故郷ということ Ⅵ
「ギルク様!」「大丈夫ですか!」「すぐに手当を!」
ギルクが倒れているのを見るやいなや、慌てて駆け寄り抱き起こす街の人間達。ルーヴィはぽかんと口を開けていた。
「――何、を」
「ギルクさんは、この街全体の娘さんのようなものらしいので」
対するリーンは、ウインクしながら告げた。
「危ない目にあっていると知ったら、駆けつけてくれる人がたくさんいるんですよ」
「……被害を、大きくしたい、の?」
最も、驚いたは驚いたのだろうが、それに怯むルーヴィではなかった。
魔女の断罪は、教会がルーヴィに与えた特権であり聖務だ。それに逆らう者は全て、女神の教えに背く異教として斬り捨てる権限がある。
似たようなことが、過去になかったとは思えない。やると決めたら、ルーヴィはためらわずに実行するはずだ。本心はどうあれ。
「いえいえ、ルーヴィさんは勘違いをしているんですってば」
その笑顔はいっそ、挑発的ですらあった。
「ギルクさんは魔女ではありません、なぜなら」
ぴっと、地面に転がり、埃まみれになった本を指さした。
「その本に書いてあるのはデタラメだからです」
「な………………!?」
その言葉に、最も驚愕したのはギルクだろう。逆転の切り札が、根幹から間違っていたと言われたのだから。
「そんな、確かに、悪魔を呼び出すための本だと……」
「どんな手段で手に入れたか知りませんが、貴族の子女がそんな妄言吐いてたら、詐欺の一つもうけるでしょう」
あっさりと、リーンはギルクの悲鳴のような声を切り捨てた。
「そもそも、魔法陣の柄もゾゥナ・ゾォーナ系列のものじゃないですし、肝心の契約内容を決める段取りが書いてません。この手順通りにやったところで悪魔は呼べませんし、仮に呼べても魔女になることは出来ません」
「…………それでも、彼女が、魔女になろうとした、事実は」
「内容が伴ってないなら、ただの魔女ごっこじゃないですか。ルーヴィさんは、町中で箒にまたがって遊んでいる女の子を、問答無用で斬り捨てますか?」
「そんな、極論を――!」
ルーヴィが反論しようとする。リーンが言っているのは、確かに極論で、暴論だ。
「あー、そうだ、確かにギルク様は魔女ごっこが好きだったなあ」
だが。
「そうそう、この歳になってもねえ」
「全く変わらないんだから、困ったものだよなあ」
「嫁の貰い手が居なくなるって不安になってたもんだぜ、ははは」
その暴論を押し通すだけの土台が、この街にはある。
ギルクが街の人々を、家族と呼び、守ろうとしたように。
街の人々もまた、ギルクを娘のように愛し、守るのだ。
「ルーヴィ、様」
まだ涙をこぼしながら、クレセンが、ルーヴィのスカートの裾を、摘んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
謝りながら、泣きながら。
「魔女ごっこ――――だったんです、だから……っ」
下手くそな嘘をついた。
「…………………………」
ルーヴィが鉄の意志を持つ、信仰心の塊ならば、それでも使命を果たそうとしただろう。
けれど、ルーヴィが守りたいと思っている者の意思が、今、立ちはだかっているのだ。
「……ルーヴィ、お前、疲れてるんだろ」
死んでも良かったと思う程度には。
「休んでもいいんじゃないか、ここは温泉街だぜ?」
俺と、リーンと、クレセンと、ギルクと、ラディントンの人々。
全員の視線を一身に受けて、ルーヴィは。
「…………内緒って、言ったのに」
その場でぺたんと座り込んで、恨みがましい目で、俺を睨みつけてきたのだった。
☆
ルーヴィ様があんな顔をするのを、私は初めてみた。
なんだか、とても胸が痛い。どうして気づかなかったんだろう。
魔女を見つければ、褒めてもらえるなんて、どうして思ったんだろう。
「ギルク様」
「大丈夫だ、大丈夫……っ」
ギルクさんは、街の人に支えられながら起き上がった。私をちらりとみて、申し訳無さそうに目を伏せた。
「しかし、一体何の騒ぎなんです、ギルク様」
「そっちのお姉ちゃんが、ギルク様が大変だっていうから皆で来たんですが」
「アイツらがやったってんなら、容赦しませんよ、なあ」
そうだそうだ、と何人かの声が上がる。抑止力として集められた村人たちは、事情を知らないから、静観してくれていたけれど、ギルクさんが傷つけられたと知ったら、きっと怒り出すに違いない。
今しかない、と思った。
「…………聞いて、くださいっ!」
今までの人生で、一度も出したことのない大声を、私は張り上げた。
「そう遠くない時期に、火山が、噴火します! 今すぐ逃げる準備をしないと、もう、間に合いません!」
ラディントンは罪人街。ギルクさんはそういった。知識としては知ってる。街の外にでたら、罪になる、だけど。
「お願いします、逃げてください……女神は、正しい人々を救ってくださいます、だから……」
【聖女機構】の一員として、言ってはならない事を、私は叫んだ。
教会は、大きいけれど、国ではない、国には国の法律があって、それを破れと促すのは、それこそ、魔女のやることなのに。
だけど、私は、言わずには居られなかった。
「だって、おかしいじゃないですか! 噴火するのが分かってて、逃げてはいけないなんて! 知らずにいるだなんて! そんなの――」
お前は魔女だから、首を吊れと、突如言われるのと変わらない。
「………………」
街の人達は、顔を見合わせた。それから、一人の女の人が前に出てきた。
私にお饅頭をくれた、おばさんだった。
「ありがとね、お嬢ちゃん、教えてくれて」
もふ、と頭を、大きな手で撫でられた。とっても、暖かかった。
「でもねえ、私達は皆、知ってるんだよ」
「――――――え?」
「伯爵様も言ってくださったよ。なんとかバレないように、避難の算段を立てるからと」
「けどなあ、もしバレたら伯爵様にご迷惑がかかる」
「あの王の事だ、それが狙いなのかもしれんぞ」
「そうだそうだ、下手すりゃギルク様の嫁の貰い手がいなくなっちまう」
「ははは、そりゃあ大変だなぁな」
「馬鹿、それどころじゃなくなるでしょうが」
何を、何を。
「何を、言ってるんですか!? そんな事、言ってる場合じゃ――――」
「お嬢ちゃん、この街はね、私達が作った、私達の故郷だ、子供みたいなもんだ」
皆、優しい笑顔だった。
「子供を置いていく親は、居ないだろう?」
う、と嗚咽を漏らしたのは、私じゃなかった、ギルクさんだった。
そうか、ギルクさんは、だから、救おうとしたんだ。
ここは、この人達の故郷だから。
「あ、ぅ、うぁぁぁぁぁ…………」
どうして、どうして私には何も出来ないんだろう。
こんなに無力な私が、ここで何をしているんだろう。
「では、そろそろいいですか?」
溢れてくる涙で、前が見えない、だけど。
「建設的な話をしましょう。それを望んでいるお人好しがいるみたいなので」
力強くそう言い切る声が、確かに聞こえた。
◆
「とりあえず結論から言いますと、ギルクさんのやろうとしていることは、無駄です」
俺を含む全員の視線が集まる中、リーンは、きっぱりと言い切った。
「仮にギルクさんが、炎を操る権能を持つ悪魔と契約したとしましょう。その力があれば、一旦止めることは出来ると思います。一ヶ月先を、一年先にすることぐらいは」
一年。
たったそれだけの時間が稼げるだけで、結末は変わらない。
それが、魔物と人間の境界に立つ、魔物使いの娘の出した結論だった。
「その一年が欲しいんだ……!」
だが、ギルクは、リーンに食って掛かる。
「冬を越せれば、二十年目だ、皆ラディントンから、堂々と胸を張って出られる! そうすれば避難が出来る! その時間さえ稼げれば!」
「私にだってやろうと思えば、同じことが出来ます。精霊も魔物の一種ですから。私が活動を抑え、我慢しろと言えば、噴火の時間を先延ばしにする事自体は可能です」
「……ならお前がギルクの代わりにやればいいんじゃねえの?」
「それで済むなら最初からやってます、いいですか?」
感情的になった俺に対して、リーンの、緑色の瞳は――冷静そのものだった。
「噴火っていうのは、自然現象です。あの地に魔素が集まって、精霊が生きて居る限り、絶対に発生する新陳代謝みたいなものなんです。起こることが当然なんですよ」
ですが、と言葉を続けた。
「精霊の活動を無理やり押さえ込めば、その反動はどんどん溜め込まれていきます。溜め込んで溜め込んで溜め込んで溜め込んで、本来吐き出さなくちゃ行けないラインを越えて、まだ溜め込んで――――――限界がきたら、どうなると思いますか?」
押さえ込めば抑え込むだけ、反動も強くなる。
今この時点でさえ、街一つを飲み込むほどの、大災害だというのに。
「その時は、ラディントンだけじゃ済みません。下手をすればパズまで火砕流に飲み込まれます」
それは、ヴァーラッド伯と開拓団が築きあげた、全てが無に帰すのと等しい。
「そん……な……」
ギルクが、とうとう崩れ落ちた。慌てて手を伸ばし支えても、全く力が入っていないのが、伝わってきた。
「おい、大丈夫か」
「大丈夫じゃ、ない……かも、はは、じゃあ、なんだ?」
その目は、俺を見ているようで、見ていなかった。
「私は、何をしてきたんだ……? 全部、無駄だったのか、それどころか……」
なにか言ってやりたかったが、言えなかった。
掛ける言葉も、打つ手もない。
大前提として噴火は起こるのだ。そして先延ばしにすればするほど、被害は拡大する。
「……なあ、だったら逆に、今すぐ噴火させるのはどうだ?」
全員が、お前何言ってるんだ、という目で俺を見た。いや、悪かったって。
「一応理屈は聞きましょう、どうぞ」
「だから、噴火を止められないなら、噴火させてから、ラディントンまで来ないように出来ないか?」
「……どうやって?」
「俺にそれぐらいの力はないか?」
この場でその意味がわかるのは、リーンと、スライムと、ルーヴィぐらいのものだろう。
「んー…………」
リーンは、しばらく目を閉じて考え込んだ。
数分は経過しただろうか、その間、誰も喋らなかった。
やがて、とても嫌々、不承不承、あからさまに口にしたくない、という意図が透けて見える、苦々しい顔と共に声を発した。
「ぎりっぎり、もしかしたら可能かも知れません」
「……そうか」
「でも、ハクラが間違いなく消し炭になっちゃいます。それなら、私は力を貸しません」
「…………そうか」
「それに、噴火させるなら、精霊を活性化させなきゃいけません。何かしら刺激を与えれば、本能的に周辺の魔素をかき集めて、一気に噴火まで行くと思いますけど……」
どちらにしても現実的ではない、ということだ。
「…………どうしようもない、わ。奇跡でも、起こらない限りは」
A級冒険者、或いは特級騎士。〝星紅〟のルーヴィ・ミアスピカの言葉は、あまりに重い。やがて、場を支配したのは沈黙だった。結局、俺達はどこまでも人間だ。
自然に勝てるようには、出来ていない。
「…………嫌だ」
こぼれ落ちたギルクの声が、夜の闇に吸い込まれていく。
「嫌だ……私は、嫌だ。こんなの……あんまりじゃないか……っ」
何か言おうとして、言葉にならなかった、その時。
「…………?」
カタカタと建物が小刻みに揺れ始めた。
「わっ!」「ひゃあ!」「隠れろ隠れろ!」「建物から出ろ! でかいのが来るぞ!」
それが兆候であることが、街の人々には分かっていたのだろう。すぐにドン、と音がして、地面が大きく揺れた。
「また地震ですか……」
これも噴火の前兆なのだろうが、何も今こんな時に、とつくづく思うし、大体、皆もそう思っているはずだった。
しかし。
「………………なあ、おかしくねえか」
どれだけ待っても、揺れは一向に収まらなかった。
「…………ねえ、あれ」
ルーヴィが示したのは、まさに俺達が立ち寄った、火山の頂点だった。
「煙…………」
次の瞬間、全身を叩きつけるような爆音と共に、山頂から黒煙が吹き出した。
噴火が始まった、と理解したのは、それから数秒後のことだった。