前へ次へ
80/168

エピローグ Ⅱ

「へーーーーー、それでオッケーしちゃったんですかーーーー」

 軋む体で湯に浸かった時の感覚といったら、初回の比ではなかった。体に染み入る熱でも、溶岩と温泉ではこうも違う。疲労を溶かし尽くす乳白色のお湯の効能に、俺は即座に眠りに落ちた。


「寝るなーーーーーーっ!」

 お湯をぶっかけられて、叩き起こされた。


「ぶは、だって仕方ねえだろ……ラディントンはラディントンで大変みたいだし」

 溶岩は食い止めたと言え、噴火で巻き上げられた灰やら、降ってくる岩石の類は対処のしようが無かったこともあって、建物がいくつか駄目になったり、道に大穴が出来たりしているらしい。死者も出なかったわけじゃあないし、そもそも今後、ラディントンで人間が生活していけるのか、という問題もある。


「俺らは明日ラディントンを出るんだから、連れて行ってやったほうが合理的だろ」

「そういう事を言ってるんじゃありませんっ!」

 ばしゃ、と再びお湯を顔面に受ける。熱いが、やはり心地良い。


「…………はぁ、で、リーン」

「なんですか、物言いによってはお湯に沈めますよ」

「物騒なこと抜かすな。…………()()()()()()()()?」

「ああ、そのことですか。意外と奇跡は大安売りしているということです、あるいは……」

 ふふん、と得意げに胸を張り、何かを誰かに伝える時の、いつものリーンの姿だった。


「情けは人の為ならず、ということです」

「……?」

 ほら、と指を立てて、くるくると渦を巻くように回す。


「クローベルではニコちゃんの親が治療してしまったので、ふわっと浮いてましたが、私がもらってきたユニコーンの角の欠片があったじゃないですか」

「あ」

 そうだ。リーンがアグロラ(と言うか俺)を散々煽り倒して居たあの時、こいつは既に角を持っていたのだ。


「一番角が立たないだろうってことで、私はそれを【聖女機構(ジャンヌダルク)】に渡したんです、提案したのはアオですけど……」

「……それを、ルーヴィが持ってたのか」

「いえ、持っていたのはクレセンちゃんです」

 それは、この場で出てくるには意外な名前だった。ユニコーンの角など、どんな宝石よりも高価で希少なお宝だ。修道女(シスター)に持たせておくにはあまりに荷が重すぎるのではないか。


「だから、お守りとして渡していたんですって。ルーヴィさんは事ある事に身体検査を受けるから、見つかったら取り上げられてしまうけど、末端のクレセンちゃんまでは、おえらいさん方は気が回らないそうで」

 リーンが腕を伸ばして伸びをした。ちゃぷ、と水音が立つ。


「それに、いざとなったら、売り払っちゃえばクレセンちゃんは一人立ちできますから」

「…………なるほどな」

 ルーヴィなりの心遣い、だったのか。

 あるいは、単純に一人で任務に向かったクレセンを、本気で心配していたのかも知れない。


「角は元々ニコちゃんが継承するはずのものでしたから、ほんのかけらでも、死にかけの冒険者一人をもとに戻すぐらいの奇跡は起こせたというわけです。まー、おかげで、治癒の力はすっからかんですけども。……もう無茶はできませんからね」

「したくても二度としねえよ、流石にこりた」

「そうですよ、本当にもう」

 肩に、柔らかな重みがかかった。


「居なくなっちゃうかと思いました」

 力を抜いて預けられた体重は、疲れた体に対しても容赦ない。


「ハクラが、居なくなっちゃうかと思いました」

 けれど、支えないわけにもいかない。


「怖かったです、二度と、しないでください」

 どっちが首輪をつけているのか。


「……ああ」

 最初からわかりきっている事だった。


「…………ハクラ」

 そっと、湯で温まった指が、俺の方に触れた。

 僅かに染まった頬で、見上げてくるリーンの、緑色の瞳に、いつの間にか目が離せなくなっていた。


「今、私がしてほしいこと、わかりますか?」

 そんな事、考えるまでもない。


「リーン」

「ん」

「今日は文句を言わないから、好きなだけ食べていいぞ」

「ん……………………ん?」

「豚の丸焼きは、俺も食べそこねたしな。体力つけ直さねーと…………リーン?」

 体を静かに離すと、リーンはゆっくりと温泉から身を起こした。体に巻いた布越しに、二つの大きな山が見えた。


「リーン、どうした――――――」

「ハクラの…………」

 ああ。成程、俺は今、返答を間違えたのか。


「ぶぁぁぁぁぁぁぁぁぁかっ!」

 過去最大の勢いの湯の波に、疲れ切った体はなすすべなく飲み込まれるしかなかった。


前へ次へ目次