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助けるということ Ⅱ


 ☆


「すいませんっ、すいませんっ!」

 聖堂に入った私の目の前に飛び込んできたのは、必死に頭を下げる、ラーディアの姿だった。

 【聖女機構(ジャンヌダルク)】の中では、ルーヴィ様を含めても一番の年長で、頼れるお姉さん。

 そのラーディアが、謝っている相手は、私が馬車を借りに来た時に門前払いした、あの神父だった。


「全く、鐘の一つもまともに鳴らせないとはねぇ。一体何なら出来るというのですか? あなた達は」

 高慢で、優しさなんてどこにもない、冷めた目で、ラーディアをなじっていた。

 ぐいと髪の毛を掴んで、引っ張って、無理やり顔を起こして。


「良いご身分だ、羨ましい。是非私もあなた達の様になってみたいものだ。無責任に、与えられるものを受け取り、何ひとつ恥じる事無く生きる、まるで一国の王のようではないですか?」

「何を――――」

 声を上げたのも、二人の間に割り込んだのも、考えがあるわけじゃなかった。勝手に体が動いていて、勝手に叫んでいた。


「――――しているんですかっ!」

 相手が誰だとか、そういう事も一切考えていなかった。

 でも、ラーディアは泣いている。

 いつでも私達を励まして、助けてくれたラーディアが泣いている。そんなの許せない。


「おや、誰かと思えば」

 【聖女機構(ジャンヌダルク)】の名前の下にチーズを徴収した私を、忘れたりはしなかったらしい。


「ク、クレセン……? あ、あなた何時……」

「たった今です! それより、どうしたんですかラーディア! 何でこんな事――――」

「どうした、とは失礼な物言いではありませんかね」

 神父は、これみよがしに大きなため息を吐いて、私を見下ろした。

 望むところだ、と睨み返すと、今度はふん、と鼻で笑う。


「私は哀れな子羊に仕事を与えていただけです。鐘を鳴らし、人々に昼の区切りを伝える……その程度の仕事すらまともにこなせない者を叱るのは、当然でしょう。名高い【聖女機構(ジャンヌダルク)】の修道女が聞いて呆れるではないですか。下働きの娘ならば、子供でもこなせる作業だと言うのに」

「そん――なっ!」

 何てことを、と言う思いで、頭が一杯になった。

 だって()()()()()()()()()使()()()()()()

 不当な魔女裁判で、何度も火串を射されて、ほとんど神経が焼ききれてしまっているんだ。

 日常生活は問題ないけれど、鐘を鳴らすためのロープを持って、大きく揺らすなんて出来っこない。

 だから、私は走ってきたのだ。なんでラーディアがあんな事をって。


「それでいて食事は一人前に摂るというのだから、厚顔無恥とはこのことですな。私ならば己の未熟と不出来を恥じ、辞退する所です。まぁそう言った不純な心持ちであるからこそ、仕事ができない、と言えなくもないですが」

「なっ、あっ、なっ、うっ……」

 怒りが限界を超えると言葉が出てこなくなる。感情が詰まってしまう。行き場がなくなった力は、握った手に込められた。

 今すぐこいつをぶん殴ってやりたい! けど、それは出来ない。やってはいけない、それぐらいはわかる。


「…………っ、ラーディア、ルーヴィ様は、どうしたの?」

 私は、聞かなきゃ行けなかったことを聞いた。

 私達【聖女機構(ジャンヌダルク)】が、どこでだって歓迎されてないことぐらいは、知っている。

 けれど、ルーヴィ様が居たなら、こんなことにはなってないはずで、それはつまり――――。


「クレセン、ルーヴィ様は……その……」

「ルーヴィ・ミアスピカ特級騎士なら、ミアスピカ大聖堂に招集されましたよ」

 言いよどむラーディアを遮って、神父がそう言った。


「コーランダ・ミアスピカ大司教、直々のご命令で。先日発っていきました。なんと献身的なことでしょう、女神の信徒であれば、当然のことではありますが、あの方の働きを我々も見習わねばなりませんなぁ」

 にやにやと、口の端を釣り上げて。


「ただし【聖女機構(ジャンヌダルク)】の同行は認められない。本隊はパズで待機で待機せよ、との事です。おわかりですか? お嬢さん」

 大司教。世界でも両手の指で数えられるほどしか居ない、サフィア教で最も偉い役職。つまりサフィア教会が出す、一番強制力の強い命令。特級騎士であるルーヴィ様といえど従わねばならない。

 そして。


 ミアスピカ大聖堂は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 私達は、着いていくことが出来ない、待っているしか無い。


「とはいえ、我々も日々の生活を、信徒たちから頂いた糧で賄っている身でしてねえ」

 大きな宝石のついた指輪をはめた手で、顎の髭を撫でながら。


「突如押し付けられた十五名もの修道女を賄う余裕など、ありはしないのですよ。ええ、当然でしょう? ですから仕事をしてほしいと言っている。それすらこなせないとなると、全くルーヴィ・ミアスピカ特級騎士は、一体直属の部下にどのような教育を施していたのか、という事になります。私の言っていることはおかしいですかねえ、お嬢さん」

 そう言った。


「そん、な……」

 ルーヴィ様が居ない【聖女機構(ジャンヌダルク)】は、今日の食事を賄う日銭を稼ぐことすらままならない、少女達の集まりだ。

 私達が弱くて、役に立たないなんて、誰より私達が知っている。


 ラーディアだけとは思えない、十五人は私も含めて、今現在居る、【聖女機構(ジャンヌダルク)】本隊の総数だ。他のみんなも見えないところで、同じ様な目にあっているんだろう。


「それにしても、残念ですな。もしあなた方が本物の女神の信徒であれば、ルーヴィ特級騎士一緒について行けたでしょうに」

 何でそんな事をするのか。決まってる。

 私達が洗礼を受けていないから。()()()()()()()()

 ずきりと、胸が痛む。鈍いしびれが広がっていく。


「おや、そう言えば、我々の教会から持ち出したチーズはさぞ美味だったのでしょうなあ。いえ、【聖女機構(ジャンヌダルク)】が欲しいというのでしたらもちろん、差し出しますのが信徒として当然の努めですが」

 そして――――仲間じゃないなら、人は、敵かそうでないかを判断する。

 敵対してしまったのは私だ。

 私のせいだ。


 私が、【聖女機構(ジャンヌダルク)】の名前を使って、この教会の神父に恥をかかせたからだ。


「お嬢さん、良いですか? 過ちを犯した時はまず、自らの罪を認めることが肝心です」

 その言葉が、年幼い娘の分不相応な行動を諌め、正しく導くために放たれているのなら、どれだけ良かっただろう。


「頭を下げ、謝罪し、その意志が相手に伝えられるよう、誠心誠意尽くすこと。そうすれば、何れ思いは通じ、許される時が来るでしょう」

 だけど、その言葉を放つ神父の表情は、強者が弱者を踏みにじる時特有の、傲慢で、醜い愉悦に満ちている。

 確信できる。だって、何度も何度も私を殴りつけた両親(クズ)と、同じ顔をしていたから。

 誰がお前なんかに。

 皆を守らなくちゃ。

 息が詰まる。思考が回らない。

 行き場のなくなった感情の全部が、目から溢れ出しそうになった時。


「よし、話はわかった」

 私の頭を、大きな手が叩いた。


「俺が代わりに答えてやる。――――うるせぇ黙れ」


 ◆


 考えてみればおかしな話だ。最初は間違いなく対立していたし、別に今も仲が良い訳ではない。友達という関係でもないし、まして保護者でも無い。

 なので合理的に考えて、俺が口を挟む理由は何もないのだが、何故こんな真似をしてるんだろうか。

 考えても仕方ないことは考えないことにしよう、極めて合理的だ。冒険者万歳。


「だ、誰だね君は! 門番は何をしてる!」

「昼寝の時間だってよ、福利厚生がしっかりした教会じゃねえか」

 それから、俺は右手の秘輝石を見せた。


「冒険者だよ、安心しろ。長居はしねぇしすぐに帰る」

「ぼ、冒険者が一体何の用…………どわぁ!?」

「何って、善良な市民が落とし物を届けに来てやったんだろ」

 抱えていたチーズを、無造作に偉そうなハゲに投げつける。反射的に両手を出して受け止めようとして、重さに引っ張られて、そのまますっ転んだ。


「ごっはっ……!?」

「欠けた分は手数料ってことで勘弁してくれ。そんじゃこれで」

 そして、クレセンと、ついでに膝をついていた――クレセンがラーディアと呼んでいた修道女の手を引いて歩き出す。


「ちょっ、さ、触らないでください!」

 クレセン以上に敵対的なラーディアだが、そう言えばこいつからしてみると、俺は一貫して【聖女機構(ジャンヌダルク)】の敵だった。


「うるせぇなお前置いてったほうが面倒になるんだよ」

「な…………!?」

 冒険者の腕力に抵抗出来るわけもなく、ずるずると二人を引きずっていく。


「な、なに、何を、なー、何をっ、何をして、何をしてるんですかっ!?」

 一方、ろれつの回らないクレセンが、ようやく非難の言葉を吐いた。今まで俺が聞いたクレセンの叫びの中で、一番の大声だった。


「何って、お前がいきなり入って行くから追いかけてきてやったんだろうが」

「た、助けてほしいなんて、頼んでません!」

 せっかくチーズと引き換えに連れ出してやったのに、あまりな物言いだった。


「そりゃ悪かったな」

 大して悪いと思って無いが、一応口だけで謝る。

 また爆発しそうだな、と大声をもらう心づもりをしていたのだが。

 クレセンは手を振りほどかずに、強く握り返してきた。

 入り口の門番は、まだ昼寝をしていた。

 本当に良い労働環境だとつくづく思う。


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