せば、どんな問題に発展するか想像するだけでも恐ろしい。


 それだけリスクのある行為を、そうだ、ギルクはやろうとしていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 求める結果のために、()()()()()()()。使えるものは何でも使う。


「うん、ごめんね姉様、私はやっぱりラディントンを見捨てられなかったんだ。だけど――――」

 苦笑しながら、ギルクは続けた。


「そんな愚かで後先を考えない、向こう見ずな私を助けてくれたのが、ハクラや、シュトナベル君に――――クレセン君なんだ」

 この場にいない修道女の名前。事件の被害者で、当事者。


「ハクラが連れ出してくれた、教会で不当な扱いを受けていた修道女の一人さ、ラディントンの皆を、この私を、己の信仰に背いてまで助けようとしてくれた、私の大事な友人だ。私がやろうとしたことを考えれば――彼女は、ヴァーラッドという家、そのものを救ってくれたと言っていい」

 あまりに暴論、自分の首に突きつけたナイフを向けて、脅しているのと変わらない。

 だけどそれが、ギルクが今出来る最大の交渉なのだ。


「彼女を助けたいんだ、姉様」

 姉の目を見据え、先程まで萎縮していたとは思えない、堂々とした口ぶりと態度で。


「ギルクリム・オルタリナレヴィス・マルグレヴナ・レレント・パズ・ククルニス・ラディントン・ヴァーラッドは、彼らに一生かけても返しきれない大恩がある。そのためなら何でもするよ」

 そう言い切った。


「もし姉様が手を貸してくれないなら、私は使える手段を何でも使う。父様の名前を借りることも厭わない」

「……あ、貴女ねえ」

 ヴァーラッド辺境伯の名前を借りれば、恐らくパズの教会は黙らせられる。そのしわ寄せは当然、パズを直接統治するクルルに跳ね返ってくる。そして実の姉ならばわかっているだろう。ギルクは恐らく、本気でやる。


「………………ハクラと言ったわね、貴方」

 僅かな沈黙の後、矛先が俺に向かった。


「ああ」

「貴方は自分がしたことを、正しいと思っているの?」

 俺は鼻で笑って、貴族様に向かって吐き捨てた。


「知らねえよ、考えたこともねえ」

「あっはっはっはっはっはっはっはっはっは」

 リーンが両手を叩いて爆笑した。こいつは本気で面白いと思っていそうだ。


「考えがあるんだ、姉様には、交渉の土台を作って欲しい」

 それからギルクが語った内容は、確かに上手くやれば、問題をすべて片付けられるアイディアだった。

 問題があるとすれば、一番負担が大きいのは、当然のように町長であるクルルであるということだ。


「…………ギルク」

「何だい、姉様」

「一発殴らせなさい」

「え」

 クルルはゆっくり立ち上がると、つかつかとギルクに近寄って、人が手で人を叩いたとは思えない、ゴギャ、という鈍い音と、悶絶する唸り声が部屋に響いた。


「貴女に求める対価は、また後で考えるわ。無事に済ますつもりはないから、覚悟なさい」

 そう言ってから、頭を抑えるギルクを、両手で抱きしめた。


「うううう……ね、姉様……」

「………………無事に帰ってきてくれて、本当に良かったわ」

 領主ではなく、姉として、死地から戻った妹を慈しむ言葉。ギルクも、やがて応じるように、クルルの体を抱きしめ返した。


 家族愛、というのだろうか。それは、俺には縁のないものなので。

 なんとなく、眩しく映った。


「……ハクラさん、それから、リーンさん」

 それから改まって、敬称をつけて俺達の名を呼び、そして丁寧に頭を下げた。


「私の妹と、第二の故郷ラディントン、そしてそこに住まう民達を守っていただいた事、ヴァーラッドの人間として、お礼を申し上げます。本当に、ありがとう」

「ね、姉様、じゃあ…………」

「……はぁ、協力はしてあげるわ。仕方ないじゃない、そちらのリーンさんが言ったことが、正解よ」

「へ、私ですか?」

 心当たりが無いのか、不思議そうな顔をするリーンに、ええ、とクルルは頷いた。


「私は姉だもの。妹を守るのは当然でしょう?」


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