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プロローグ Ⅱ


 ◆


 ギィギィという嫌な音は、空高く舞う飛竜(ワイバーン)の鳴き声だ。二、三匹がぐるぐると旋回しているのは、高い山や荒野なら、時折見かけることが出来る。


「レレントねぇ、パズを真っ直ぐ北だっけか?」

 ラディントンからパズへ向かう道すがら、俺達は馬車の中で昼食を摂りつつ地図を広げていた。

 馬車馬のニコは別段疲れた様子もなさそうだが、グラグラ揺れる荷台の上ではスープの一つも飲みづらい。


「そう。私の実家さ。ヴァーラッド領では最大の都だよ。ミアスピカへの中継点でもあるから、人は多いし賑やかだよ」

 ギルクは、故郷を自慢するようにそう言った。レレントへ向かうにあたって、裾の長い立派な革の外套に、丈夫なズボンとブーツに着替えても、食事の作法が上品なので育ちの良さを伺わせる。


「はて、ミアスピカ、ミアスピカ、どこかで聞いたような」

 一方、座れば床についてしまう長い金髪を、ぐるぐると肩の周りで適当に巻いて結んで、パンにハムを載せて頬張るリーンの姿は、まぁ冒険者のそれだった。別に品がないというわけではないが、人の目のあるところで外食するならまだしも、わざわざ仲間の前でそのあたりの所作に気を遣うのが面倒なんだろう。街で飯を食う時はちゃんとしてるし。


「何で覚えていないのですか! ルーヴィ様の出身地名(ホームネーム)です!」

 修道女のクレセンは、パンを少しずつちぎって口に運んでいる。そこだけ見ると小鳥のようだが、荒れた鶏よりも騒がしいのは知っての通りだ。


「ああ、そうでした。道理でふんわり忘れてしまっているわけです」

「何という罰当たりな……! ルワントン、エリン・メリンと並ぶ三大聖堂の一つ、ミアスピカ大聖堂がある聖地なんですよ! サフィア教徒なら死ぬまでに一度は巡礼しておかねばならない重要な場所です!」

 ルワントンと言えば、エスマで知り合ったデルグの出身地だ。北方大陸の最北端に位置するサフィア教の本拠地とも言える場所であり、そしてミアスピカはそのルワントンと並ぶほどの聖地だという。


「うぇー、絶対行きたくないんですけど……」

 つまり冒険者にとってはアウェイも良い所だ。珍しく、俺とリーンの意見が一致した。


「まぁ、私も行くのはおすすめしないかな……ただでさえ、今はピリピリしてるだろうから」

 ただでさえ関わりたくない教会にピリピリ、という形容詞が加わると、こんなにも近寄りがたくなる。普通に街で《冒険依頼(クエスト)》を選び、普通に魔物を倒し、普通に収入を得ていた頃が、もう遠い昔のことのように思える。


「ピリピリって、何か合ったんですか?」

 普段、世情に全く興味を示さないリーンがそんな事を言うもんだから、俺は思わず、緑色の瞳を凝視してしまった。


「な、なんですか。だってこの流れだと気になるじゃないですか」

「まぁそれは確かに……」

 まぁまぁとギルクが両手でリーンを御しながら、


「ミアスピカにはね、“女神の再来”と呼ばれる聖女がいたんだ」

「女神ぃ?」

 リーンが心底胡散臭そうに呟いた。正直、俺も似たような感想だ。


「酒場かどっかで、聞いた事だけはある気がするな……興味なかったからあまり覚えてねえけど」

「高位の司祭が集まっても難しいような、汚染されきってしまった土地の浄化や、不治の病や致命傷も一瞬で治してしまう、女神サフィア伝説さながらの奇跡を起こせるんだって」

 胡散臭さが跳ね上がった。俺達の界隈では、奇跡と言えばペテンのことを指すのだ。


「何を他人事みたいに言ってるんですか……ご自分だってクローベルで見たでしょう」

「それこそ、ありゃユニコーンがやったからだろ。人間一人に出来て貯まるか」

「あの噴火をたった一人で食い止めてしまうのも、私は奇跡の一種だと思うけどね」

 一人で止めた、と言うと語弊があるし、あれはあれで裏技みたいなもんだ。


『ギルク嬢』

 脱線した話をもとに戻したのは、意外なことに、尻が痛いからという理由でリーンの下敷きになっている、哀れにも潰れたスライムだった。


『何故過去形なのだ? 居た、というのは?』

 こいつにしては珍しく、随分と食い気味な質問だった。ギルクはああ、と元の話題を思い出し。


「ああ、ごめんごめん。その奇跡を認められて、若くして大司教の地位に名前を連ねる為に、各地の聖地を巡って祝福を授けてもらう予定――だったんだけどね」

 続きを引き継いだのは、クレセンだった。


「……エリン・メリン大聖堂を出発して、後はレレントで最後の儀式を終えて、ミアスピカに帰る――その途中で、魔物に襲われ、行方不明になってしまったのです。もう半年以上前のことになります」

「はあ」

「聖女、ファイア・ミアスピカ様が戻られないのは、サフィア教全体の損失です。どこかでご無事だと良いのですが……」

 そりゃあまた、世知辛いことだ。行方不明、とぼかしているが、それはつまり死体が見つかってない、というぐらいの意味なんだろう。


「女神の再来と呼ばれる程の力を持つ、新たな大司教が生まれれば、ミアスピカ、ひいてはオルタリナ王国の教会内での発言力は一気に強くなる――はずだったのに、それらは全部おじゃんになってしまって、聖女の母親にしてミアスピカ大聖堂のトップ、コーランダ大司教は大層悲しみになり、その反動で大変規律に厳しくなっているというわけ」

 ギルクが要点をまとめると、俺はそっと手を上げて言った。


「……なあ、それって暗殺――――」

「ふっ、不敬な事を言わないでくださいっ!」

 ……二人と一匹から始まった旅も、随分と賑やかになったもんだとつくづく思う。ただ、意外なことにこれを悪くないと思っている自分も居る。


 そもそも、冒険者と、魔女の末裔と、修道女と、貴族に、スライムとユニコーンだ。どんな旅団(キャラバン)にも派閥(ファミリー)にも、こんなパーティは無いだろう。


 というかこんなもんが沢山あっても困る。


『しかし、補給を考えると一度は街の中に入らねばならぬのではないか?』

「あはは……ミアスピカは聖堂都市(、、、、)だからどっちにしても冒険者が入るのは難しいかもね。ギルドもないし」

「アウェイどころじゃねえよ最悪じゃねえか」

 冒険者にとってギルドがない土地、というのは呼吸が出来ないのと同義だ。収入源が消え失せるし、預金も引き出せないし情報もまわってこない。サフィア教の信者が多い村や街では冒険者が邪険にされるのはよくあることだが、そもそも存在しないとなると、もはや近づくことすら自殺行為に等しい。


 それに、今はまだなぁなぁで見逃されているリーンではあるが、そんな環境にわざわざ乗り込むのは不味い、下手すると魔女の子孫と言うだけで私刑に処されかねない。

 …………というか俺が一番危険なんじゃないかという気がする。


「まぁまぁ。暗い話はここまでにして、まずはこれから行く場所に心を馳せておくれよ。特に、レレントと言えばやっぱり〝あれ〟だよ。是非直接見て欲しいな」

「へえ、何があるんだ?」

 俺がそう聞き返すと、ギルクと、続けて(ある程度説教を終えて満足したのか正気に戻った)クレセンがキョトンとした顔をした。


「し、知らないんですか?」

「そう言われても、俺は北方地方(オルタリナ)に詳しくねえよ」

 北から流れてくる冒険者と接する機会があまりなかったというのもあるが。

 しかし、それでは納得行かなかったのか、二人は未だに目を丸くしたままだ。


「…………そんなに有名なのか?」

「当然です。むしろ知らない人が居ることが驚きです」

「お前は口を開くと全方位に喧嘩を売らないと気がすまねえのか」

「教養の話をしているのです。これを機に【蒼の書】をめくってみてはいかがですか。女神サフィアも言っておられます、『同じ言葉を聞くのであれば、私はあなたの友となりましょう』と」

 【蒼の書】、というのは、女神サフィアの伝説やらなにやらが記されたサフィア教の教典である。今クレセンが語ったような聖句がずらりと並んでいるような本で、昔、教会で配っていた物を話の種にちらりと読んだ事があったが、全く興味をひかれず、結局破って焚き木の代わりにしてしまった。それを言うとこいつはまた大爆発しそうなので黙っておく。


「むしろ、私がこの目で直接見たいぐらいですけど……」

 クレセンは、パズで馬車を降りて、【聖女機構(ジャンヌダルク)】と合流することになっている。その後連中がどこに行くのかはルーヴィのみぞ知る、だ。


「おら、リーン、なにか言い返せ」

 とりあえずこのままでは分が悪いので、基本的に世情に疎いリーンに話を振った。ラディントンが温泉街になっていることを知らなかった女である。これで二対二になってバランスが取れるはず、だったのだが。


「ハクラ」

 事もあろうにこの女、にたりと意地の悪い笑みを浮かべやがった。


「私は知ってます」

「何でだよ!」

「あれー? ハクラ、知らないんですかぁー? あれだけ有名なレレントのあれを知らないなんてー、信じられませーん!」

「殴るぞお前!」

「ではではギルクさん、答えをどうぞ」

 俺が暴力に訴える前に、すすっとギルクに話を戻すリーンだった。促されたギルクは、こほんと咳払いをして、言った。


「ハクラ、レレントにはね……()()()()んだよ」


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