前へ次へ
76/168

故郷ということ Ⅵ



「ギルク様!」「大丈夫ですか!」「すぐに手当を!」


 ギルクが倒れているのを見るやいなや、慌てて駆け寄り抱き起こす街の人間達。ルーヴィはぽかんと口を開けていた。


「――何、を」

「ギルクさんは、この街全体の娘さんのようなものらしいので」


 対するリーンは、ウインクしながら告げた。


「危ない目にあっていると知ったら、駆けつけてくれる人がたくさんいるんですよ」

「……被害を、大きくしたい、の?」


 最も、驚いたは驚いたのだろうが、それに怯むルーヴィではなかった。

 魔女の断罪は、教会がルーヴィに与えた特権であり聖務だ。それに逆らう者は全て、女神の教えに背く異教として斬り捨てる権限がある。

 似たようなことが、過去になかったとは思えない。やると決めたら、ルーヴィはためらわずに実行するはずだ。本心はどうあれ。


「いえいえ、ルーヴィさんは勘違いをしているんですってば」


 その笑顔はいっそ、挑発的ですらあった。


「ギルクさんは魔女ではありません、なぜなら」


 ぴっと、地面に転がり、埃まみれになった本を指さした。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「な………………!?」


 その言葉に、最も驚愕したのはギルクだろう。逆転の切り札が、根幹から間違っていたと言われたのだから。


「そんな、確かに、悪魔を呼び出すための本だと……」

「どんな手段で手に入れたか知りませんが、貴族の子女がそんな妄言吐いてたら、詐欺の一つもうけるでしょう」


 あっさりと、リーンはギルクの悲鳴のような声を切り捨てた。


「そもそも、魔法陣の柄もゾゥナ・ゾォーナ系列のものじゃないですし、肝心の契約内容を決める段取りが書いてません。この手順通りにやったところで悪魔は呼べませんし、仮に呼べても魔女になることは出来ません」

「…………それでも、彼女が、魔女になろうとした、事実は」

「内容が伴ってないなら、ただの魔女ごっこじゃないですか。ルーヴィさんは、町中で箒にまたがって遊んでいる女の子を、問答無用で斬り捨てますか?」

「そんな、極論を――!」


 ルーヴィが反論しようとする。リーンが言っているのは、確かに極論で、暴論だ。


「あー、そうだ、確かにギルク様は魔女ごっこが好きだったなあ」


 だが。


「そうそう、この歳になってもねえ」

「全く変わらないんだから、困ったものだよなあ」

「嫁の貰い手が居なくなるって不安になってたもんだぜ、ははは」


 その暴論を押し通すだけの土台が、この街にはある。

 ギルクが街の人々を、家族と呼び、守ろうとしたように。

 街の人々もまた、ギルクを娘のように愛し、守るのだ。


「ルーヴィ、様」


 まだ涙をこぼしながら、クレセンが、ルーヴィのスカートの裾を、摘んだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 謝りながら、泣きながら。


「魔女ごっこ――――だったんです、だから……っ」


 下手くそな嘘をついた。


「…………………………」


 ルーヴィが鉄の意志を持つ、信仰心の塊ならば、それでも使命を果たそうとしただろう。

 けれど、ルーヴィが守りたいと思っている者の意思が、今、立ちはだかっているのだ。


「……ルーヴィ、お前、疲れてるんだろ」


 死んでも良かったと思う程度には。


「休んでもいいんじゃないか、ここは温泉街だぜ?」


 俺と、リーンと、クレセンと、ギルクと、ラディントンの人々。

 全員の視線を一身に受けて、ルーヴィは。


「…………内緒って、言ったのに」


 その場でぺたんと座り込んで、恨みがましい目で、俺を睨みつけてきたのだった。


 ☆


 ルーヴィ様があんな顔をするのを、私は初めてみた。

 なんだか、とても胸が痛い。どうして気づかなかったんだろう。

 魔女を見つければ、褒めてもらえるなんて、どうして思ったんだろう。


「ギルク様」

「大丈夫だ、大丈夫……っ」


 ギルクさんは、街の人に支えられながら起き上がった。私をちらりとみて、申し訳無さそうに目を伏せた。


「しかし、一体何の騒ぎなんです、ギルク様」

「そっちのお姉ちゃんが、ギルク様が大変だっていうから皆で来たんですが」

「アイツらがやったってんなら、容赦しませんよ、なあ」


 そうだそうだ、と何人かの声が上がる。抑止力として集められた村人たちは、事情を知らないから、静観してくれていたけれど、ギルクさんが傷つけられたと知ったら、きっと怒り出すに違いない。

 今しかない、と思った。


「…………聞いて、くださいっ!」


 今までの人生で、一度も出したことのない大声を、私は張り上げた。


「そう遠くない時期に、火山が、噴火します! 今すぐ逃げる準備をしないと、もう、間に合いません!」


 ラディントンは罪人街。ギルクさんはそういった。知識としては知ってる。街の外にでたら、罪になる、だけど。


「お願いします、逃げてください……女神は、正しい人々を救ってくださいます、だから……」


 【聖女機構(ジャンヌダルク)】の一員として、言ってはならない事を、私は叫んだ。

 教会は、大きいけれど、国ではない、国には国の法律があって、それを破れと促すのは、それこそ、魔女のやることなのに。

 だけど、私は、言わずには居られなかった。


「だって、おかしいじゃないですか! 噴火するのが分かってて、逃げてはいけないなんて! 知らずにいるだなんて! そんなの――」


 お前は魔女だから、首を吊れと、突如言われるのと変わらない。


「………………」


 街の人達は、顔を見合わせた。それから、一人の女の人が前に出てきた。

 私にお饅頭をくれた、おばさんだった。


「ありがとね、お嬢ちゃん、教えてくれて」


 もふ、と頭を、大きな手で撫でられた。とっても、暖かかった。




「でもねえ、私達は皆、()()()()()()()



「――――――え?」

「伯爵様も言ってくださったよ。なんとかバレないように、避難の算段を立てるからと」

「けどなあ、もしバレたら伯爵様にご迷惑がかかる」

「あの王の事だ、それが狙いなのかもしれんぞ」

「そうだそうだ、下手すりゃギルク様の嫁の貰い手がいなくなっちまう」

「ははは、そりゃあ大変だなぁな」

「馬鹿、それどころじゃなくなるでしょうが」


 何を、何を。


「何を、言ってるんですか!? そんな事、言ってる場合じゃ――――」

「お嬢ちゃん、この街はね、私達が作った、私達の故郷だ、子供みたいなもんだ」


 皆、優しい笑顔だった。


「子供を置いていく親は、居ないだろう?」


 う、と嗚咽を漏らしたのは、私じゃなかった、ギルクさんだった。

 そうか、ギルクさんは、だから、救おうとしたんだ。

 ここは、この人達の故郷だから。


「あ、ぅ、うぁぁぁぁぁ…………」


 どうして、どうして私には何も出来ないんだろう。

 こんなに無力な私が、ここで何をしているんだろう。


「では、そろそろいいですか?」


 溢れてくる涙で、前が見えない、だけど。


「建設的な話をしましょう。それを望んでいるお人好しがいるみたいなので」


 力強くそう言い切る声が、確かに聞こえた。


 ◆


「とりあえず結論から言いますと、ギルクさんのやろうとしていることは、無駄です」


 俺を含む全員の視線が集まる中、リーンは、きっぱりと言い切った。


「仮にギルクさんが、炎を操る権能を持つ悪魔と契約したとしましょう。その力があれば、一旦止めることは出来ると思います。一ヶ月先を、一年先にすることぐらいは」


 一年。

 たったそれだけの時間が稼げるだけで、結末は変わらない。

 それが、魔物と人間の境界に立つ、魔物使いの娘の出した結論だった。


「その一年が欲しいんだ……!」


 だが、ギルクは、リーンに食って掛かる。


「冬を越せれば、二十年目だ、皆ラディントンから、堂々と胸を張って出られる! そうすれば避難が出来る! その時間さえ稼げれば!」

「私にだってやろうと思えば、同じことが出来ます。()()()()()()()()ですから。私が活動を抑え、我慢しろと言えば、噴火の時間を先延ばしにする事自体は可能です」

「……ならお前がギルクの代わりにやればいいんじゃねえの?」

「それで済むなら最初からやってます、いいですか?」


 感情的になった俺に対して、リーンの、緑色の瞳は――冷静そのものだった。


「噴火っていうのは、自然現象です。あの地に魔素が集まって、精霊が生きて居る限り、絶対に発生する新陳代謝みたいなものなんです。起こることが当然なんですよ」


 ですが、と言葉を続けた。


「精霊の活動を無理やり押さえ込めば、その反動はどんどん溜め込まれていきます。溜め込んで溜め込んで溜め込んで溜め込んで、本来吐き出さなくちゃ行けないラインを越えて、まだ溜め込んで――――――限界がきたら、どうなると思いますか?」


 押さえ込めば抑え込むだけ、反動も強くなる。

 今この時点でさえ、街一つを飲み込むほどの、大災害だというのに。


「その時は、ラディントンだけじゃ済みません。下手をすればパズまで火砕流に飲み込まれます」


 それは、ヴァーラッド伯と開拓団が築きあげた、全てが無に帰すのと等しい。


「そん……な……」


 ギルクが、とうとう崩れ落ちた。慌てて手を伸ばし支えても、全く力が入っていないのが、伝わってきた。


「おい、大丈夫か」

「大丈夫じゃ、ない……かも、はは、じゃあ、なんだ?」


 その目は、俺を見ているようで、見ていなかった。


「私は、何をしてきたんだ……? 全部、無駄だったのか、それどころか……」


 なにか言ってやりたかったが、言えなかった。

 掛ける言葉も、打つ手もない。

 大前提として()()()()()()のだ。そして()()()()()()()()()()()()、被害は拡大する。


「……なあ、だったら逆に、今すぐ噴火させるのはどうだ?」


 全員が、お前何言ってるんだ、という目で俺を見た。いや、悪かったって。


「一応理屈は聞きましょう、どうぞ」

「だから、噴火を止められないなら、()()()()()()()、ラディントンまで来ないように出来ないか?」

「……どうやって?」

()()()()()()()()()()()()()?」


 この場でその意味がわかるのは、リーンと、スライムと、ルーヴィぐらいのものだろう。


「んー…………」


 リーンは、しばらく目を閉じて考え込んだ。

 数分は経過しただろうか、その間、誰も喋らなかった。

 やがて、とても嫌々、不承不承、あからさまに口にしたくない、という意図が透けて見える、苦々しい顔と共に声を発した。


「ぎりっぎり、もしかしたら可能かも知れません」

「……そうか」

「でも、ハクラが間違いなく消し炭になっちゃいます。それなら、私は力を貸しません」

「…………そうか」

「それに、噴火させるなら、精霊を活性化させなきゃいけません。何かしら刺激を与えれば、本能的に周辺の魔素をかき集めて、一気に噴火まで行くと思いますけど……」


 どちらにしても現実的ではない、ということだ。


「…………どうしようもない、わ。奇跡でも、起こらない限りは」


 A級冒険者、或いは特級騎士。〝星紅〟のルーヴィ・ミアスピカの言葉は、あまりに重い。やがて、場を支配したのは沈黙だった。結局、俺達はどこまでも人間だ。

 自然に勝てるようには、出来ていない。


「…………嫌だ」


 こぼれ落ちたギルクの声が、夜の闇に吸い込まれていく。


「嫌だ……私は、嫌だ。こんなの……あんまりじゃないか……っ」


 何か言おうとして、言葉にならなかった、その時。


「…………?」


 カタカタと建物が小刻みに揺れ始めた。


「わっ!」「ひゃあ!」「隠れろ隠れろ!」「建物から出ろ! でかいのが来るぞ!」


 それが兆候であることが、街の人々には分かっていたのだろう。すぐにドン、と音がして、地面が大きく揺れた。


「また地震ですか……」


 これも噴火の前兆なのだろうが、何も今こんな時に、とつくづく思うし、大体、皆もそう思っているはずだった。

 しかし。


「………………なあ、おかしくねえか」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「…………ねえ、あれ」


 ルーヴィが示したのは、まさに俺達が立ち寄った、火山の頂点だった。


「煙…………」


 次の瞬間、全身を叩きつけるような爆音と共に、山頂から黒煙が吹き出した。

 噴火が始まった、と理解したのは、それから数秒後のことだった。

前へ次へ目次